遠藤周作の『生き上手死に上手』 の中では90歳以上のお年寄りの話だったけれども、こういうのは年齢に関係がない。いや、関係あるのかもしれないけど、現実には茨城県だと90歳を過ぎてもまだまだ元気な年寄りは多いし、うちの母みたいに60代で寝たきりになってしまう年寄りもいる。うちの母でさえ、「まだお若いのに」と言われるというのが不思議なんだけどね。
この前、実に快調だった姑さんが急にパニック発作になり、神戸へ戻ることになった原因はわたしの母である。会ってもいないのだから母に責任があるわけではない。が、しかし、ある晩急に姑さんが母の見舞いに行くと言い出し、その翌朝どうも様子が変。ハアハア言っている。「まさか・・」と思ったけど、そのまさかだった。
無理なんだよね・・・母の見舞いなんて。鬱(病)なんだから・・・
自分なんて生きていてもしょうがない、何のために生きているのかわからない、死んだほうがマシだ、となる病気。
大体、鬱じゃなくてもダメなんだから・・・・叔母たちでもはっきり言うもの、わたしの母のようになりたくないって。自分では何もできず、ただ生きているだけ。しかも子どもたちに迷惑を掛けるばかり。姑さんなんてもっとはっきり言う。死んでもいいって。寝たきりになるより死んだほうがマシだって。
たまに思うんだけど、わたしは彼女の娘である。にもかかわらず、叔母たちも姑さんもそうやってわたしに言う。そこがまた不思議だ。結局、母がいるから弟はずっと結婚できなかったし、今度は弟が結婚したらわたしが母の面倒をみなければならない。
姑さんが、その昔母がまだ元気だった頃、一番心配し、怒っていた理由はそこにある。もし、わたしが自分の親の世話するようになったら誰が姑さんの世話をするのだろう?ダンナのお姉さんたち??いささかでもそういう不安が広がると皆が一斉に怒り出した。なんて無責任な嫁だろう、と。要するに誰も自分の親の面倒などみる気がない。
というわけで、姑さんが3年前にほとんど寝たきりに近くなった時、結局、老人ホームとかね・・・だったらうちが世話するとばかりに、ダンナが言い出す。それだって自宅で介護するわけではない。それでも息子が世話をしてくれるということで、かなり姑さんは快復し、一時期は体重が30キロくらいまで落ちてしまっていたのが今では43キロある。
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茨城は農家が多いから、年寄りが元気で長生きなんだと思う。なんだかんだ言っても敬老の意識は高いし、年寄りを粗末にしたら何を言われるかわからない。それに一緒に暮らしているし、家族も近くにいるし、そういう点では恵まれている。嫁の苦労という点ではありがたくはないかもしれないけど・・・それでも年寄りには生きていきやすい社会。
ある日、早期癌が見つかり、非常にラッキーな人がいた。ところが、そのラッキーな人は、「農繁期に入院するわけにはいかない」の一点張り。命と農繁期とどちらが大切なんだろう・・・と思う。が、しかし、あっさり農繁期と言われると返す言葉がない。
そっかー、命より農繁期のほうが大事なのかー♪
さっぱりしている。
わたしは、茨城が好きだ。