September 23, 2005

『ダ・ヴィンチ・コード ヴィジュアル愛蔵版』 ダン・ブラウン著

読書の秋。何をせっせと読書に励んでいたかというと、ダン・ブラウンの 『ダ・ヴィンチ・コード ヴィジュアル愛蔵版』 。西洋史が好きな人たちにはたまらない魅力かも。聖杯伝説も死海文書もピラミッドもその他諸々歴史の闇のミステリアスな部分に惹かれるのは本能だろう。

聖杯とか、聖櫃とかね・・・失われたのか初めから存在しなかったのか今となっては謎めいた話は多い。マグダラのマリアが実はイエスの妻だったという可能性についてはあえて否定する理由はない。イエス・キリストが人として肉を持ち、この世に存在していたことを否定する人はいないのだから。

ただ、彼女が娼婦だったという話が捏造されたものだったかどうかについてはいささかすっきりしない。喩えは酷いけれども風俗の世界にも寿退社というのがあることを知り、ネットでしか知らない彼女の現在の生活は平凡に介護士の資格を取り、寝たきりのお年寄りの世話をしているという・・・考えてみれば、聖フランシスコも生まれた時から聖人だったわけではなく、どちらかといえばその反対で、爵位を目指して騎士の姿で出兵していった若者の一人。

悔悛。

こうね・・・この手のストーリーを好んで書きたがるのは、実はプロテスタント系の人たちが多い。大抵は、ローマ・カトリックへの批判がちりばめられている。そういう宗教的対立にあまり興味が持てないというのは、単にわたしが日本人だからなのかもしれないと思うし、西洋史を少しでも学んだ人たちなら歴史や文化というものを通して発生する確執の一つにしか思えないのでは。

これね・・・例えば、聖杯伝説がこんなにも魅力的なのは、フランス人にとってはメロヴィング王朝がイエスの血統を受け継ぐとか、ケルトへ渡ったとか、テンプル騎士団がクレメンス5世により弾圧されたとか、フリーメイソンとか、アメリカの建国のいきさつがフリーメイソンや聖杯にまつわるものだとか、いずれにせよ、日本では卑弥呼の伝説のような吸引力を発揮してしまう何かが存在するからだろうな。たぶん。

それで、イエスの末裔が生きているとして、あらたなる帝国が築かれるとか?(あまりにもイエスのイメージとはかけ離れているが・・)

そうなると、どうも日本の皇室と似通ったものを連想してしまうのはわたしが日本人なのだからなのかも。もういいや・・・というか。仮に天照大神が皇室の祖だとし、そこから大和民族が日本に広がり、その直系尊属が天皇家だとしても、現在の日本の政治を眺めれば、「あ、そうですか」という感じに近い。(たまに思うんだけど、ユダヤ人が近代日本社会をどのように考察するのか訊いてみたい)

そういうキリスト教にまつわるしがらみがないせいか、それが正統なものか異端であるか、そんなものを誰かが決めたとして、それと自分とどういう関係があるのかいまだにわからない。おおげさな意味ではなく、文字通り、わからない。実際のところ、教会に帰属しているわけではないし、わたし自身が信仰心を失ってしまえば、わたしとキリスト教とは明日から何の関係もなくなってしまうだろう。いまでも何か関係があるのかと問われると困ることが多い。

フランスやイタリア、あるいはイギリスの古い教会や美術館を歩くと、違和感を覚えることが多い。うまく説明できないけど、窒息してしまいそうな眩暈すら感じることもある。それはいわば他国の歴史を垣間見ただけにすぎない。宗教があり、歴史があり、社会があり、それらが密接に絡み合い、人がいる。

こうさ・・・わたしは自由なのよ。わたしが求めているのは精神の自由であり、信仰の自由であり、好きか嫌いかであり、理屈を凌駕したものであり、神であり、愛であり、人間であり、目であり、夢であり、星であり、空であり、天であり、青であり、地球であり、さらに静かな愛。

ダン・ブラウンが支持されるのは、狂信を理解していることかも。宗教のもつ良い面、悪い面。さわさわ〜っと怖くなる。これを読んだ後に教会へ行くと癒されるかもね。

投稿者 Blue Wind : September 23, 2005 04:09 AM | トラックバック
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