March 16, 2004

ホームメイドかオリエンタルか

短歌系のメルマガを読む。「いまどき短歌」・・・・・
きゃーーーーーー、やめてぇーーーーーーーーー!!
っと思ってしまった。
かっこわるくてかっこわるくて。
「ネット短歌」という表現もやめてほしい。
あたしは、ネット歌人であるけれども、ネット短歌をアップしているわけではない。(つもり)
どうしてネット歌人かというと、CGI歌人だからだ。どうもいまだにペンやメモではなかなかスラ〜っと歌が出ない。それよりも大真面目にBBSなどで歌をやりとりしていたのが事始だから、パソコンの画面を眺めながらそれを初めて手書きに置き換えたときの不思議な感覚は言いようがない。今は、知り合いのサイトか、神父さんのサイトでくらいでしか、めったに歌を詠まなくなってしまったけれども、そもそもが歌人は一人の世界と言ってきたし、傍若無人な歌のほうが好きなために本当は酒でも飲みながらぶつくさ言っているのを歌にするくらいがちょうどいいのかもしれないと思うくらいだ。そういうわけで、八木重吉のように、神さまとだけお話せよ?つまりは、歌を詠んで、あーでもないこーでもないとうつうつうつうつしたとともに聖書を開く。気がつけばこれが日課になってしまった。駄文のほうは、以前からサイトのネタのつもりでアップしてきたし、何か書かないことにはテキストサイトにはならないではないか。
「いまどき」ってことはさ、つまりはいまどきではないうたを念頭に置いているから、そういう発想が浮かぶわけで、いまどきではないうたを知らないあたしにはそういう発想自体がイカメシすぎる。ひ孫のいる年寄りが子ども子どもと話しているのと似たような気分というか、あなたのお子さまはもうおじいさまなのですと言っても無駄なことにも似ている。
あっさり言うけど、歌はつぶやきだ。詩とはそこが違うような気がする。少なくても、単なるつぶやきを定型で落書きしているようなものであり、うちの娘があたしが学生時代から使っているカントリー調のおはりばこ・・・つまりは、ソーイング・ボックスと言ったほうがイメージしやすい代物の中から勝手につくりそこねたクリスマス用パッチワークの切れ端を見つけてちくちくやり方も知らずに縫っているのと変わらない。何を始めたかと思ったらオトくんのおもちゃをつくっているらしい。これはオトくんのバッグだとか、首輪だとか、パンヤを詰めて噛み噛み用に細長いやつ、小さいやつなど、あれこれつくって遊んでいる。要するに、紙を切って遊んでいたり、ダンボールでオトくんの犬小屋をつくってみたり、工作ごっこをして遊んでいる延長線上にある。ちゃんとそれらしく完成しているので感心してしまうけど、売り物にはならないだろう。だって、材料費タダだし、遊びだし、てきとーだし・・・
でも、自家製ならそれでもかまわない。
「ホームメイド短歌」のほうが、まだ「いまどき短歌」より、雰囲気がいい。第一、あたしはいまどきのひとじゃないわよ、すでに。いまどきのひとたちを理解できないし、それでいて、リブ・ゴーシュやミュグレやいちの服を着ていて遊んでいた時代の自分とは違う。当時はそれが普通だったと言っても、もうすでに同年代の人たちじゃないと理解してくれないだろうけど。今は、平気で20年前のセーターでも着たきりすずめでも平気だもんね、なんたる違い!クルマしか乗らない生活だからかもしれないけど。サンダルひっかけてリゾートへ直行という時代。
が、しかし・・・・3年の間でバリ島があまりにも変化していたために、それも考え直したほうがいいかもしれない。アジアン・ビーチに未来はあるのか?落陽の美しさだけは変わらないだろうけど、人間次第なような気がするし、旅とは。それよりもドンとしたふるきなかへ今年はすすみたい。いまどきのひとの考え方よりいにしえのひとの考え方へ旅してみたい。めんめんとみゃくみゃくと変わらずに、在る。そういう存在感に圧倒されたい気分でもある。もっと突きつめると、それこそ文化ではなく、文明を感じてみたい。
詩は少なくても短歌ができる前からあったわけだし、日本が消えても詩は消えない。
ところで、短歌って、日本が消えたら消えちゃうわけ?
魂は永遠・・・のはず・・・・・なんだけど。

投稿者 Blue Wind : March 16, 2004 10:21 AM
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