September 20, 2003

他人と指紋が違うからといって個性があるとは言われないのよね

どこを見ても、何を読んでも、偶然なのか流行りなのか、多くの人に共通の悩みなのかわからないけれども、「自分を出す」とか「個性」というタームだけがやたらと目に付く。
個性などというものは、無理に出さなくても、他人と同じことをしているつもりなのに、気が付いたらそこからはみ出てしまっている自分というか、殺して殺しても殺しきれないものが個性なんだろうから、無理にあれこれ考える必要はないはず。
はずなんだけどね・・・
それだけではダメだ。

アートというのは、唯一無二だからアートなわけで、ダラダラと蔓延しているものは流行と呼ぶ。
ところが、指紋は一人一人違うはずなのに、指紋というタームを語れば指紋がわかるというのはどこか共通概念としての指紋が存在するわけで、自分の指紋を提示しても個性とは言われない。
単なるサンプルだろう。
第一、指紋に個性があるとは思えないけど。
ということは、他人と違っているだけでは個性ではないとういことなのね・・たぶん。

自分の得意な題材を探せという・・・
なんなんだ・・・
これではまるで卒論のテーマを探しているような雰囲気だ。

テーマが決まってしまえば、あとはやるしかない。
が、しかし、それが決まるまでが結構大変だったりする。
中には自分では自由に選べないという世界もあるらしいけど、それだって、そこのゼミに入るかどうかくらいは迷っているはず。

とにかく、テーマを探すということが大切であり、しかもオリジナリティというのかしら・・・そこまでたどり着くまでが大変であり、それが決定してしまうとそれだけでもあっぷあっぷしながらのたうちまわらなければならないことに気が付くために、探す苦労というのは少なくなるし、逆に、探さなくてもどうやって集まりすぎたネタを捨てていくかということが課題になる。
それでいて、卒論なんてものは遊びだ。

テーマがあり、しかも、得意な詠み方というのもあるだろうし、それを極めるだけでも大変。
やり始めたらキリがない。
詠めないところまで詠めば、自然と個性が出るらしいけど。
詠むのは簡単でしょ?
単に、5・7・5・7・7なんだから。
でも、何が詠めて何が詠めないか?

駄文でも、自分のことを書くのは案外平気だ。
姑のことでも教授の悪口でも、近所のことでも平気で書ける。
書いても何も困らないからだ。
自分のメンタリスティックなことでも、ジャンキー相手にくだらないことをしている自分というものをさらけ出すのも平気。
愛でも恋でも何でも平気。

でもね・・・
神さまとだけ話せという・・・・
死にそ。

投稿者 Blue Wind : September 20, 2003 10:55 PM
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