May 30, 2004

快復に向けて

久しぶりにレゲエなどを聴きながら、明るいリズム。どちらかと言えば、ぐったりしている。疲れていると言えば疲れているのだろうし、元気だと言えば元気。

母の病室へ行き、肺炎後だし、相当悪い状態を覚悟していたんだけど、どういうわけか予想に反して、母は元気だった。弟のほうが疲れてぐったりしている。こういうのは、精神的な問題なんだろう。
どうして元気かと思ったかと言うと、目が違う。今までも薄目を開けたりして目は開いていたのだけれど、どこか焦点が定まらない混濁した目というか、目が見えず、必死に耳で聞こうとしているというか・・・あくまでも雰囲気なんだけど、そうやって何かを訴えようとすると苦しげに咳をし、「死にたくない」、あーでもないこーでもないと必死に生きようとする者特有の苦しみというか、寝たきり老人の病室へ行くと、必死にぜろぜろ咳をしていたり、苦しそうにしていたり、重苦しい空気が流れていることが普通であり、ひたすらこちらの精神が鬱へと突っ走ってしまいそうな重苦しさが母にもあった。
それが今回、実に静かなの。まずは咳が減ったとか、目が澄んでいるとか、それだけでも違う。加えて、必死になろうとすればなるほど丸まって開くことも困難だった手のひらがす〜っと開き、手を開いたら皮膚がボロボロと剥けて、垢なのかもしれないし、皮膚が弱って落ちてきているのかもしれないし、そこだけは長い間拭くこともできずに放置してあった手のひらが開いた。
最初に、人差し指を立てて微かに動かそうとしているのに気が付いた。そうやって指先が動くことだけでも不思議。わたしが母の手を取り、手のひらをゆっくり開き、少々匂いのする手のひらの皮膚をボロボロとシーツの上にこぼしていると、母がわたしの手を握った。
これね、何と言ったらよいのだろう。手が丸まっていると、自分の手をそこに入れることは可能なんだけど、そうではなくて、握手にも近い感覚というのかしら。つまりは、あちらからも反応がある。
しばらくそうやっているうちに、息が静かになる。そこで、少々無理をして、母の手のひらを開こうとした。すると、とても苦しそうな表情になり、見ていられなくなった。
つまりは、動かないものを動かそうとする痛みなのかもしれないし、リハビリの痛さなのかもしれないし、ほとんど硬直していたのだから、それをほぐすだけでも激痛が走るのだろう。
が、しかし・・・そうやってこちらのリアクションに対する素直な反応というのが、わたしにしてみれば不思議。
元気な人なら当たり前のことでも、今までならいくら触っても伸ばしても痛いという反応すら出ない。出るのだろうけど、鈍い。
つまりは、そうやって何らかの正常なリアクションがあること自体がもはや奇跡。

ソーシャルワーカーの人と面談を予定していたので、そちらへ向かうと、どういうわけかいないはずの主治医がいて、カルテのデータを見せてくれた。数字が2日前から快復している。わたしが見ても詳しいことはわからない。でも、ダンナが一緒だったので、数字を眺めながら、予後がかなりよろしいことが何となくわかった。
胃ろうにしたほうが予後がよいとか、いろいろあるのでしょうけど、わたくし的には、その数値の快復が2日前だったこと、そちらのほうに驚いた。
寝たきりやぼけ老人の場合、家族のケアなどでずいぶん快復が違うというけれども、特別なことは何もしていない。顔も見ていない。にもかかわらず、うちのほうで介護しようと思ったとたんに数値が快復している。
単なる偶然と言われてしまえばそれまでなんだけど、今までの母の状態を考えると、もともとが普通ならオペの適用のある状態でのオペではなかったし、生きていることが奇跡と言われたし、すでに快復することすら諦めている状態で、4年半。ダンナにもこれは植物状態ではないとはっきり言われた。
言われたってことはね、彼は言わないけれども、半ば母のことをそのように考えていたわけで、そのように言われても思われても仕方がない状態が続いていたし、それについては諦めている。
が、しかし・・・・
もしかすると、車椅子に乗れる状態まで快復する可能性はある。今の母の状態では、首が座らないし、上体を起こすことすら不可能だ。痰を誤飲して肺炎を起こす可能性すらある。唾すら飲み込めないのだから、痰を喉から吸引するしかないわけで、それすら放置していたら窒息してしまうではないか。

すでに栄養は直接管で胃へ。点滴ではない。消化器を動かすことが大切らしい。喉は痰を取るために開いている。そういう状態でもほかの肢体が元気な人たちはたくさんいるらしい。
医療のことはわからない。
母をこちらに移したら、少しずつリハビリに病室に通おうと思っていたけど、聖書を開いたらパウロの説教。
母の病室へ行って、説教の意味を知る。
確かに誰が何をしたわけでもないのに、この母の激変を考えると、奇跡が起こったとしか思えない。ダンナも出来るだけ早いうちにこちらへと言っているし、今の病院でも予め受け入れ先があるならそれまでは転院しないで置いてくださることが決定。
まさか、ほかの患者さんをいきなり追い出して母を入れるというわけにはいかないから、数ヶ月は待たなければならない。本当だったら、今日明日にも移動させたいくらい。だってそれくらい状態が安定している。せっかく転院が決まっても、肺炎を起こしたり、ほかの病気が併発したり、容態が変わることも多いし、何があるかわからない。つまりは、運を天に任せるしかないくらい転院というのは実は難しい。

期待してしまうと、後になってそれがダメだったときの反動が大きいからあまり期待したくないけれど、これはひょっとしてひょっとするとかなり快復する、かも。
生きているだけでも奇跡と言われて、3年も経過すると皆諦めているわけなのです。いつ死んでもいいや・・というか。それがそのまま今まで生きていたのだから、それを考えると、それがここまで快復したということ自体がミステリアス。
ぜろぜろ状態で、がむしゃらに生きる、という意気込みも母から消えて、今は不思議と静かに見える。今までは、行くとどつぼの鬱に苦しめられていたのに、今回は癒しをいただいてきました。

投稿者 Blue Wind : May 30, 2004 07:56 AM | トラックバック
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