July 05, 2004

一滴とまた一滴と雨が降る雨はひろがる水たまりかな

地上に、そんなたくさん父親がいたら迷惑だから。わたしの父は父、天の父は父。まったく違う。ましてや、あの人がわたしの兄弟と言われた日には、同じ墓には入りたくない。こうやって地上は分化していく。アンチ中央集権。

母の容態が悪化し、転院は延期しました。みんながホッとしているという・・・弟にしてみれば、母を見捨てるのかとなるし、父さんにしてみれば、旅行すらやめようと言い出す始末。つまりは、留守の間に何かあったらどうしようとか、責任と良心の問題なんだと思う。誰も何も言わないと言っているのに、人間は、社会はややこしい。

これはよいことだよなぁ・・と思って何かをしても、その結果、誰かを苦しめる。まとも。

治療の必要性のない人をいつまでも置いておけないと言っていた医者は、治療する口実ができたので、今度はさらに前回同じ症状が出たときと違ったやり方であれこれやってくださるそうです。たしかに経営者(院長)がかわって、儲からない患者は追い出さなければならない。何か口実があれば、そういうことをしなくてもよい。なんかね・・・

容態が悪化して、そちらのほうを心配しなければならないはずなのに、何かどこかが違う。

よくわからないけれども、こうやってすべての人たちが罪によって裁かれないことが大切なのかも。罪のない人なんていない。

なんで、神さまはいつも沈黙しているのか、何となくわかりました。

こうやって批判的な内容を書いていて、罪悪感はないか?
シエナのパリオは、競馬に勝ったら復活できると言っている。本気なんだもの・・・だから今でもそのためのミサをする。そうなると、まるで罪悪感なんてないです。むしろ、純朴な人たちの素朴さに良心の呵責を覚えてしまう。それでいて、ミケランジェロは好きだ。救われる。

こんな話をすると、また誰かが踏み絵の話を持ち出す。踏み絵を踏んで殉死なさった方の純朴さには打たれるけれども、わたしなら、あっさり踏みます。紙を踏むだけだから。そういうことに縛られることのほうがよほど罪だ。それにより裁かれるか?みこころの風は吹く吹く・・・

葬式のことから、何から何まで決めて、もうこちらに来れば、あとはのほほんとしてたらいいのよ、というところまできて、また母にはやられた。

結局、すべての人たちが裁かれないためにジーザスは来た。
だから、わたしのジーザスはもはや十字架の上にはいないです。
わたしの目から見たら、軍人のように並んだ聖人像も静かな聖人のイメージを破壊するという意味で罪だし、わたしのジーザスをローマ兵のように銀の杖にして振り回しているのも罪だ。(なんか文句ある?)博物館の美術品は貧乏な教会に払い下げるとか?(うそうそ・・)見るために、何時間も並んでいるのもかったるいし、どこへ行っても入場料なんだもの。それだけで、そこの地区、国は潤う。(たぶん)金があるからよいってものじゃないでしょうけど、何となく・・・つくばの教会にピエタくれたら、わたしも明日から行って、働く。(何にもできないけど)←これ、撤回。あれこれ文句言うと、そのとおりになっているところが怖い。その恐怖を知らない人たちは幸せだと思う。学食に冷やし中華というのはわたしではないです。

ミケランジェロは、ジーザスを十字架から降ろしたかったんだと思った。

エゼキエル書 26. 15-21

誰でもティルスのようになりたくないと思うほうが普通だろう。ティルスのようになりたくないから、栄誉栄華を求めて神をおそれてきた。
その名残なんだろうな・・・
ボッティチェリは、見事に晩年は狂ってしまった。あんなに彼の作品は愛されているのに。
憐れみのない世界なんだろう。

沈黙の時代の春はせつなくて語らぬ愛に憐れみのあり
誰がために沈黙しせり梅雨の日はドライな風の音は鳴る鳴る
暑き日は夏のようだと思いしも蝉の鳴かない今はまだ梅雨
暑き秋蝉とこおろぎ鳴きたれば忘れた「冬」にこおろぎすわる
暑い日は単に「暑い」と言うだけだ。夏か秋かも梅雨もわからぬ。
虫鳴けば季節はめぐり花は咲く。それさえ今は身勝手な庭。
今は初夏。薔薇のまほろに咲きたれば紅き薔薇なら咲き終わりたる。
紫陽花の予定どおりに咲き終わる。気ままな薔薇はうららかに咲く。

中世の装束を着た男の人が、おしゃぶり咥えて歩いているのが復活なんだろうか。たのむよ・・・

ガラテヤの信徒への手紙 4. 1-7

子、なのね。わかったようなわからないような・・・「あなたがたは相続人なのです」。引き継ごうと意気込みのある人と、そーでない人がいるだけのことなのかも。

こーなぁ・・・相続権争いなんだよね。ジーザスを認めるとか認めないとか。最初から自分には関係ないと思っていたら、関係ないのよね。

「ジーザス・マイ・ラブ彼氏なの」
友だちとか彼氏というのは、そういうわずらわしさはないから。

誰がママでもパパでも関係ないよなぁ・・・

ジーザスが、「僕がキングです」ってやって来るか?
ない、ない。
あんなに静かな人はいないと思う。
底なしの湖よりもまだ静か。底なしの湖があるかどうかは別として。

能無しなんだろうな。沈黙しているほうがすっきり。

教会なら大変なことでも、何もないと何もない。

荘厳にひかりかがやくひかりよりしずしずとしてしずまる夕陽
幻のかたくシュールに漂えばこなごなくだく水面のひかり
一滴とまた一滴と雨が降る雨はひろがる水たまりかな
雨は降る空は遠くと水面にはひろがる紋を不思議にながむ

テトスへの手紙 3. 1-11 善い行いの勧め

聖書と議論してるのよ。あーでもない、こーでもないと、よく続くよなぁ・・・

昨日の分の聖書をカットしようとしたら、サーバが落ちてる。抜かしてはいけないということなんだろうか。なんでも順番。

投稿者 Blue Wind : July 5, 2004 10:37 AM | トラックバック
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