January 31, 2009

雨が・・・

気のせいかもしれないけど、近頃わたしは元気がない。

雨が降っているだけで外出が憂鬱になる。

でも、そういうときに限って外出しなければならない用事がたまっている。

気分転換に夏の旅行の計画をたてる。

・・・・・・これがまた憂鬱の種になる。

ベトナム・・・

行ってはみたいと思っているが、これがなかなかの犯罪多発地域。大抵はお金がらみの犯罪。

どこへ行ってもそういう話はあるけど、あれではうっかりタクシーにも乗れないし、ホテルや旅行社まで信用できないし、いつも気を張っていなければならないような話ばかり。

まあ、そんなことを言っていたら何もできないし、どこへも行けない。

***

勉強会は、久しぶりに聖書の話。

種のたとえの話。

----この話を最初に読んだのはいつですか?

----???(考えても思い出せない)

----思い出せない? 何年前とか?

----ぜんぜん思い出せません・・・

おそらくは小学校の頃なのかもしれないけど、まるで記憶にない。

そうやって考えると不思議なことを思い出した。ポプラ並木の奥の空き地。小学校1年の頃。途中で学校が変わったので、はっきりそうやって言える。

学校の通学路にポプラ並木があり、その奥が広い空き地で、学校の帰り道、不意にそこに入ってみた。

しばらく背の高い雑草をかきわけながら進んだが、途中で誰かの影を見たような気がして、怖くなって戻ってきた。その影というのは、本当に人だったのかもしれないし、なんとなくシスターのような気がした。近くまで行って確かめたわけではない。

でも・・・・・そんな人がいるわけがない。(たぶん)

でも・・・・自分が親になってみると、子どもがそんな空き地に一人で入って行くなんてとんでもない、と思う。でも、学校帰りにどこかの空き地で遊んでいたり、違う道を行ってみたり、それはわくわくするような冒険だった。

でも、そういう記憶が残っていること自体、よく考えてみれば不思議だ。

家の近くに修道院があったわけでもないし、親がクリスチャンだったわけでもないし、そういう心象が残っていること自体が不思議だということに今気がついてしまった。

それと同時に、いつ聖書を読んだのかなんて、まるで記憶にない。

やっぱり小学校のときかなぁ・・・でも、文字が小さくて挫折した記憶のほうが鮮明。

子どもの頃の記憶なんて曖昧。

そうやっていつ種がまかれたかの記憶もないままに、何年も何十年も経ってから芽が出ることもある?

・・・・・・・そうかもしれない。

もしかすると、何年も何十年もこうやって鬱々しながら、考えてきただけなのかもしれないし、大学よりも長く通っていた大学院はプロテスタントだった。その話をしたことがなかったので、怪訝な顔をされたが、特に宗教を考えて大学や院を選んだわけではない。わたしにしてみれば、どうでもいいようなことだ。

もしかすると知らないうちにプロテスタントの影響を受けているのかもしれないけれど、少なくてもそのときに感じるのは、わたしはあまりにも聖書を読んでいないなぁ・・ということで、カトリックとプロテスタントとどこがどう違うと説明されてもそれは理屈ではなく、わたしの中には匂いとして違うとしか言えない。

神父さんの話によると、テオドリンは古い聖人だから、渡された出版物には載っていなかったし、アナスタシアもweaversの聖人というだけで、新しい聖人カレンダーには載っていなかった。神父さんの話によると、テオドリンは古くは賛美歌を整えた人だったし、アナスタシアはおそらくは大アナスタシアのことだと教えられた。

わたしの場合、考えて決めるのではなく、いつもてきとーに直感だけで決めてしまう。

でも、それでいいと思う。言葉で説明するのは難しい。

神父さんは、スキーにチャレンジしているらしい。理屈でわかってもなかなかうまく滑れない。

ということを説明するためにチャレンジしているのかもしれない。

でも・・・・・スキーといえば、わたしは大学時代、それが原因で怪我をしてまるまる春休みを棒に振ってしまったことがあり、それ以来、やらないことにしている。

これじゃ、話にならんよなぁ・・・

なんか、また考えているみたいだったけど、わたしにスキーのたとえ話をしても、そうなんだから仕方がない。

それより、編物は頭の中ではまるで違うことを考えていても、勝手に手が動いて、ぼーっとしていてもうだうだしていても勝手に編みあがる。しかもたまに間違えたりすると、ぱあ〜っとほどいてまたやり直し。これだって親がしていたわけではないし、気がついたら自然と覚えていた。娘に教えようとしてもうまく教えられない。

頭の中ではまるで違うことを考えている。つまり、いまだに「祈りの友」はろくすぽ読んでいないし、御ミサにも行かないし、洗礼を受けていないから、自分のことは信者ではないと思っている。全然行動が伴わない。

が、しかし、わたしは信者なのだそう・・・

どういうふうなら信者なのか、わたしにはよくわからないけど。

まあ、いいや。

なんか、あれこれ考えると元気がなくなりそうだ。

仕事がたまりすぎている。

いやな季節。

投稿者 Blue Wind : January 31, 2009 03:59 AM | トラックバック
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