February 11, 2006

質的変化の時代

あと3時間で、トリノ五輪が始まるのか・・・
この前アテネが終わったと思ったら、もうトリノ。オリンピックが2年ごとに開催されるようになってから、どうも落ち着かない。アテネの時にはイタリアにいたため、日本人選手が金メダルを取ったことすら知らなかった。毎晩テレビを観ていても、映し出されるのはイタリアの選手ばかり。それも1,2時間ダイジェストを放映するだけで、日本みたいに1日中トピックとして楽しめるというムードはない。

冬季オリンピックでの日本の金メダルの数は意外と少ない。日本人に不利になるようにルールが改正されるのを見ると、どうしてあんなルールを素直に受け入れるのかわからん。もっと抗議すればいいのに、と思う一方で、ルール改正後も淡々と練習をし、フォームを替えたり、さまざまにチャレンジしていく姿もそれなりに、”いとをかし”という気分。

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オリンピックということもあり、夕食後テレビを観ていたら、バラエティ番組でクラシック音楽特集をやっていた。かしこまったものではなく、皆がよく知っているメロディばかり。今、クラシックがブームというが、ブームの基準がCDの売り上げと音楽会の観客動員数・・・

いいんだけどね・・・わかりやすいし・・・
モーツアルトとベートーベンの比較や、教会音楽であるという点をひとまず忘れてバッハを聴くとかね・・・

いいんだけどね・・・聖書を知らなくても名画の鑑賞はできるというのと同じ理屈なんだろう。
音楽や絵画を鑑賞するために、知識として聖書を読む、ということにどういう意義があるのかわからないけれども、まるで3Dのようにクリアになるものがあればそれはそれでかまわないのかもしれない。いわば、感情移入の世界であり、あるストーリーに感情移入するということにより、その感情をさらに高めるためにそのような立体的世界が必要となってくるのかもしれないし、いわばそういうどちらが背景なのかわからないままに、気がつけばクラシックは子どもの頃から聴きなれたサウンドになってしまっている。

このところの自分を考えると、わたしも同じようなことを求めているわけで、だからこそ聖書を読んで面白いと感じてしまう。

オリンピックも昔と違って、ショーを楽しむという傾向が選手にも観客にも強い。形は同じでも、存在意義が違う。質が変容していく。

投稿者 Blue Wind : February 11, 2006 01:48 AM | トラックバック
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