April 26, 2005

「風マリア」

ブログ名を変えた。理由は、ペンネームの意味を理解したから。

幸田さんはいつも「風マニアさん」と呼ぶ。いつもと呼べるほどコメントを残したかどうか記憶にはないけれども、それも一つの「あれ?」って感じるような印象で記憶の片隅に残る。ペンネームそのものがブログ名というのもありいなんだろうかと、いつも不可思議な気持ちでいた。

屋号。

すなわち、ペンネームというのは屋号らしい。店があれば店の名前が屋号でしょうし、芸人さんならそのまま芸名が屋号。だからペンネームというのは確定申告欄にあるように、一つの屋号であり、組織や会社名と大して変わらないことに気づく。

例えば、田中先生が田中医院を開業し、患者さんが「田中さん」と呼べば田中さんは田中医院そのものであり、院長のことだけではなくもっと広いイメージで使っている。院長は田中先生。「田中さん」は田中医院であり、一つの屋号。

というわけで、屋号「田中医院」、院長「田中太郎」というのがペンネームの由来だということを理解したために、世界観がぐるりと変わってしまい、患者さんにとっては院長の名前には興味はなく、ただ「田中さん」という屋号があればよいことに気がついてしまった。

ということは、ペンネームというのは集合名詞なのかもしれない。

インターネットを始めて、サイト名をつける。ハンドル名を使う。そのうちいくつか複数のサイトやブログを運営するようになる。それでもすべて自分が管理人なので、サイト名やブログ名はいわばタイトルみたいな感じ。作家がいて作品にタイトルをつける。作家の名前は変わらない。でも、タイトルは可変なもの。

そのうち結社や歌壇では本名を使っているために、次第にハンドル名を使うのがだるくなる。これはうまく説明できないけど、非常に疲れる。一人で複数の名前を使いこなせるほどわたしは器用ではない。

しかも、そのうち筆名を考えなければならなくなるとすると、やたらと気が重くなる。

そこにね・・・・「風マニアさん」

ピンと来た。さすがに鈍感なわたしでも・・・

というわけで、ブログ名を変更した。作品のタイトルとしてなら「風マニア」でもかまわないけれども、筆名としては変だ。娘の名前をつけるとき、わたしは本当はまぽちゃんと付けたかったのだけど、皆が反対するのでまほにした。漢字が同じなら読みかたは自由ではないかというのがわたしの主張だったのだけど、あまりにも変だと言われ、素直に直す。

ロックバンドでもあるまいし、マニアさんとは呼ばれたくない。

マリアさんと呼ばれることにもそれなりに抵抗がある。でも、友達の洗礼名を眺めるとマリア・ソフィアとかエリザベトとかね・・・マリア・ソフィアさんは2人いる。となると、わたしが洗礼を受けると、マリア・ソフィアになる可能性もあり、世の中がマリアさんだらけだということを知っているわたしとしてはマリア・ソフィアよりも風マリアのほうが自分っぽい。

そういうわけで、屋号を「風マリア」に変更。

自分で税金を払うという発想が欠如した人生のために、歌集を出版すればしたなりに赤字でも確定申告の手続きから逃れられないことを考えると、筆名というのはそういう手続きのために存在することを知る。

それとどう言ったらいいのだろう・・・今までは、わたしという人がいて、そのパーツとして歌人というわたしが存在していた。でも、筆名をつけるというのは、いわば独立宣言のようなものであり、わたしという人に依存しない歌人が独り歩きすることになる。それが作品を世に送り出すという気分なのかもしれない。

わたしは、白石として作品を世に送り出すのではなく、風マリアとして作品を選ばなければならない。歌壇は、歌人としての力量世界であり、一度読んだ歌を読みたくないとまで言われたことがある。常に新しい歌を詠み続ける力量を試される。つまり、個の世界。

でも、集合名詞として世界を描いたとき、風マリアを構成するのはわたしという個人ではなく、作品である。

・・・・・・・・・・そんなことを考えていたら、歌が詠めなくなるのではないだろうか。
いずれにせよ、2万首までは遠い。来月までに9000首。ちょっと今のペースではきついな。わたしの世界ではなく、風マリアの世界を構築すること。課題。きつい。難しい。いやになるかも。わからん。なんでもいいや・・・おおげさ。おばか。直らん。直そう。今。今、今。今は今。今。(ヒマではない。)

投稿者 Blue Wind : April 26, 2005 03:18 AM | トラックバック
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