June 30, 2004

泡のよう生まれはじけるいのちなら虹をとじこめ気ままにながむ

というわけで、また日程を変更します。どうせローマへ行っても、ミケランジェロのあかんべを見て帰ってくるだけだと思うので、それなら素直にフィレンツェで遊んでいるほうがよいと思うのです。それから、リビエラ経由でコートダジュールへ向かい、シャガールやピカソを見てきます。どうしてコートダジュールの明るい太陽なのか、自分にも少しずつわかってきました。気分と気風の問題なんでしょうね。誰でも自分を救わなければならない。あっけらかんとルネッサンスからコートダジュール。そのほうが自分っぽいし、シモーヌ・ヴェイユがどうしてアッシジに行ったのかわからないけれども、あのラインというのは精神の自由を求める人たちには薬なのだと思います。自分が求めているのは、信仰の自由と精神の自由。信仰の自由というよりも、精神の自由。スピリチュアル・フリーダム。魂の解放。

使徒言行録 27. 13-26

とどまればやすき道筋風吹けば嵐の日さえ窓を開けたり
夜が来て風が過ぎると朝が来て昨日は嵐とわれに告げゆく
一度しかない命なら思うまで気のすむまでとひねもすはすぎ
あの世まで合理的にぞめぐらせば対立仮説つねにはだかる
泡のよう生まれはじけるいのちなら虹をとじこめ気ままにながむ

詩編 51. 12-15

投稿者 Blue Wind : June 30, 2004 02:03 AM | トラックバック
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