February 14, 2004

アングラへ逆戻り?

いやはや、塔短歌会に入った時とはえらく形相が違う。ほかの選者欄については知らないけど、『彗星集』というのはどこかの研究室みたいな雰囲気。面倒だったら岡井さんのところならフリーパスで歌を載せてくれるらしいという情報をキャッチ。(誤報か?) もっと面倒だったら、毎月選者を変えて気ままに投稿するとかね・・・確かに、結社というのは濃くも淡くもなるという意味が何となく理解できたのでした。
塔は常識的かもしれない。親子競詠などを見ていると、一番のライバルがお母さんという雰囲気は楽しい。10年に一度は歌集は出すものみたいな見出しを見ると和む。未来?こっちは徒弟制だから、出版する時には先生に原稿を見てもらわないとダメらしい。歌を詠むだけなら先生なんて要らないでしょ?お母さんが詠んでいてそれにつられて詠むとか。
最初に加藤研究室に入るメリットは、ここに1年もいたらほかが天国に感じられるということかも。でも、結社も人付き合いを始めたら、どこも似たようなものなのかも。だから、投稿するだけとか、購読するだけという人がいるのかも。
歌会を知らない自分としては、なんで初出というものにこんなにこだわるのか理解できなかった。つまりは、舞い散る言の葉の世界だから、歌は使い捨てなのね。だから、歌会は自分の歌の力量を試す舞台であり、だから実力を出し切らなければならないらしい。たまにはそういうテンションが高いほうが楽しいのかもしれないけど、常にテンションが高かったら精神がズタボロになってしまいそう。だから、他人の歌を読まない。かったるいから。話題性のある人の歌だったら読むこともあるんでしょうけど、あたしもヘンだと思っていたのよ・・・来る日も来る日も他人の歌を読み続ける。考えただけで面倒になりそうだけど、本当に歌の好きな人なら続くのでしょうし、歌を伝えていこうという気概がないと続かない。

そういう裏側を見てしまうと、こんなんなら研究室に戻ったほうが生産的なような気がするけど、そういうのが面倒だから家にいる。本末転倒だ。それでいて、あまりにも自分がこういう社会に慣れすぎていることも知っている。矛盾。これなら神父さんのところでのんびり詠んで、それを自分で出版したほうが生産的なような気がする。気持ちの上で。

そのうち悪魔の歌を詠んでしまいそうな気がする。毒の世界。元々が毒々しいから、この毒をバネに天使の歌が生まれるのかもしれないし、地獄を眺めるから自分が幸せということを感じるのかもしれないし、それでいて研究室なんてものに顔を出すのは最初の1年くらいだ。後は先生に用事がある時か、研究会がある時しか行かなくなる。来れども来れども後輩ばかり・・・という退廃的な気分に陥るよりも、上を眺めていたほうがマシなんだろう。アングラ。

楽園は遠い。

投稿者 Blue Wind : February 14, 2004 07:20 AM
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