December 13, 2003

土曜日の自分に贈る今日の歌

代名詞の迷宮を抜け右耳にひとつ増やせるピアス・ホール
勝野かおり

コメント「あなたは「君」でも「あなた」でも名前で呼ばれる存在でもない。あなたはあなたなんだよ。」

★歌葉より
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/


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代名詞にしろ、固有名詞にしろ、あの人の呼ぶあたしって一体誰のことだろうと思ってしまう。
とりあえず、呼びかけというものがあり、それが自分だと思えば応答はするけれども、呼びかけではなく、イメージというか、他人のイメージするあたしって一体どういう人であるのかわからなくなる。

短歌を詠み始めたばかりの頃、どうして短歌なのか不思議になるらしくよく質問された。
一つには自分のイメージとは合わなかったからだろうし、どうして合わないと思われたかというと、短歌というものに固有のイメージが存在するせいではないかと逆に疑っている。
たくさんのことを言いたい時に、定型詩というのは意外と気楽だったりする。
つまりは字数制限があるから、ダラダラと駄文を書いているよりもすっきりする気がしたせいでもあるし、どうして自由詩ではないかと言われれば、自由詩というのは長いのよね・・・長いから一気に書き上げるというのはそれなりにすごい集中力の持続が必要なことに気がついてしまったのかもしれない。

それがどこから始まりどこで終わるのかは気分次第だ。
何となく浮かんできたままに詩を詠む。
それが途絶えれば終わり。
それでいて締めがなければ終わらない。
そういうもどかしさが詩にはあり、その点、定型詩というのは短歌を含めてその中に収めなければならないのだから迷っている余裕がない。
浮かんだらそれがすべて。
たまに、最後の句がどうしても浮かばないことがある。
すっきりしない。
途中まではさらさらと。
それでいて、最後の句が浮かばない。
そのもどかしさ・・・

めったにそういうことはないのだけれど、きっと自分の言いたいことが決まっている場合ほどそういう風に言葉が自然に浮かんで来なくなるようで、それなら瞬時に詠みきるほうが遥かにすっきりしている。

とても不思議なことを書かれてしまった。
「結社へ入るのを阻止するような拘束力はない」というフレーズ。
当たり前だろう。
そもそもネットで気まぐれに詠み始めただけであり、しかもほとんどが素人というか、短歌がたまたま流行っているから何となく恋の歌などを自分のサイトにアップしているとか、そういう軽いノリの人のほうが多いもの。
まじめに歌を勉強して、というノリではない。
何となく詠んでいるというそういう人たちのほうが多いような気がする。
それがどうして短歌なのかと問えば、おそらくは明確な理由など持たない人たちのほうが多いような気がする。

一行詩のラブレター。
携帯でさらりとメールを送る。
定型を楽しんでいるだけ?
そういうさらりとした世界。

いわば、自分が特殊だ。
さらりとした世界から、どうして歌壇へと行こうとするのか不思議。
それはいわば、流れ、だ。

これは短歌ではないとか、ああでもない、こうでもない、とつまらないことを言われることにいささかうんざりしてしまったからでもあるし、本当に歌のことを熟知している人たちの場合、常に新しい風を求めて徘徊している気がするくらいだ。
自分の場合は、単に無知だから逆に今から古典でもちょっと勉強しようかな、などとは思うものの、自分で詠んでいるほうが遥かに面白い。
歌とはこういうものであるという決めがあるほうが不思議なのかもしれない。
とりあえず、定型である以上基本は57577だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
写実であるとかないとかも、歌の流れの中で誰かが始めたことであり、それもまた流れの一つに過ぎない。
多くの人たちがそれを好むのであれば、それはそれで歌の醍醐味の一つなのだろうし、そういう意味ではすっきりしている。

短い言葉で、ポンと相手に訴えるには、きっと極めて効率のよい方法なのだろう。
たくさんのことを言えないから。
つまりは、ワザだ。
テクニックなのかもしれない。

・・・・・・・・・娘のピアノがうるさいから、ここで終わろう。

投稿者 Blue Wind : December 13, 2003 04:37 PM
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