August 23, 2005

半民半官

公務員の街に住んでそろそろ10年以上経つけれども、無意識のうちにものすごく影響を受けているような気がする。役人根性というのはあると思う。

どこが違うのかといえば、役人というのは物事を阻止するために存在しているような・・・民間の悪に対して抗議するのが使命のような・・・何が悪なのか、その感覚が違うため、深く追求しないほうがよいように思える。

うまく説明できないけど、同じ商品を30万円で売ろうが15万円で売ろうが業者の勝手でしょ? 賃金にも地域格差があるし物価も違う。渋谷に住んでいた頃を例にとると、駅から離れたスーパーで大根1本100円で売っていたとして、ちょっと歩いて駅まで行くと150円に値上がりし、店によっては200円になったり300円になったりする。家から徒歩圏内であってもまるで物価が違う。

この傾向は同じ店での買い物でも、客によって支払う値段が違ったとしても当然ということを示す。一応は定価というものがあるけれども、似たような商品に価格差があり、Aの客には100万円の品、Bの客には25万円の品、Cの客には2〜3万円のワゴンの中から。驚くに値しない。

ところが、少しでも公費が絡むとそういうわけにはいかなくなる。医療費だって医師や病院が勝手に決めてもよいと思うのね・・・技量も経験も違うわけだし。ところが、保険で定められているため、勝手に医療費を決めるわけにはいかない。保険外の治療となるとおっそろしいほど高いために保険の取り扱いをせずに営業するのは無理。このためいつも規制に従わざるを得ない。

日本は煙草が安い。それでもほとんどが税金であり、価格という点でも自由がない。このためライターをサービスでつけてみたり、店によっていろいろなことを考えるみたい。公団がダメになったのも、価格を値下げできず売れ残りが発生し、どうして価格を下げられないかといえば住民の反対があるから。民間だったら考えられないけど、公費が絡むってそういうこと。

景気がよければ、無用な価格競争を抑えるためにはある程度干渉があったほうがスムーズなのかもしれない。ところが不景気になると、どこまで邪魔をするんだろう、という気がしてしまうから不思議。

私立の学校の寄付金にしても、以前早稲田で入試の面接の際に試験官に言われたということが問題になったことがあり、近頃では学校によっては入学後に貼り紙をして寄付を促すようなところもあるらしい。どういう貼り紙かというと、児童の名前の横に何口の寄付があったか書いて貼ってあるらしい。(えぐい・・)

以前だったら、私立は寄付金がないとやっていけない、というのが常識だったためにそんなことがいちいち問題になるなんて考えられなかった。国立や公立だったら予算があるため民間の私立よりも楽なのでは、という発想しかない。ところがこのところの不景気で予算がカットになり、そうなると逆に私立みたいに寄付を募るわけにもいかず、案外大変なのかもしれない。これが私立なら学校の経営努力により生徒数を増やしてみたり、寄付金を集めたり、いろいろ工夫できる。

こう、何と言うか、似たような賃金で似たような官舎に住み、似たような価値観で生きている人たちの中にいると、それはそれで楽なのはたしか。ややこしいことを考えないからかもしれない。

が、しかし・・・・
多少の窮屈さに慣れてしまえば、私立より国立に行く方が学費が安いし、その他諸々公のサービスに甘んじていたほうが財布にやさしい。

対立の中に入るより、あっさり何かを受け入れてしまったほうが楽。そういう柔軟体質ももしかすると民間で培われた何かなのかもしれないけど・・・こんなんでいいのだろうか。

投稿者 Blue Wind : August 23, 2005 01:15 AM | トラックバック
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