March 20, 2006

南極は厳しい

聖書は詩篇に入り、一息ついた観がある。ダビデの詩を読んでいるうちに、詩篇しか読まなければ恐らくは賛美の世界しか存在しないも同然だということに気が付いた。それでも彼の時代は今よりももっと悪い。戦争と略奪と、権力と悪と、弱いものが虐げられ、近東の荒野。雨が降らなければ水にも不足し、飢饉に襲われる。

そういう時代の美しさ。
詩篇というのは、現実があまりにも過酷だからこそ美しい調を持つ。

そういう中、外は春。暖かい陽射しと強い風。夜にはものすごい音がする。
強い風のせいで、トレリスが倒れ、オトがマリが脱走したのに気が付かなかった。まあ、呼べば戻ってくるだけマシか。

それでもどうなんだろう・・・数十年ぶりに『南極物語』を観て、基地生まれのタロとジロは基地から離れることができず、それが結局彼らを生存させた。前半は観なかったので、昔のうろ覚えでしかないけれども、南極に15匹の犬が置き去りにされ、厳しい自然の中で生きる犬たち。

想い出の場所で息絶える犬、仲間を庇ってシャチと格闘する犬、あざらしに海に引きずりこまれた犬、氷の中に埋もれてしまった犬、野生に戻り果敢に生きる犬、・・・・・の姿を眺めながら、うちのオトではすぐにフリーズしてしまいそうだと思いつつ、もしかすると気が付かないだけで、道路に飛び出してトラックにはねられてしまった犬の姿を思い出す。

テンちゃんは生後1ヶ月だとは思えないほど元気がいい。高いところからも平気で飛び降りるし、ベッドの上にもよじ登る。階段から鳴き声がするのでまさかと思ったら、テンが階段を登っていた。2階に寝かせていたら、勝手に階段を降り、途中で転がったので慌てて受け止める。まるで生後3ヶ月くらいの犬に見える。実際、体格でもマリが3ヶ月で1キロあるかないかくらいだったのに、テンは1ヶ月で1.1キロを超えていた。

ペットショップだと、ミニチュア・ピンシャは尻尾が切られているけど、テンは切らなかった。狩りをする際に邪魔になるのが尻尾切りの起源だと言われているが、あざらしに首の鎖をかみつかれてそのまま海にひきずりこまれた犬の姿を見て、尻尾が危険という意味を知る。それでも尻尾のないオトやマリと違って、尻尾でテンの言いたいことや機嫌がわかる。うれしいと扇風機のようなすばやさで尻尾をまわす。

過酷な自然の中で置き去りにされた犬たち。
詩篇の美しさは、過酷な自然の美しさにも似ている。
が、しかし・・・
今さら、うちの犬たちをあんな過酷な世界に置き去りにするわけにはいかない。

投稿者 Blue Wind : March 20, 2006 11:00 AM | トラックバック
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