私は、結社よりもネット歌人のほうが長いし好きだし気楽なので、本当はこのままのほうがいい。
結社の決まりで、インターネットにアップした短歌は結社には出せないことになっているから、本当は出し惜しみしたほうがいい。
だけど、気ままにしているほうが好きだ。
イザヤ 10.24-27
近頃、実験的な試みとして、画像を使って詠んでいます。短歌は写実が基本と言いながら、私は案外忙しいので、そんなことをしたら仕事の話とか、犬のことくらいしか詠めないですね・・・
というわけで、昨年、うちの教会を司牧していただいた神父様のところ から、画像をお借りして、詠むことが増えました。でも、神父様からお借りしているので、毒々しい歌は控えたほうがよいのではないかと思うのですが、根がどくどくしいので、たまにワープしてイメージがふわふわどこかへ飛んで行ってしまいます。普段ならそれでも構わない気がするのですが、写真から、となるとダメかも。
以前は、短歌が先で、後から気ままに好きなイラストなどを貼ることはあったのですが、テレビのバラエティ番組で、俳句の先生が写真を見せて俳句をつくるというのがあって、俳句の場合、練習のためにそういうこともありなのかと思って、参考にさせていただいています。
ただ、弱点があって、画像から詠むと、画像がないと意味不明の歌になってしまうことも多く、短歌としての表現力が弱まる気がします。概念歌みたいなものなら構わないのでしょうけど。
概念歌ということであれば、聖書がベースになってしまうのは、お借りしている先が先なので、仕方がないですよね。
そういった意味で、制約はあるものの、著作権のことやリンクのことやバナーのことなどを考えなくても良いという長所もあるので、ありがたいです。いくら美しい画像でも、そういうことを考えながらではさすがのずうずうしい私でも無理かも、です。
(ヨハネ 5. 13-16)
↑こういうのは本当は書かないほうがよいかも・・・?
お休みがなくなると困りますね。
今、司祭不足で大変な時代なので・・・カトリックは。
優雅に詠んでいるようでいて、あくせくあくせく。平安朝がなつかしい?
どうして時間が経過するに従って、いろいろ制約が出てくるのでせう・・・
いつの時代も変わらないかもしれないですね。
(歴代誌下 31. 1)
さて、ブログ仲間のぐるぐるさん の家の生垣に八重咲のどくだみが発見されました。
なんかね・・・神さまに説教されているような。
どーせ、私が悪いんでしょうね。へび草・・・
もっと上品に詠まないと。
それにしてもどくだみは可愛いと思って放っておくと大繁殖して、いざ抜こうとすると蛇のような根っこがたくさん。
抜いても抜いても生えてくるので大変です。
へび草の根ののびゆくはどくだみの白き花さえ蠱惑となれば
↑実は、教会の草刈りを詠んだ短歌なのですけど、なぜか暗い。
実際には賑やかに楽しくご奉仕しているのですけど、近頃、どくどくしい。
どくだみの草取りには苦しめられたので、つい本音が歌に出てしまいます。
どちらがよいのでしょうね・・・
いずれにせよ、どくだみ=へび草、というイメージ。
あー、正直者の自分がつらい。
少し反省しないとダメかも。
(ヨハネ 20. 3-8)