March 21, 2009

遠い隣人

母のお墓参りに、幼馴染と一緒に出かけた。

去年からずっと言われていて、今日になり大雨。午後は晴れたけど・・・ 

いつもは車で行くが、今回は駅で待ち合わせをした。

実際に会うのも10年ぶりくらいで、わたしは覚えていない。母の手術が終わって、ICUにいるときに会ったと言われたが、あの時は動転していて、わたし自身の記憶が飛んでいる。その後、Aさんがたまたま母が転院した先の病院の近所に住んでいたため、ちょくちょく見舞いには来てくれていたらしいが、出くわしたことはなかった。

つくばにも毎月来ていたらしいけど、それはどちらかと言うと、彼女の親友が土浦にいて、交通の不便なつくばのことだから、その友達に送ってきてもらっていたのだろう。連絡をくれたら迎えに行くのに、迷惑をかけたくないから、とよく言われた。

そして今日も、「一度連れて行ってくれたら、後は大丈夫だから(自分たちで行くから)」と、以前から頼まれていたので一緒に出かけた。

考えてみたら不思議な話。でも、あの姉妹にとって、うちの母親は昔から親の次に大事な人で、自分の親のようなもの、親代わり。父親を幼くして亡くし、長男が父親代わりに兄弟の面倒をみていたが、その長男がある事件をきっかけにおかしくなり、わたしが彼女たちに出会った頃には、姉は結婚していたが、妹はまだ高校生、わたしと一つ違い、にもかかわらず居候で、学費にも困るような生活。お母さんもすでに年寄りで、息子の世話になっていたし・・・ 

Aさんは、週に1〜2日、わが家から通学していた。当時、家にはわたしと小学生の弟しかいなかったし、父も母も仕事で忙しく、わたしたちの食事も通いのお手伝いさんが用意してくれていた。Aさんが来ると、誰もいないので何か作ってくれる。チーズオムレツとか。わたしと一つしか違わないのにずっと年上のようだったし、それでいて友達のようでもあり、たまに家族のようだったが、やはり家族ではなかった、としか言えない。母が一人暮らしの独身だったらよかったのかもしれないが・・・ わが家に来て、逆に寂しい思いもしたのではないかと、思う。だから、今でも、弟やわたしにはすごく遠慮がちなところがある。

今日、駅の改札で待っていたとき、わたしには彼女がすぐわかったが、あちらはわたしになかなか気がつかなかった。あまりにも気がつかないので、人違いかと思ってしげしげ見ていたら、ようやく気がついた。ICHI先生の服でも着て、颯爽と待っていたらわかったのかもしれないが、ユニクロのジャケットとジーンズで、ぼーっとしていたらわからないのかも。今でも学生と間違われるし・・・ 

あちらはすっかり口やかましいPTAの母親という雰囲気で、もし間違えたら文句でも言われそうだと、声をかけるのも躊躇ったほど。実際、彼女たちの息子さんたちは皆優秀で、ちょっとわが家は恥ずかしいね・・・そういう意味では。いかに一人娘を甘やかしているか、何となく感じた。

でも、彼女たちを教育したのはわたしの母だし、彼女たちも今日あるのは母のおかげだとずっと言っている。わたしにとっては厄介な親だったが、ああやって苦労して育った彼女たちからすると、頼もしい人だったのかも。彼女たちにとっては、母の言うことはいつも正しくて、わたしにとっては、母の言うことはいつも押し付けがましかった。

でも、3人で姉妹のように昔話や近況に花を咲かせていると、懐かしさで涙ぐむ。母が亡くなる1日前に、彼女たちの問題の兄も亡くなり、わたしにしてみれば、彼が母を一緒に連れて行ってくれたのかもしれないと思った。それとも祖母がまとめて迎えに来てくれたのかもしれないし・・・ そうやって苦しい人生は終わった。

駅に戻ったとき、Kさんの息子さんの家が建築中ということで、今度は3人で反対側に歩き出した。偶然。嫁さんの実家の隣に建築している。わたしはその息子さんには一度も会ったことはないが、帰りにお舅さんに駅まで車に乗せてもらった。なんでわたしまで一緒にいるのか不思議だったが、わさわさわさわさ集団で。

昭和のひとときをすごした。

(ヨハネ 21. 15-19)

投稿者 Blue Wind : March 21, 2009 04:02 AM | トラックバック
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