September 06, 2003

溺れるほどに生活してみたい(鈴木英人について)

鈴木英人さんのイラスト。
憧れる人が多い。
見慣れた絵だ。

ポルシェのスピードスターがさらりと停まったアメリカ。
おそらくは、日本人がアメリカに求めたのはこの雰囲気なような気がする。
開放感と俗っぽさとそれをアートにしてしまう感性。
旧き良き時代なのかもしれないけど・・すでに。

どこが違うかというと、金じゃないんだよね・・・
カラッとしているところなんだと思う。

実際のアメリカ人ときたら、それこそ健康のためにダイエットが必要だと思うような人が多いし、やたらと警戒心が強かったり、カラッと陰湿さと怠惰さとを同時に感じてしまう気がすることが多いけど、実際のところわからない。
それくらいいろんな人たちが存在しているのかもしれないし、それでいて英人さんのイラストの世界はアメリカという雰囲気なんだよね・・・

なんで突然そんなことを思ったかというと、和歌のせいかもしれない。
自分は少なくても短歌向きの性格ではないもの。
大体、短歌なんてものは、私のようにズケズケと言いたいことを言える人間には必要ない。
それこそ器用だし、どんな風にも詠めるし、数だけは多い。
やまとことばは嫌いではないけれど、どうも古典のウェットな雰囲気は自分には馴染めないような気がするし・・・

『サラダ記念日』が売れたのは、現代的な短歌だったからだ。
少なくても精神が違う。
カラッとしているもの。
短歌からウェットな部分を消し去っている。
そこが違うような気がする。
それがよかったのよね・・・

つまりは、こころが違う。
それでいて、とても現代の日本人的だ。

もう、「こーあるべき」という時代ではないな。
そんなことはわかっていて、どーしても「こーあるべき」だと思ってしまうのは精神だからだ。
理解するより理解されたい人たちが多いからかも。

そこに起爆剤のように何かを落とすのが現代アートの世界なのかもしれないし、それでいて、タフなんだな・・・
「自分はこーである」というところがはっきりしているもの。
生活すべてが自己主張というか・・・自分の世界に満ち溢れてしまっている。

投稿者 Blue Wind : September 6, 2003 03:52 AM
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