January 05, 2004

インターネット恋歌事情

それにしても恋歌が多い。ネットだとどうしてこんなに恋愛の詩や短歌、あるいは日記などが多いのだろう。不思議な気がするくらい連日してそういうのばかり眺めているうちに、まるで感性が麻痺してきてしまう自分が怖い。これではポルノ雑誌の記者がグラビアを眺めても単に人形の写真くらいにしか思わない(ほんと?)のに似ているような気がするくらいだ。一般的に、自分が来訪するようなサイトはアダルトやヘンな類のサイトは禁止しているところが多いし、りんど危うきに近寄らずではないけれども、とりあえず、安全地帯を徘徊している。(つもり) だから、ごく普通のそれこそ『サラダ記念日』系の歌を眺めていても、その数の多さに精神の麻痺を覚えてしまうのかもしれない。

雑誌や結社誌などを読んでいると、たまに、「実際には歌壇には恋歌は少ない」とか、「インターネット歌人は詠みすぎ」とか、「与謝野晶子は終わった」など、かなり辛らつなことを書いている記事も目立つ。恋愛でも不倫でもそういうネタで詠んでいたりすると、「そんなのはあんただけじゃないわよ」と思うらしい。
最初ね・・・それって少しオーバーじゃないかと思ったんだけど、このところあちこちを徘徊するうちに、次から次へと竹の子のように、詩や短歌のサイトというのは恋愛関係の戯言が多いことに気が付く。一つ二つ、あるいは自己イズムに浸って、ひたすら自分の世界へ埋没するためにサイトを構築するというスタンスに徹すれば他人のことなど気にはならないのかもしれないけれども、一般的に”動向”とか”傾向”というスタンスで全体を見渡すと、限りなく恋愛の匂いだけが充満してしまう。
恋歌は嫌いではない。そういうのにゆらゆらしているのは楽しい。
が、しかし・・・・・
ずっとそればかりとなると話は別。
たまに、空だの海だの花だのその他諸々うまく説明できないけど、もっとストレートな形ではなく、ほんわかしたような抽象概念世界へ埋没するような精神世界へたどりつくとホッとする。

もっとも10代や20代、はたまた今なお恋人を求めて徘徊している人たち、恋に悩んでいる人たちにとってはそういうせつない気持ちの共有というのはそれなりに楽しく、自分だってそういうはしかのような年頃を経てこのようなババアになってきたわけだからわからなくもない。でも、なんというか・・・・・飽きる。
そそ。飽きる。

恋愛ゲップ症候群ではないけれども、よく彼氏と付き合っているうちに倦怠期ではないけれども、何となく鮮度が落ちてしまったような感覚ってあるでしょ? それに近いような感覚をウェブに感じてしまっている。
鮮度の落ちない関係もあれば、たちまち色あせてしまう関係もあるし、どこにその違いがあるのだろうと思ったら、この濃厚さにあるような気がするくらいだ。
濃厚なら濃厚で、生きるの死ぬの、愛だの憎しみだの激しくやってほしいものだけど、どうもそこへ行き着く前にエネルギー切れしてしまうのか、それともそういう修羅場が人間の精神をずたぼろにしてしまい、せっかくうまくいっていた関係がすっかりダメになってしまうとか、どうもかったるさを感じてしまう。
他人の恋にかったるさを感じても自分は痛くも痒くもない。従って、ゲップ感が残る。
本人たちにしてみたら大変なことなのかもしれないけど、古今東西、繰り返されてきた縮図がそこに存在するわけで、そういうものを通過し、20年くらい同じ人間と付き合ってきている自分としては、飽きているような気がする。
もっと透き通るような恋愛ができないのかな・・・って。

自分とも長く付き合ってきているために、自分の心の形はそれなりに理解しているつもり。こういうことには怒るし、こういうことはうれしいし、こういうことはいや、とか、すごくカラーがはっきりしている。好きなタイプ、嫌いなタイプ、逃げ出したいシチュエーション、苦手な人、あ、まずい、と思った時の対処法などなど、ある意味、いびつな部分を含めて、自分という人間は存在しているために、案外、あっけらかんと諦めに近いものがある。
人間関係がうまく行かないであろう時の対処法とか、態度とか、判断基準とか、気配、雰囲気諸々自分の行動パターンがある程度決まっているために、深く悩まない。
相手に対しても、特に何を期待しようとしなければトラブルは発生しない。特に、うちのダンナのようなおとなしい人だとなおさらかも。愛情すら疑ったことがないという・・・まさに考えようによっては奇跡に近いかも。
考えてみたら、出会った頃から多くを説明する必要のない人だった。それが愛だとか恋だとか思わないうちから、多くを説明する必要がない。そういう関係だから、考えてみたらノラクラと今まで続いているのかもしれない。一緒にいてもまるで空気のような人で、あまり存在感のない人なんだけど、いないと寂しい。そういう人。一緒にいると安心感がある。
娘が父さんの歌も詠んであげろというのだけれど、それにしても存在感が薄い。ワイルドターキーだけあれば生きていけるのではないかと疑っているけど。七面鳥の絵柄の酒を何年にも渡って眺めてきたから、考えてみたらそれくらいしか思い浮かばないぞ? やれやれ・・・・・困った。
あまりにも素直なんだよね・・・いまだに平気でおちびには「父さんと母さんはらぶらぶ」とか言っている。(ほんまかえ?) こうね・・・・なんかね、シンプルな人だから、勝手に言わせとこ、みたいな気になってしまう。そのようにまるめこまれて気が付いたらずっと一緒にいる。

そういう我が家の事情はともかく、自分の世代の濃厚さはえぐいから・・・・すでに。愛憎に金まで絡み、たまに離婚へ向けて弁護士へ相談しに行った記録などをサイトへアップしていたり、壮絶だもの。濃厚さに加えて、なんといったらよいのだろう・・・すでにきれいごとの存在しないえぐさ。そういうのに比較すれば、ほんわか恋歌でも詠んでいるほうが平和なのかもしれないけれど、それすらゲップ状態にまでなってしまったら、ヒーリングではないけれどもそれこそ山や海や大自然しか待っていないのかも。
良い意味で、おとなの歌が詠みたい。難しい。

投稿者 Blue Wind : January 5, 2004 06:28 AM
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