エズラの書からネヘミヤの書まで読みました。
正直申し上げて、ネヘミヤの時代の神殿の再建、宗教改革の話にはどこか日本の明治時代の王政復古を思い出さずにはいられなかった。幕末の混乱、そして尊皇攘夷・・・
坂本竜馬はかっこいいと思うけれども・・・・すでにわたしにとっては歴史の人。
ネヘミヤが知事をやっている間は律法を守って暮らしていたはずが、廃墟のエルサレムですもの・・・彼がたった25年間留守にしただけで、元の木阿弥。だから国が滅んだのだと言われても、バビロンの捕囚の時代は70年も続いたわけで、その間すでに異国人同士の結婚は当たり前だったし、それがソロモンの過ちだったと言われても戸惑う世代が多かったのでは・・・
う〜ん・・・・
戦前あるいは戦時中なら大変なことになるかもしれないけど、正直、クリスチャンでなくてもすでに現人神(あらびとがみ)という発想にはついていけないのでは。
偶像崇拝という意味ではないけれども、わたしはもはや雛人形を女の子の理想像としては描けない。それは皇太子殿下がジャージを着て皇居を走っているからではなく、今の女性の生き様にマッチしていないと漠然と思っているくせに、親としてはほかの子たちがお祝いしているのに無視するわけにもいかない、という義理のようなものでわたし自身が飾ってきたからかもしれない。
義理とは何ぞや?
う〜ん・・・・
わからない。
今の時代にはマッチしないとは言うものの・・・やはり義理のようなものを感じざるを得ない。
雛人形だけではなく、わたしが生まれた頃はまだ年寄りが健在だったので、祖母の姉妹という人が初孫の祝いということではいはい人形を贈ってくださったり、母の友人が博多人形を贈ってくださったり、女の子の祝い事には人形というのがめずらしくなかった。
まあ、こんなわたくしでも当時は祝ってくださった方がいた、ということが義理なのかもしれないし、父が買ってくれたセルロイドの人形は髪の毛までぐっちゃぐちゃになっていたが、そういう日本人形の類はガラスケースに入れて縁起物として飾られていた。
つまり・・・
それが日本の伝統であり文化だと言われると弱い。
滅亡した国で、宗教だけが復活するというのはまさしく奇蹟なのかも。律法書が読み上げられると、そのときのイスラエル人たちは皆ウルウルしていたという・・・そして、すでに廃れていた幕屋のまつりなどをやって皆で感動する。
それが、あっというまに忘れ去られるというのが、なんともはや・・・
なんとなく親近感を抱いてしまった。