September 14, 2004

高いガードが必要だった理由

弟にまでメールはダメだと言われてしまった。誤解や行き違いが多いかららしい。単に要件だけを書いてくる分にはかまわないのかもしれないけど、それ以上の突っ込んだ話となるとダメらしい。
まあ、母親のお葬式のことやら今後のことやら、そこに嫁さんの意見などが入る。そうなると、とたんにややこしくなる。敵、というのとは違うのかもしれないけど、他人だから仕方がない。育った環境も違えば価値観も違うし、夫婦でも相違があるのに、そこに他人である私が口出しすればもっとややこしいことになる。で、間に入った弟が苦労する。

昨日、テレビを観ていて、なんで農家や商家だと大家族で生きていけるのか何となくわかった。利害関係が一致しているから。親の仕事を子どもが引き継ぐ。そうなると、家庭というのは職場でもあり、職場なら先輩からあれこれ仕事を教えてもらいながら仕事を覚える。従って、暗黙のうちに上下関係が成立し、さらには利害関係が一致しているため、特別なことがないかぎり平和。
家庭=職場だと、どうやって考えても姑さんは職場の先輩でもあり、自然と序列が完成する。子ども以外のすべての家族が生計を担っている。みんなの協力で得た糧で食べているから、何かあればみんなで相談する。家を建て替えるとか、子どもの教育をどうするか、など。
まあ、これの弱点は、嫁さんというのはいつも新入り。いつまで経っても下。何十年経っても世代交代するまで続く。

そういうところで、私がうまくやっていけるだろうか?
どうなんだろう・・・今頃になって考えてみる。
私という人は案外のらくらした人なので、そういう点で姑さんと喧嘩したことはない。経営戦略というか、マネージメントはいわば生活必需品的知識だし、そういうノウハウは子どもの頃から親から学んだ。実際のところ働いたことがないので、それがどの程度通用するのかまではわからない。逆に、そういう道に進むのが嫌だから、のらくら研究していたのかもしれない。
商売のつらいところは、人付き合いが仕事に直結するところかも。このため、常に広く浅く、利害関係が伴う関係を潜り抜ける。

大学の半ばくらいまで、順調だったのよね。順調というのはヘンな言い方だけど、私はとても社交的でチケットを売りさばくのも得意だったし、コンパなどの主催も年中頼まれたりするほうで、とても愛想のよい華やかな人だったのだと思う。
それがいつからだろう。そういう自分が急に嫌になってしまった。当時は若いから、いきなりの自己嫌悪。ちやほやされればされるほどそういう自分が嫌になる。なんか急に、自分には本当の友だちがいるのだろうか、などと悩んでみたり。そうなると、昔からの腐れ縁で続いている友達とも疎遠になる。急に、だ。
傍から見ると、やれ大学のお友達やら、クラブの友達やら、年中誰かから電話がかかってくるような生活で、普通の大学生だったのだと思う。そういう友達が増えれば増えるほど不適応感を感じる。そのうちそういう自分というものを誰かにわかってもらいたいとばかりに友達にも相談したりしたけど、理解されない。話せば話すほど自分の弱点をさらすみたいで、次第に嫌気がさす。で、結局、いつも同じメンバーで同じ場所に集まり、酒を飲む。
酒と研究に溺れた楽しい青春時代だった。

表層的な自分と、発散するための場所。いわば自己破壊衝動のようなもので、世間体を破壊しない程度の破壊が続いていたのだと思う。そうしないと息が詰まってどうにもならない。ますます自己嫌悪に陥る。
そういう抑圧が、親だったり友達だったり、もっと語ればカトリックだったり世間だったり、いささかそういうものにどうして自分が抑圧されないとダメなのか理解に苦しんだけれども、歯向かっても無駄なのである。それくらい自分は弱かった。

今はどうなんだろう。
果たして、家は天国だと思う。お金のことは考えないし、嫌な人とは付き合わなくてもいいし、毎日好きなことをやって生きている。大変だと思うのは、娘の送迎くらいのもので、事故に遭わないようにしようとか、それくらい。
外の人と話すと疲れる。たまに情報収集にお出かけしたりするけど、誰に訊いてもそれぞれに意見が違うために、余計に混乱するだけだと思う。子どもの教育のこととか。結局、わが家にはわが家の教育方針というものがあるらしい。日頃は意識したことはないけれども、他人と話すとそうやって感じる。

