February 19, 2005

天然ブルー

時間というのは不思議なもので、わたしがインターネットを始めたのは2000年1月2日。ちょうど2000年問題が終わり、ダンナが新しいパソコンを買ってきたのがきっかけだった。それまでのパソコンと違っていたのは、プロバイダの案内がたくさん画面に現れたこと。一緒にもらってきたパンフなどを眺めながらプロバイダを選ぶ。そのうちAOLが一ヶ月無料と書いてあったのでその場で接続してみた。

今にして考えたら、AOLだからわたしはネットにはまってしまったような気がする。そのうち違うプロバイダを経由したほうが安くなるとなるとそのようにし、そのうちケーブルの接続の速さを考えたら、電話代も要らなくなるとばかりにブロードバンドが普及する前に乗り換える。実質的には数ヶ月くらいだったのかな・・AOLは。

自分でサイトをつくるようになってからは、BBSにレスを書いて遊んでいた。AOLだとすぐにオフ会に誘われる。子育てのサークルみたいなノリの出会い系。でも、濃いんだよね・・・正直。PTAの集まりに参加するのとちょっと違っていたのは濃いということかも。

育児ノイローゼで入退院を繰り返す元子役、軽くはシングルマザー・ファーザー、夫の不倫、妻の不倫、夫の不倫の子を引き取って育てている妻、いきなり7人の子持ち、離婚したいけどどうしよう・・とか。ヤンママ、ギャルママ、写真を送ってもらったら、子どもなのに髪の毛が赤い・・・とか。

チャットの画面だけ眺めていると、とてもまともな会話。今日、どこどこへ行ってきたとか、公園で何があったとか、他愛もない話。それでいて一歩踏み込むと深い。できれば踏み込む前に逃げ出すべきなのかもしれない。

そういうところだから、一度荒れ出すと止まらなかった。

それで、しっかりと鬱と見捨てられ不安を移され、仮鬱状態が始まる。普段はパソコンの電源をオフにしてしまえば終わる。でも、桜ブルーの季節にはそういうわけにはいかない。毎年、桜の咲く季節になると、原因不明の鬱に襲われる。

これがいつから始まったのか、わたしにはわからないけれども、春はどこか出会いと別れの季節だし、新しい環境に慣れるまでそれなりに時間の必要な自分のせいだと勝手に思っていた。桜の花が散り、ゴールデンウィークを迎える頃にはケロッと治ってしまっている。

わたしは生活面においてクリスチャンではないので、イースターを祝うという習慣がない。ところが、自分の精神状態を観察すると、受難の季節に突入するととたんに鬱が始まり、桜の季節には外を歩くのもつらいほどの鬱に襲われながら桜の散るのを眺める。そして、忘れた頃にケロッと治る。去年はそれが梨の花の咲くイースターの晩だった。

ネットを始めて、毎日、日記を書くようになり、恐らくは神父さんのサイトを来訪するうちに、まるで暗号のような鬱の符号に気が付いてしまった。

本当の意味での信仰というのがどういうものなのかわからない。実際、八重桜が咲いていたり、北海道の5月頃に咲く桜の花を見ていても綺麗だとしか感じない。でも、わたしが桜ブルーと呼ぶのは、わたしが生きている場所で咲く桜の花の咲く季節がたまたま十字架の季節だということなのかもしれない。桜の咲く季節になると急に憂鬱になってしまう。

となると、愛が冷え、この鬱々とした気分も自分にとっては歳時記のようなもので、毎年毎年繰り返される行事のような気がしてしまう。春が来て、花が咲き、不思議なことに梅雨の季節には静かに時が流れ、夏を迎える。お休みの季節には、人はウキウキしているほうが普通らしい。

こういう鬱々した気分を吹き飛ばすために、お花見があるのかもしれないし、それすらつらく感じられるほどの桜ブルー。いずれにせよ、時間が解決してくれることのほうが遥かに多い。いずれにせよ、人生における桜ブルーは終わっていることを神に感謝しよう。早く秋が訪れますように。となると、今はようやく梅雨が終わって日照り続きの夏ってことか。それもせつない。

投稿者 Blue Wind : February 19, 2005 02:45 AM | トラックバック
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