January 18, 2004

ヤギアイスをバーボンに入れるべきか、うだうだ悩むという人の歌は・・・

直情型の歌人というのは意外に少ないことに気が付く。それこそ石川啄木ではないけれども、個人の内声をそのまま歌にしてしまうというような歌人は少ない。

この前からあたしが考えているのは、歌はヤギアイスくらいがちょうどよいのではないかということで、いきなり「ヤギアイスをバーボンに入れると美味しいぞ」などと言われて、それを実行しようかどうか迷っている。つまりは、自分はヤギアイスは好きだけれども、ヤギアイスをバーボンに落としたことはないわけで、それを実行しないということは自分が単にうだうだしているということであり、自分がやってみよーと思ったら速攻で実行するだろうけど、果たしてそこまでの好奇心を自分がヤギアイス入りのバーボンに持っているかというと極めて懐疑的。

これがもし我が家の人たちだったらどうだろう?彼らならあっさり実行に移してしまっているだろう。ちょっと前にボーリングを始めたと思ったら、もう会員になってマイボールをつくっている人たちだ。その中で、そこまでの興味はないからと放置しているあたし・・・
ヤギアイスを食べるためには水戸まで行かなければならない。高速道路を使って約1時間くらいのところに怪獣公園と呼ばれる公園がある。怪獣のオブジェが子どもの遊び場となっており、山全体がそのようなオブジェで構成されている。
その中にオブジェとは無関係に山の傾斜を利用した天然の滑り台というか、夏のプールの滑り台のようにひたすら長いスロープを子どもたちがダンボールを下敷きにしながら滑っている場所がある。実は、それがうちの娘のお気に入りで、幼稚園の頃に無理やり親が乗りたいからという理由でディズニーランドでスペースマウンテンのような激しい乗り物に乗せてしまったために、娘はすっかり遊園地が嫌いになってしまった。その代わりというわけではないけれども、地元の子がダンボールで手作りした下敷きで滑るのを見て、家で娘がせっせとダンボールに描いて滑るためだけに行く。幼稚園の頃には毎週のように行っていることもあった。
そこのレストハウスにヤギアイスが売っている。ヤギ小屋があって、そこで絞ったお乳でアイスやチーズをつくって販売している。アイスといってもソフトクリームで、普通のバニラアイスとどこが違うのかと言われれば、微かにクセがあるとしか語れない。何も言われなければ、それがヤギの乳で出来ているとは気が付かないのではないかと思うくらいの軽いクセだ。それが何となく1度食べるとクセになる。普通のソフトクリームも好きだけど、それに独特のクセが加わり面白い。毎日食べたいような代物とは思えないけど、真夏の暑い日などに不意に食べたくなるような味。
その話をしたら、今度はそれをバーボンに入れろという・・・ 確かに合いそうな気がする。普通のアイスではなく、微かにクセのあるアイスを香りのきつい甘めのバーボンに落とす。考えただけで美味しそう。問題は、今、あたしはお酒をまったく飲まなくなってしまったということと、水戸のレストハウスで駐車場に車に停めヤギアイス入りのバーボンをちびりちびりとやっていたら、どう考えてもヘンなやつのような気がしてしまう。うちのダンナなら平気でやりそうな気がするけど、平凡な主婦であるあたしには、どうもそこまでのことをのん兵衛のダンナに説明し、彼にシラフで運転させ、なおかつ一人で飲むというのはいささかかったるさを覚えてしまう。それに娘も大きくなったので、今ではめったに怪獣公園には行かなくなってしまっている。

そういう自分のうだうだしたところを跳ね返すように、直情型の歌はすっきりしていていいなあと思ってしまう。福島久男さんの歌などはそんな感じ。

秀才といはれし友が暗がりの酒場でわれの名刺裂きゆく
我は誰の生まれ変りぞ大陸の荒野さまよふ夢にうなさる
革命も維新も起きぬ世となりて消費税を我も払へり
わが祖父を焼きたる炎ぶすぶすと遠き湾岸で今燃えてゐる
空襲にて死にたる祖父のからつぽの墓にからから骨の音鳴る
(福島久男さんの歌)

直情型であり、かつロマンチストらしい。言い換えれば、直情型はロマンチストなのかもしれないけど。

人生は無いものねだりはいけないと思いつつ、ひねもすをぼっけーっとうだうだつまらないことを考え、それが飽和した瞬間不意に言葉になるには、どうも直情型とは別のベクトルが作用しているような気がしてしまう。

投稿者 Blue Wind : January 18, 2004 06:54 AM
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