December 05, 2004

厳しさと朝

この前、病み上がりのダンナがボウリングを始めたと思ったら、一緒に通っているうちに急に娘が上達してしまった。ボウリングなら娘の友達も一緒に連れて行けるくらいの軽いノリで始めて、たま〜に週末に出かける程度だったのに、もう150くらいのスコアを出すようになっている。正直、わたしはすでに娘にはかなわない。
最初のうちは、プロ・ボウラーの人も娘にマイ・ボールはまだ早いと言っていたのに、今回ボウリング場でスタンプを集めるとマイ・ボールをつくってくれるというキャンペーンがあって、勝手にスタンプを押してタダで娘のボールをつくってくれた。小学生なのに11ポンドを投げているし、握力を測ったらかなり強いので、いきなり12ポンドにしたらと言われたらしい。茨城県はジュニアのボウリングが強いので、チームに入って将来はプロ・ボウラーになるなど期待されている・・?

子どもっておもしろい。受験はどうした、お絵かきはどうした、と思っても、父親と二人で両立させればよいと言っている。この前までケーキ屋さんになりたいと言っていたのに、すぐに変わる。大学に通いながらプロ・ボウラーの資格を取ってもいいし、要するになんでもいいんだな、と。
今は大学生も就職難だし、何でも才能だから、やっておいて損はない。やりすぎて腱鞘炎になったり学校に行かなくなるというのでは困るけど。一番やりたいのが絵の勉強、二番目がボウリング、とかね・・・まだまだ出てきそう。一つのことしか出来ないというより、いくつもやりたいことがあるほうがいい。まだ小学生。

短歌は、娘の将来の夢みたいなもので、最初は復学待ちをしている間のひまつぶしネットで詠み始めただけだから、どうもこれに本気を出してという気持ちにはなかなかなれない。でも、気が付いたら、わたしは歌人らしい。
どこにそのラインがあるのかわからなかったけど、実際に僅かのことでも出版物に自分の歌が載るとなると、自分の儲けにはならないにもかかわらず、物が売れるとか売れないとか、そういうリスクを背負っている人たちがいる。そうなると厳しく言われる理由も何となく理解できるようになる。
あくまでも趣味なんだけど、自費出版ではないし、毎日のように夥しい数の出版物が売り出され、その競争を考えるといかに大変かが何となくわかる。出版社や編集者は遊びじゃないもんなぁ・・・
そのうち、自分の歌集を出して、とか?
そういう希望はあるけど、まだ実感が湧かない。娘が美大へ進学する頃になったら、彼女に表紙絵をなどと思ったりもするけど、これではまるで亡くなった都立大の加藤先生のようだ。お嬢さんが美大の受験に失敗して2浪している時、ご自分の出版物の表紙にお嬢さんの絵を使っていた。その際、「娘はこれがすごいことだというありがたみがまったくわかってないからね」と笑いながら言っていた。
家の中にいると、何となくすべてが家の中の出来事にすぎない。

でも、まあ、なんと言いますか、主婦は気楽。ネットでも、趣味で描いた絵だからとぽんぽん気楽に送ってもらう。仕事がどうたらこうたらとか、出版がどうたらこうたらとかまるで金のことを考えない。だから、最後には釘を刺されてしまう。友達はノーギャラ、ほかの人はダメ、って。
ネットって、基本的に無償配布の世界だから、うちのサイトでアップしていたら、ほかの人が使いたいと言い出しても無理はないような気がする。無償と有料の区別が難しい。
それに素晴らしい素材屋さんはたくさんあるし・・・そういうややこしさがあるから、無償の素材を使っているほうが気楽になる。

最初から売れないとわかっていて出版する人たちの意気込みって何なんだろう。ある人に言わせると、僅かでも自分の描いたものが売れるというのは楽しいらしい。実際にはたばこ銭くらいの儲けだろうと思うんだけど。
言われて岡本太郎の本を探しているうちに、ユングの言葉にたどり着く。何となく「これだ!」と思った。それでいて、臨床系にはまるで縁がなかったために、あのややこしい世界観をアートとして眺めるというのは悩ましい。
まあ、岡本太郎にはたどり着けなかったけど、とりあえず自分的には来年の作歌の目標が見つかった。人の縁って不思議。

などと先々のことを考えているうちに、今年ももうすぐ終わろうとしている。インターネット歌人としてやってきて、今年は結社のほうにリンクしてもらったり、題詠マラソンに出場したり、毎日平凡にネットを日課にしているだけなのに、どんどん世の中の流れに巻き込まれる。
来年はそれが単行本になるらしい。少し知り合いに配ったり、老人施設や病院で歌会をしているところに寄贈しようと思っている。ヘンな話、少しヒマになったら、そういうところへお手伝いに行ってもいい。短歌や俳句はリハビリに効果があるということで、かなりメンタリスティックにはきついかもしれないけど、仕事ではないし、ボランティア。自分もいろいろ勉強になるだろうし・・・

最後には自分もパタンと母のように倒れてしまうかもしれない。その時までの時間つぶしかも。それを考えると、自分には時間がない。やりたいことが多すぎる。

吹きすさぶ風の音さえ子守歌ねんねんころりフレンチ・ジャズさ
まどろみに外の音さえ切れ切れに厚き外壁風を防ぎぬ
雨よりも風よりも今聴いているフレンチ・ジャズはいつもの音色
窓うなる悲鳴のような朝の風陽の訪れぬ今日の始まり
もう少し最後の台詞考えて仕舞いに歌のいづる朝かな
蒼い闇今が夜だと言われても気づかないほど朝は遠のき
闇の中閉ざされる朝風の音厳しき冬の訪れだよ、と。

投稿者 Blue Wind : December 5, 2004 06:32 AM | トラックバック
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