不景気がどうたらこうたら、生活がどうたらこうたら、何となくすべてがどうでもいい。将来のこととか、不安とか、生きていたら考える。その時、自分が生きているかどうかもわからないのに、何を今から考えろと言うのだろう。つまりは、いささか、そういう要らない種を拾うのも人付き合いだ。
働いていたらまた違うのかも。ネットでまで感謝知らずと言われてしまった。仕事ならね・・・わかるんだけど、ウェブを作製するのも歌を詠むのも仕事ではない。会社組織のように仕事を分担するがごとく何やら忙しくなったとしたら本末転倒。
要するに、縦社会を支えているのは職場なんだと思う。歌人として歌集を出したり、仕事をしたり、ウェブで仕事をしたり収入を得たりするのであれば、おのずと要求されるような感謝の縦社会は存在する。
が、しかし・・・
ちっとも儲からない。趣味なんだから、それが普通なんだと思う。

弟の嫁さんと喧嘩になるのも、姑さんや義理のお姉さんたちと話すと疲れるのも、金が絡むからなんだろうな。自分という人はあまり金のことを考えないで物を言うために喧嘩になるらしい。話すポイントがずれている。よくよく話せば理解にまで至るらしい。
なんかかったるい。よくよく話すほど付き合いたくない。なんてことを正直に書けば、そりゃ誰でも喧嘩になるのだろう。

というわけで、弟が言うには、メールはダメらしい。弟はましなのである。もう何十年も私と付き合っているために、ある程度の下地がある。だから、私が言うことから何かを差し引けばある程度理解できるらしい。その代わり、私に話しても無駄だということは言わない。そうやって考えると、私は頑固なのだろうか?
ぜんぜん。
のらくらしているだけ。
この、のらくらを掻い潜るためには、メールではダメなのだろう。あーいえばこーいわれる、そのためには・・などと考えて文章を書くような人間ではないために、そのときの思いつきで語るほうがましなのだろう、彼は。

おそらくは、高いガードをつくるために、私には知識が必要だったのである。今はどうなんだろう・・・わからない。お金のことしか考えない人を、うちのダンナは学のない人と語っている。きっつ〜い。ああ、そういうふうに彼は私のことを理解していたのだと、今頃になって気づく。
それはまた違う。
学はなくても聖書は読める。聖書は読まなくても学はある。壮絶な違い。
カラー。

エレミヤ書 31. 33-37

投稿者 Blue Wind : 11:24 AM | コメント (0) | トラックバック

September 06, 2004

作歌環境

作歌環境というものについて考えてみる。

イタリアで歌を詠まなかったか?と言えば、詠んでいたのである。ただし、日課のように詠んでいたのではなく、まるで気まぐれに、窓辺にスイカとチーズとビールとノートを置いて、気分よく詠みまくったり、美術館の長い待ち時間に、不意に思い立って書き殴ってみたり。不意に歌が詠みたくなったとしても、ノートを取り出して書くような状態ではなかったりすると、自然とよぎった歌は消えてしまう。
ああ、これなんだなーと思った。そうやって詠んだ歌をサイトにアップしようと思っても、めんどーでめんどーで・・・だから、「発表」という意識がなければ、サイバーにはアップする気にはなれないのだと気づく。

日課なのである。つまりは、歌を詠むこともサイトを更新することもいわば日常生活の一部であり、ご飯を食べたり掃除したりするのと変わらない。だから、旅行に行くと、まったく自分のサイトも見ないし、歌も気まぐれに詠むだけのことであり、そんなことをしている余裕はないのである。だって、24時間娘と一緒だから忙しい。
私は普通の主婦なので、家にいる。そうすると案外一人でいる時間が長い。だからこそ一人でサイトを更新したり、歌を詠んだりするヒマがあるわけで、どちらも一人の時間にすることだから、一人旅ならともかく、子どもと一緒では難しい。

