⇒トラステへのトラバ: 好きな本との出会い
(驚いたことに、「本・書評・文学」にもお題がある。いつからだろう・・・誰か知っていたらおしえてほしい。)
わたしは小学生の頃、絵を描くことが好きだった。でも、それは人知れず描くのが好きだったというだけで、学校の授業で、鉛筆で下書きして色をつけるというやり方に対しては一種の拒否反応があるような好きになり方だった。授業中、シタジキへのいたずら、コンテや木炭を使ったデッサン、水彩色鉛筆、重ね塗り、そういったパステルで漠とした絵を描くのが好きだった。
それがある日突然絵が嫌いになる。
絵が嫌いになったのではなく、酷く絵を描くことがいやになった。ささやかなことがきっかけ。授業でスケッチをしている時、わたしはどうしても校舎の窓が黒く見えてしまい、いざ色をつけるとどうしても黒しか描けない。不意に友達の絵を見たとき、皆が水色で塗っていたのを見て、わたしはそれ以来絵が描けなくなってしまった。
それでいて、そういう沸沸とした欺瞞はくすぶり、わたしは色彩に興味を覚え、どうしてわたしには黒にしか見えない世界を皆が水色で描くことができるのか、そのことへの沸沸とした不満がわたしをその後視知覚の研究へ向かわせることになった。
わたしの疑問は生きるに必要のない疑問のようで、学校では誰も教えてくれなかった。せいぜい外国語を少し学ぶようになり、言語の世界もまたそのように概念により定められており、同じ言葉であっても違うものをイメージしているようであり、そういう完璧な合致というものがないのはどうしてだろう、とか、誰も答えてくれそうにない質問の答えを求めるために、わたしは多くの書物をサーフィンしていただけのような気がする。
ちょうど高校生の頃だろうか・・・・教科書で中原中也の詩を読み、相変わらず退屈まみれの授業への不満からか、御茶ノ水の本屋さんをサーフィンしていた時、思潮社の現代詩読本1「中原中也」を見つけた。わたしの手元にあるのは、1980年の発行だからすでに廃刊になっている。その時には想像もしていなかったけれども、この本はわたしの宝物である。
中也の詩のみならず、中村稔、大岡信、北川透の座談会から始まり、鮎川信夫、大岡信、飯島耕一、北川透、岡井隆、谷川俊太郎、小林秀雄等の論考や追悼、萩原朔太郎、高村光太郎、中原思郎等のエッセイが集められている。より詳しい年譜。そして、どういうわけか、中也の日記の抜粋が記事の合間に含まれている。
当時は詩人という職業は無かったために、家族を抱え、中也が就職の面接へ行った時のエピソード。
確か昭和十年の頃だったと記憶します。当時兄は、東京牛込市ヶ谷谷町の中原岩三郎という親戚の家の離れに借家住いをしていました。この人は日本放送協会の創立者の一人とかで、放送局に就職するようにすすめました。中也は生まれて初めて就職のための履歴書を書きました。そして、当時の文芸部長の小野賢一郎氏に面接することになりました。初対面です。その時の模様を、後で私が小野さんから聞いたところによって一カットを録音してみましょう。
中也はいいました。
「小野さん、僕に月給取りになれなんて、随分世界は残酷です。母や女房にしても僕に死ねというんでしょうか」
そこで小野さんがいいました。
「放送局に顔を出すだけでいいんです。月給だけは上げますから、でないと、御家族の方も大変心配していらっしゃいますから」
中也が答えました。
「僕は気紛れなことは出来ない性分です。矢張り魔がさしたんです。履歴書を書くなんて、危うく地獄へ転落するところでした」
かくして就職はおジャンです。
(中原思郎『兄中原中也のおもい出----現実生活と詩生活』より)
現実の生活と、生きるに必要ない世界と。それらの間を行ったり来たりしなければならない。「そんなことでは生きていけない」というセリフを、わたしは幾度聴いて育っただろう。自分の子ども時代を振り返ると、どこかぽっかり心に空洞を抱えたままそれがわたしを支配しており、それをいかに具現化していくか、ということがわたしに課せられた課題だった。
中也の詩のリズム・・・・七五調。
このすずろなる物の音に
希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。(中也『春の夜』より)
中也の詩のリズムが七五調だから何だというのだろう・・・
彼が絶対的孤独の中でのたうちまわっていたからといってそれが何だというのだろう・・・
中也の「日記」
1927年6月20日
私は、私に、
甘えてはならぬ。
神様を、試みてはならぬ。
1936年6月20日
詩の分析は、殆んど無意味だ。技巧論といふものは、凡そ蓋然的たらざるを得ぬ、
分る人には分り、歌へる人には歌へるといふことは、当今の如き啓蒙的時世にあつては実に口惜しい限りのことに思へる。
Fantaisie は詩の全部ではあるまい、それはさうだろうが然しファンテジイのないものはすべて詩ではない。寧ろファンテジイは詩の中心部だ。
イメッジしかない詩といふものはない。イメッジだけを羅列した不分明な詩みたいなものといふものはある。
詩はまづ、詩でなければならない。----分り切ったことだと云はば云へ。詩に思想が必要だなぞと云つて生な理論を詩の形で語る奴等があんなに多いのをどうしてくれるのだ?
自分自身であれ。
愚痴が動機で考へることは、しやうもない。
怠けてゐたい時怠けてゐられることは立派なことではあるまいか。
詩に埋め尽くされた中也の脳裡。「詩は俺の生理現象なんだ」と言う中也の脳裡。それがいささか現実離れしたものであったとしても、事実なんだから仕方がない。脳の中が詩に埋め尽くされているだけ。それ以外は地獄らしい・・・それで、詩を通して、彼はいつも神様とお話していた。
誰も分かってくれないから。
人に理解を求めるのが間違っていると、わたしは常々思うのだけれども、実際問題、現実的な生活のことなどを言われた場合、昔の人たちは侮蔑、軽蔑、俗人には分らないという気持ちを露にしていたところがすごすぎる。わたしは孤独にのたうちまわりたくないので、埋め尽くされた脳裡と現実生活とには別のシナプスが形成されているように思う。