January 10, 2004

きらりと

先日初めて題詠というものにチャレンジしてみたんだけど、これは自分の想像していた以上に難しかった。歌を詠むことはさほど難しいとは思わない。でも、その歌の中に、自分の着想やアイデアなどを試されているような気がして、何か面白い題材はないものかと思ってあれこれ考えたんだけど、「東」という言葉は、中東、東京、広東、東空など、単に地名や方角しか思い浮かばない。そして、その中に1首ですべてを説明しなければならないし、もっと時間をかけて、などと思っても自分の場合は気が短いのでその場で詠んでしまう。
ありふれたお題なら、あるいは自分が好んで使う言葉なら、過去歌を検索すればいくらでも出てくる。でも、歌としてなじみの無い言葉だったりすると、これがなかなか浮かばない。その場で浮かばないことが後になって浮かぶほど自分には時間があるわけでもなく、自分がいるわけでもないような気がするし、人間さばさばと諦めよく、潔く、さっぱりと投歌してしまいました。

きっと、こういうことが大切なのだと思ったけど・・・
同じお題でも、人によって歌がまったく違う。自分が悩んだ分、ほかの人の発想に感心したりして。自由に詠んだ歌を眺めるのも楽しいものだけれど、一つのテーマに統一されていると、さらにその歌人の歌の違いがわかっておもしろい。今まで、歌だけ眺めて、どうしてその歌がよいのかピンと来ない歌もある。でも、題詠だと発想の世界なのだという気がする。だから、何気ない風景を詠んだ歌でも、その人なりの発想や着想というものが自分との対比により浮かび上がる。自分と誰かを対比するという習慣はあまりないために、より自分を客観的に眺めるという点では、題詠は興味深い。

それとは別に歌枕。
どこかの土地について詠む。
というか、地名を入れて詠む。
これにもチャレンジしているのだけれど、これもどうなんだろう。自分の家の小さな庭を詠むことは比較的簡単だけど、地名を入れるとなると自分には平凡なイメージしか思い浮かばないような気がする。例えば、つくばならつくば、筑波山なら筑波山というように、その土地の風光明媚さを詠いたいものだけど、つくばといえば並木やロケット、研究所が真っ先に思い浮かんでしまうし、この無機質な街の体質をどうやって語ったらよいのかわからない。それでいて、古来より山は山だし、昔ながらの山も健在だし、自分は筑波山のことを「ふたこぶらくだ」と呼んでいるのだけど、果たしてふたこぶらくだが筑波山のことだと1首の中で説明するべきかどうかも迷う。もしかすると郷土愛が足りないのかも。

個性、個性と簡単に言うけれど、おそらくは個性というのが簡単ではないから、多くの人たちとの交流が大切なのかも。きらりと自分の詠いたい歌が自分でわかるようになると、後は芋づる式に自分が飛び出してくるかもしれない。鈴木重子でさえ、小野リサを意識したアルバムより、彼女らしさをアピールしたアルバムのほうがずっと素敵。でも、そこにたどり着くまでが大変。

よい歌の定義?
決まった。
より自分らしさのある歌。

投稿者 Blue Wind : January 10, 2004 02:26 AM
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