ヘンな言葉だと思ってしまう、「友達以上、恋人未満」なんて。きちんと分けないと。
こういうけじめをどこで覚えたかというと、ケンブリッジの夏。仲が良くても友達は友達だし、その代わり恋に落ちたらまるで隠さないヨーロピアンに囲まれているうちに、それが当たり前だと感じるようになった。
男女で一緒に旅行していて、同室になっても友達は友達。誰もそれを不思議に思わないところがすごい。きわめつけが、パリのディスコ。友達同士でパリへ行くことになり、ついでにパリを案内してもらう。
「ジャン・・・あなたって人は・・・連れがいるというのにナンパしてるの?」
日本人なら、グループで来ていてその中に女性がいるなら、その時くらいはナンパを控えると思うのに、パリジャンは違う。一緒に来ていたジャンの友達のパリジェンヌたちは素知らぬ顔。当たり前なのね・・・
逆に考えると、そういう all or nothing 的なところが快適になるから不思議。
それにしても話し方まで違うもの。表情も違う。
いつもの彼はいかにもクールで鼻持ちならないパリジャンという感じなのに、数分後には、わたしが彼女はてっきりジャンの彼女だと勘違いしてしまうくらい、いい雰囲気。紹介してもらおうと思って、ジャンに声をかけたら、あっさり彼女は去って行った・・・ごめんよ〜(泣)。
その後、日本に戻って来て、すべてがバカらしくなった。
恋というのはひと目で始まり、4年で飽きる。そして、いわば発情だと考えれば、その期間が終われば勝手に通り過ぎる。それを繋ぎ止めているのがつまらない駆け引きなのかもしれないし、不毛。
大抵は、性に目覚める年頃に恋を覚える。そうなると性的魅力がすべてだもの、迷っている余地はない。もし好きな人が出来たなら、互いに性的な魅力を高め合うように努力するべきである。失恋しても、どうせ恋ならどこにでも落ちているものだと思え。
問題は、その先でしょ?
恋は誰にでも出来るけど、建設的な関係は誰とでも、というわけには行かない。
だから、いつも「ノー」と言う姿勢と勇気が必要になる。恋なんてサルでも出来る代物。相手なんてどうでもいいのかもしれない。だから、本当に誰かを好きになりたかったら、この部分を冷静にクリアするべきなのかも。
大抵は、恋が始まると、自分のほうを向いていてほしいものだけれど、前を向かせよう。2人で睨み合っていたらどうせつまらないことで喧嘩になるだけ。そうなる前に、2人で同じ方向を見る勇気を持つ。
友達か恋人かなどとつまらないことを考えるのなら、あっさりそんな関係は終わらせたほうがマシ。どうやっても何かどこかが足りないから友達なんでしょうし、そういうのは惰性とか仮に肉体的つながりがあったとしても何か一つ足りない関係。要するに、本当に好きではないけど、仮好き状態?
TPOなのかもしれないな・・・性的魅力もないのに精神だけで恋をゲットするのは無理。それでいて、性的魅力だけでは退廃的怠惰な関係しか生まれない。恋=発情、単なる生理的現象、悲しいから泣くのではなく泣くから悲しくなるのと同じようなカラクリなのかもね。
そんなものだとさっぱり整理すると、ようやく恋愛にたどり着く。
それにしても、友達以上、恋人未満・・・
恋愛一つ満足に出来ない時代なんだろうか・・・あーやだやだ。
* トラステへのトラバです。