今回、出発前に、真中朋久さんから歌集をいただき、礼状を出そうと思っているうちにそのままになってしまった。
あえて弁解として書かせていただくのであれば、ひたすら忙しかったということ、歌集を読んでから礼状を出そうと思ったこと、メールで書いてもよいのか葉書を出そうか迷ったこと、長い間ペンを使わない生活だったために、何となくそういうつまらないことに戸惑いがあった。

私には遠慮があるのである。何に対して遠慮しているのかと言えば、よく考えてみたらどちらも知らない人たちなのかもしれないし、それでいて知っている人たちである人たちに対しての遠慮である。
真中さんとは面識もなければ、何らかのやりとりがあったわけでもなく、それは不意に届いた。塔の歌人ということで、たまに結社誌で拝見することがあるだけで、自分にとってはテキストの世界の住人である。しかも、自分は塔にはいまだに投歌したこともない。(はてはて・・・・?)

それと、自分は密かに決めていたことがある。つまり、歌評は書くのはやめよう、というか、歌を知らない自分がほかの人の歌について何が書けるというのだろう?
結社では当たり前のことなのだと思う・・・歌評を書くのは。解説のような歌評もあれば、随筆のような歌評もあるんだなーと、うすらぼんやり感じただけで、実はそのどちらのターゲットにもなりたくない自分は、ますます結社とはうすくなりつつある。
それと同時に、歌集は買うものなのだろうか?それともいただくものなのだろうか??師匠に言われて読むものなのだろうか?つきあいで買うものなのだろうか??それとも誰かに贈る代物なのだろうか??
ちんぷんかんぷん・・・

うだうだうだうだ考えているうちに出発となり、聖書と共に『エウラキロン』を持って行くことにした。実際には、フィレンツェからヴィアレッジョへ行った帰りの電車の中で前半を読んだままストップしている。が、しかし、これがなかなか味わいがある。
日頃は乱読、飛ばし読み、など、未読本が積まれているような生活なので、じっくり味わうという習慣がない。それが、旅先で疲れた体で、眠いのを我慢しながら車窓と共に短歌。うたって良いものだなーと思った。歌集の世界自体がどこか異国の世界のできごとであり、縦書きに並んだ文字を眺めながらわたくしは日本人であるとばかりに短歌。たのしかった。

わたくしは、日本人、であって、ジャッポーネではない。

暗黙のうちに、誰も読めない文字の本を読んでいる自分を黙って見ている人たちがいることに気が付く。ジャッポーネである私は少しもめずらしい存在ではないのだけれども、日本の本がとてもめずらしいのだろう。
ウフィッツイの前でも、ノートを広げて歌を詠み出した時、同じような気配を感じた。彼らにとっては、ジャッポーネはめずらしい存在ではないけれども、さらさらと縦書きにわけのわからない文字を書き殴る日本人はめずらしいのだろう。いや、文字そのものがめずらしいのだと思う。しかも、プリントされたものではなく、筆記。
が、しかし・・・ジャッポーネではなく、正確には、ジャポネーゼではないか?なのに聴こえるジャッポーネ・・・

こうやって書くと、国粋主義者のようでしょ?
ちゃう、ちゃう。
言葉は違っても、いっしょいっしょ、というか、うまく説明できないけれども、言葉は違っても一緒だから。

こう、歌壇というのは、自分にとっては対岸の火事であってほしい場所である。結社がどうたらこうたらとか、発表がどーたらこーたらとか、誰のうたがいいのわるいのどーでもいい。あっさり語ると、どーでもいい。
よーするに、何のためにうたを詠んでいるかの違いなのかもしれないし、よく他人の歌を読まないという記事があったりすると思うわけ。歌人は詠むだけでいいんじゃないかなーって。興味があれば読めばいい。好きな歌人の歌を読めばいい。って。読者がほしいのなら、結社への発表を発表とするべきではない、とか。つまりは、外へ出すべきであり、結社は歌壇は内だから。
狭い。

脈絡もなく考えれば、あれこれ書いても書ききれない。
評価をするのは、確かに人間なんだろうけど、歌を詠ませてくれるのは神なんだと思うことがある、たまに。

作歌環境をどのように整えるか?

さてさて、どういたしませう・・・

投稿者 Blue Wind : 01:04 AM | コメント (0) | トラックバック