February 17, 2005

ゲーテは4分! 『自然科学論』

ことらさんのブログ、イケてるでしょ? 最初は、「新井素子」で検索したらヒット。トラバる。読者登録。その翌日くらいにはいきなり上位(わたしが知らなかっただけかもしれないけど)。更新量も違うし、パワーが違うよね。

わたしは、あまりSFやファンタジーは読まない。その理由についてはウダウダ書かないけれども、空想力や好奇心は人間のパワーの源。そういう意味では、アニメや小説は自由空間、パワーに満ちあふれていると同時に、人間のすごさがそこには秘められている。これがあるから、人類は、科学は、文明は発達してきたとすら感じてしまう。
狭い研究室で、他愛もない実験をしているよりも、何となく楽しい。

その昔、哲学と心理学は相性が悪いらしく、「心理学は哲学じゃないよ」と何度も繰り返し言われ続けた。例えば、臨床の人たちが論文を書こうとしても、ケース・スタディはダメとかね・・・わたしは実験系だったから、なおさら厳しかった。フロイトもユングすらNG。

つまりは、心理学が必死に独立して行こうとしていた時代。

わたしは学部の頃は色彩心理学を専攻していたので、ゲーテを読むのは当然だった。色彩の研究についての始まりがゲーテとニュートン。今はまったく違うジャンルに分類されてしまう二人だけれど、ゲーテのニュートンに対するライバル意識はそれなりだったのかもしれない。
あくまでも主観的な観察を究めるゲーテと、客観的手法を用いるニュートン。この二人の対立がその後大きな流れへと時代や学問を導いた?

フロイトをイメージして心理学を専攻した人たちががっかりするほど、わたしを魅了した世界は楽しかった。一番憂鬱だったのが精神物理学。物理的に存在する世界を色相環などを使い色を数値化する。周波数毎に分類したり・・・しかも、それに対するレセプターとしての人間を研究することが狙いなので、個人的にその色がどのように見え、青い色を見たら寒くなるとか落ち着くとか、色彩感情の研究とかね。

わたしの卒論は、残像実験。面白かった。面色を凝視する時間を決め、見えた残像が何色で、どの程度長く見えるか、さらにそれが何色かとか、さらに黄色を凝視すると光の形でしか残像が見えないとか、紫についても黄色と言う人もいれば、光としか言わない人もいるし、同じような色を見ているはずなのに、それを言葉で表現しようとすると個人差が大きくなる。
もしかすると、物理的には同じ色なんだけど、個人的には見えている色は微妙に違うとか? そうなると白内障の患者さんの研究とか・・・わたしは、緑内障の患者さんまで手がけたこともある。
それがどんどん派生して、知覚そのものの個人差の研究とかね・・・今となってはとても懐かしい。

でも、ゲーテの『自然科学論』は文献として価値があるかどうか、・・・自分的には引用してもかまわないと思うのだけど、臨床系の先生に笑われたこともあった。内観報告自体が廃れていく時代だったのかもしれないし、同じ心理学でもまったくスタンスが違うことも多い。
ゲーテの『自然科学論』は色彩論としては興味深い話が多い。例えば、彼はなんと残像を4分にも渡って観察していたのである!
わたしね・・・ためしに同じような状況下で同じ実験をしてみようと思い、やってみたら結局、普通の人で1分前後、長い人で2分くらい。そのうち何度も繰り返すうちにその持続時間が長くなる。
ということは、ゲーテがいかにマニアックな人間であったか、それだけでもわかるような気がするくらい”4分”という数字には深い意味がある。

最初のうちは、個体差よりもそれを統計的に処理するわけだから数値化するためにサンプル数が必要となるけど、それをどうやって分類するか?という点がとても難しい。そんなことをウダウダ考えているうちに、どんどんはまっていく。気が付いたら色彩心理学から大きく離れていくことになった。

こんな話、読む人たちがいるかどうかわからないと思いながら、懐かしいから書いてしまった。


■ 関連書籍

著者: ゲーテ, Johann Wolfgang von Goethe, 木村 直司, 前田 富士男, 野村 一郎, 高橋 義人, 水野 藤夫
タイトル: ゲーテ全集〈14〉自然科学論―色彩論
著者: ゲーテ, Goethe, 菊池 栄一
タイトル: 色彩論―色彩学の歴史
著者: 大山 正
タイトル: 色彩心理学入門―ニュートンとゲーテの流れを追って

投稿者 Blue Wind : February 17, 2005 06:31 PM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?