一日が終わるのが早い。
日曜日、入門式。
月曜日、朝から職場に呼び出され、午後は娘の入塾テスト。
火曜日、つまり今日からデッサンの春期講習開始。朝から娘を教室に送迎。そんなことをしているうちに、WBCでは日本が優勝。80歳のUさんが来て、喜びのあまり血圧が200まで上昇していたらしい・・・(しょうがないな・・)
すっかり、春。
***
入門式は、6名。韓国人のファミリーが3人、ベトナム人が1名、日本人がわたしを含めて2名。
わたしは代母の隣に座り、「呼ばれたから行きなさい」とか、「ここに」とか、彼女が本当にごく自然に母親のように語り、振舞うので、わたしはまるで子どものようだった。わたしの代父母を務めてくれるYさんの奥さんが急病のため、ピンチヒッターで頼んだのだけれども、初対面とは思えないほど親しみを感じた。そして、わたしはすっかり子どもに戻り、わたしたちが皆子どものように感じられた。皆が子ども。老若男女問わず、皆、神である父の子どもたち。
どうして、わたしたちの父、なのか・・・ わたしたちは、皆、子どもだった。
***
塾・・・
わたしは予備校に通わせようかと思ったのだけど、娘が小学校の頃にお世話になった塾に通いたいというので連れて行った。娘の中学時代は受験もなかったし、わたしも仕事が忙しかったので、そのまま放置したまま終わってしまった。要するに、学校が楽しければいいのではないかと。
が、しかし、Aさんに刺激されたこともあるかもしれないが、いささかわたしの周辺のお子さんたちが皆優秀なので、そろそろ娘のこともまじめに考えないと、という気分になる。それでも、小学校の頃とは違い、娘の成績は親が考えているほど悪くもなかった。少し勉強させたら、どうにかなるだろう。
が、しかし、相変わらず、本人は美大に進学するつもりらしい。この就職難に美大か・・・・? (深く考えるのはやめよう。)
入信して、何が変わったかといえば、踏絵は踏めないだろう、ということかも。からだの復活とか、永遠のいのちとか、正直、わたしはあまり興味がなかったので、踏絵の絵というのはいわば偶像だし、そんなものを気にすることはないのではないかと思っていた。
でも、自分の信仰が試されているとしたらどうか?
そういうことを仕掛けていること自体は悪である。が、しかし、悪は悪として、そういうことはどうでもいい。わたしには関係ない。でも、問題は信仰である。永遠のいのちを信じるならば、というより、神さまが人間を生き返してくれるのなら、この世の死は無意味である。逆に、娘を助けようとして、娘に踏絵を踏ませることはもしかすると娘のためにはならないかもしれない?
常識で考えたら、わたしが踏まないのはわたしの勝手だが、わたしの信仰で娘が死んだらわたしは母としては最悪ではないだろうか? じゃあ、踏ませる? でも、その結果、娘が闇に葬られたらどうしよう・・・ 死んだ後に後悔するのではない?
この矛盾・・・
娘が一緒に受洗してくれないかな・・・と思ったけど、すでに高校生になるし、自分のことは自分で決めるだろう。
ただ、娘にも説明したけど、神さまの考える悪と、人間の考える悪とが必ずしも同じわけではないので、わたしが娘のためによかれと思ってしていることが、必ずしも素晴らしいかどうかわからない。
娘は子どもで、自分のやりたいことがあって、わたしは親だから娘の好きなことをやらせてあげたい。でも、姑さんには生産性のない考え方だと言われる。子どもの将来のことを考えたら、何か資格でも取るとか、職業を持つことを考えたほうがいいと言われる。世論だ。そうやって言われると、わたしは単に子どもを甘やかしているだけなんだろうか・・・・ そうかも。自信がない。
(歴代誌下 4. 19-22、 5. 1)
投稿者 Blue Wind : March 25, 2009 02:30 AM | トラックバック