September 02, 2004

地球は狭く、空は広かった

サンダル2足、イタリアに捨てて来た。

8月11日(水) 成田空港、第一ターミナル。ローカルなので、時間が余る。ミラノ・マルペンサ空港。さらにローカルなので、ローカルな国内線のロビーで再びひまをもてあます。そして、さらにローカルなペルージャ空港。私たちが最後の客で、追い出されるように空港は閉められた。
アッシージィ。大聖堂の前を通って宿屋へ。あまりにも明るいので、それが大聖堂だと気がついたのは翌日だった。
大通りに面した部屋。真夜中だというのに、子どもや犬の声が通過する。

8月12日(木) 朝の鐘で目が覚める。通りには掃除する人たち。朝食室へ行っても無人。窓から向かいの家の屋根を眺めていると鳩の群れ。壁の中に消えた。よく見ると、壁に小さな穴が開いている。
娘の目が腫れているのに気づき、アシジで一番最初に行ったのが、薬屋。(途中、『聖フランチェスコ像』が通りに立っていた。)ひとまず宿に戻り、大聖堂へ。入り口を入り、階段を下り、作品を観ながら中庭を一周し、さらに階段を下り、順路に従い外へ出る。さらに広場を抜けて下ってしまい、そこから宿へ戻ろうとして迷子になる。壁の石に穴が開いていて、そこにも鳩。
12時にはコムネ広場。(途中、『聖フランチェスコ像』は消えていた。)派手な鐘の音。反対方向へ歩く。サン・ルフィーノ。そこから地図を見て、ロッカ・マジョーレ。近道と書いてあったので階段を上がる。悲しい。さらに坂。やっとたどり着いたら修復中。でも、階段を上がる。真っ暗な、人がようやくすれ違えるくらいの石の中を歩き、さらに階段。360度のパノラマは疲れて座る人たちで埋め尽くされ、しかも狭い階段を下りなければならないために何となく座りっぱなしの人も多い。

8月13日(金) 鉄道の切符を買いに駅へ。マテオーリ広場からバスに乗る。サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会へ行くつもりでさらにバスに乗ったらアシジに戻ってしまった。仕方がないので、そのままアシジを一周して駅を通過し、次に皆が降りるところで降りた。
しばらく歩くと教会。明るく静かな世界だった。お昼。ポルチウンクラは陽を受けて、闇の中にも光。光の下に座りたかったけど、床の上には数人の人たちと、椅子には寝ているかのようにうつぶせた人たちが座っていた。何やら立ち去りがたいものを感じたので、娘を座らせ、私も反対側の席に座る。気が付けば、皆が祈っていた。しばらくそうしているうちに、私の隣にひざまずいて祈る人が不意に現れたので驚いて眺めると、狭い部屋の中は祈る人たちで埋め尽くされていた。
娘を起こし、(というのはポーズは祈り人であったけれども、彼女が言うにはとても眠たくて寝ていたのだそう。)教会の出口へ向かう。何か後ろ髪を引かれる気がして戻る。強烈な光がポルチウンクラの横。私はその中に入りに戻った。
午後、サンタ・キアーラ。皆の後を着いて、階段を下りた。何気なく小窓を覗いたとたん、静止した世界の中に横たわるシスターが眠っているのが見えた。
夕方、サン・フランチェスコ大聖堂の購買へ向かい、日本語の小冊子と小物を娘のために買う。
ちなみに、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会のすぐ横にバス停があることに気がついたのは、帰りのバスに乗ってからだった。

8月14日(土) アシジ駅。ベンチの隣に座ったおばあさんはラテン。言葉は通じないのだけれど、言葉が通じてしまう。3人で、サンタ・マリア・デリ・アンジェリを眺めながら、「ポルツィウンクラ」。急に静かになったと思ったら、一枚のカードを眺めている。「パッパ、マンマ」。おそらくは、聖フランチェスコと聖キアーラの絵。家族の写真を持ち歩くようにいつも持ち歩いているのがわかる。それくらい古い。ミラノから一人で巡礼。

プロローグ。
空は狭く、遠い。

フィリピの信徒への手紙 4. 21-23 結びの言葉

そだそだ・・・パラッツォから行け、だった。

投稿者 Blue Wind : September 2, 2004 11:42 AM | トラックバック
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