September 24, 2004

単調な日常のなか落雷は庭のもようを描きかえてゆく

回心前のフランシスコ・・・・・・・・
大学ってところは新入生が入ると、相変わらず神の愛がどーたらこーたらから始まっているんだろうな。飽きずに懲りずに神の愛。墓に入る頃になってからあれこれ心配するよかいいか。

しょぼくれたわれの未来をおもうより吾子の未来の楽しい秋よ
彼方より呼び声ひさし秋風は空を真白に落雷の音
歌詠みは楽しいものかと吾子は訊く。「別に」と答え淡々と詠む。
ラジオから横浜球場夕立と流れる声と真白き空と
落雷に向かって走る窓の外並木まじりの外灯怖し
稲光白き空には雲さえもくっきり浮ぶ夜空を走る
夕暮れの空にも似たり落雷に浮んだ夜の雲を見つめる
魂の死なないうちに歌詠みは沈んだ歌を空に浮かべり

めんどーだと思っても詠んでいる。雨が降っても雷鳴ってもネタにする。同じ庭、同じ景色、単調な日常。

フィリピの信徒への手紙 2. 12-18 共に喜ぶ

慣れた庭慣れた夜空の雷鳴は蒼き世界を白夜に変える
これでもかこれでもかって青空は違った雲を空に浮かべる
闇夜には見えぬ雲さえくっきりと生きているよと稲光みる
くりかえしくりかえしつつ空の雲笑っているのか泣いているのか
単調な庭先の花くりかえし生きているよと微かに笑い
単調な日常のなか落雷は庭のもようを描きかえてゆく

似たような学生がまた教室に退屈そうに座っているかな
まじめな子眠っている子逃げ出す子枝毛を切るのかノート取るのか
直前にノート回して神の愛紙の愛かとありがたがって

使徒言行録 14. 8-20 リストラで

同じ人間なんだよなぁ・・・・
もう、自分たちとは違うと思うだけでうれしい。安心する。

フランチェスコにはフランチェスコの愛し方があるし、マザーテレサにはマザーテレサの愛し方がある。

愛し方が違うんだよなぁ・・・

むずかしい。

凡人は、神の愛ではなくて、神への愛を観察している。神の愛がどういうものかより、神への愛を観察しているほうが興味深い。愛の深さ。通りすがりにも、ん?って思うほどの愛の深さ。すとんって落とされてしまう。

箴言 17. 9-10

もう、これでもか、これでもか、と神さまを愛しているんだけど、かたちなき愛の世界だから、こころしかない。
なのに、みんな、神、を描こうとする。
神を知ろうと努力する人たちは多いけど、むりなんだな・・・

紺碧の空に浮んだ聖人。

投稿者 Blue Wind : September 24, 2004 11:50 AM | トラックバック
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