December 07, 2004

俳句

学校の宿題で、娘が俳句を詠んでいる。いきなり、「お母さん、季語わかる?」って訊くから、一体何のことかと思ってしまう。どこからどこまでが季語かわからないので、ネットで検索し、そのまま4句詠む。

セーターが回転木馬走る犬
ポインセチア枯れないうちにクリスマス
冬めく日暖炉あること思い出す
北風にたなびく尾花ねむりゆく

俳句って詠んだことがないから、これが初詠みだろうか・・・

毎日短歌を詠んでいるので、その辺のネタから拾う。短歌だと季語が必要ないので、季語という意識がないままに詠んでいることがわかった。いきなり季語から季語を絡めて詠めと言われても、つい句を捻ってしまいたくなる。そうなるとうまく浮ばない。それよりも何となく部屋の中を見回して季語になりそうなものを探したほうが詠みやすい。

俳句や川柳だと何となくいつもは物足りないから、自然と下の句を付けたくなってしまう。でも、最初から、575のリズムで詠うとその後が続かない。
今は、俳句でも季語を使わない句もあるらしいし、そうなると形や数ででしか短歌と区別がつかないのかも。それでいて、自分の中では短歌と俳句はまるで違う。どこが違うのかわからないけど、まるで違うような気がする。

言葉が少なくなればなるほど、理解するまでの時間が必要となる。

でも、良い歌や句は、一瞬にして入ってくる。
言葉が少ないからこそ、季語。共通項が含まれているから言葉が少なくても共鳴共感の世界が広がる。が、しかし、昨今、花の名前を言われてもわからない私としては材料が限られている。でも、ありふれた花だから逆によいような気もする。

オトやマリにしても、ミニピンと言ってもわからないだろうとダンナにまで言われてしまった。せめてミニチュア・ピンシャーとか? でも、そうやって書いても長すぎるし、ミニチュア・ダックスやチワワなら通じるかもしれないけど、ミニピンだと写真を見てもわからないかもしれない。すると、犬とか子犬って詠むほうが万人に通じやすい。それでいて、なるべく具体的な表現のほうがよい、という。

結局、そういうややこしいことを考えないで、自分の好きな歌を自分のサイトにアップしているというほうが気楽だ。すると自己満足と言われてしまう。が、しかし・・・自己満足のどこが悪いのか、そこがいまいちわかっていないのかも。

感性の問題を言葉で表現し、マニュアル化しようというほうが無理な気がするのだけど。

娘の国語のノートの最後のページに4句をさらさら〜っと書く。
「お母さん、どうしてそんなに早く詠めるの?」
「毎日短歌を詠んでいるから・・」
これでいいんだよなぁ・・・母親って。一流のシェフになるわけでもなく、皆揃って家庭料理。
それにしても娘の俳句は下手だ。あれでは俳句ではないような気がしたけど、学校の宿題なので諦める。まあ、親からして、「これは短歌ではない」などと言われながら詠んでいたわけで、娘のことは言えない。そのうちあっちが主流になるかもしれないし・・・なんでもいいんだな・・・時代は変わる。人間が変わらないなら、せめて時代くらい変わらんと。

投稿者 Blue Wind : December 7, 2004 01:41 AM | トラックバック
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