April 30, 2004

ご機嫌な日

コンポが新しくなる。ご機嫌。
いっそのことBOSEの一番良いやつにしてやろうかと思ったけど、オトくんにオシッコをかけられた場合のことを考えて諦める。おちびが小さい頃にはあれにこれにといくつ破壊されただろう。やっと被害が消えたと思ったら、オトくん・・・
今まで、SONYのラジカセタイプを床の上に置いて使っていたので、まったく置き場を考えていなかったという・・・だって、また同じタイプにしようと思って買いに行ったから。テレビ用に接続してあるKENWOODのコンポもあるけど、いつの間にかCDが使えなくなってしまっているためそのままになっている。これはあまり音は良くない。結婚した時に出窓の棚にも置けるようにと買ったもの。小さい。
それとは別に自分専用のCDプレイヤーが生活必需品。今のままでも不自由はないんだけど、床置きにしておくとオトくんが何をするかわからない。困った。今度のONKYOのコンポは、少々スピーカーが大きいことをのぞけば、この音でこの値段。キッチンのカラーと同じコーディネート。前回買ったCDラジカセとほとんど同じ値段という・・・あれにこれにと店員さんに説明を聴きながら、生活スタイルが微妙に変化したんだなという気がした。
わがままなのよね・・・・ラジカセタイプでしかも音をよくしろというのは。どうしても重くなるし、MD付きだともはや外では使わない。おそらくはせっせとコンピューターに接続しながらそれをせいぜいポータブルにする時には本当にポータブル。ウォークマンタイプが主流なんだろう。それかパソコン相手に音でも聴くか。
だから、ラジカセタイプは自然とすたれてしまい、動かさないならコンポが今の主流らしい。それでいて、あまりにもコンパクトでデザインが凝ったものは音が悪い。しかも値段が高い。あまり小さくしないほうがコストが安い。毎日使っているとどうしても消耗品。このところずっと調子の悪いCDプレイヤーに我慢していたのだということに気づく。音が途切れ途切れになったり、音が出なかったり、仕方がないからCDプレイヤーのご機嫌に合わせて選曲していた。はー、それを考えるとこちらの意思どおりに機械が動いてくれるというだけですこぶるご機嫌。よく考えたら当たり前のような気がするんだけど、どうもこのところ無意識のうちに我慢しながら機械とお付き合いしていたらしい。

音もなしに歌を詠んでいると何となく詠んでいるという気がしない。にしても、「歌人」っていったい何なんでしょう。とりあえずは肩書きになるんだということに気がつく。下手な歌でもとりあえず結社誌に掲載されていくとなると、「へえー」くらいにはなるらしい。自分の場合は遊びで詠みはじめただけなので、気楽な世間話のつもりで話していたら、それがしばらくたたないうちにどんどん状況が変わる。
娘の担任の先生と『サラリーマン川柳』の話をしながら、あーこっちのほうがおもしろいなーなどと勝手なことを思いながら、おもしろおかしく悩んでみたりして。あっさり語れば、癒し系。歌人をやっているのがどうして癒し系かといえば、おそらくはこの辺の土地柄とも関係しているのかも。100点が当たり前の土地柄で、逆に農家の子のほうがいやがって越境しているという・・・それでいて、さらにこの辺でも隣の小学校へ越境している子もいるし、年中アメリカとイラクの対立みたいに新住民とか旧住民とかでドンパチやっている土地柄だから、父さんが医者で母さんが研究ガツガツやっているとなると何となくね。父さんが医者で母さんが歌人なら両方にノラクラしていられる。一番楽なのは娘かもしれない。

そういうわが家の事情は別として、本人はすでに歌人をやめて散文詩にしようかとも思っていたりする。それでいて、すでに手は勝手に歌を詠む。その時々の気分というものがあるから、その歌がよいとかわるいとか、はすでにどうでもいい。
「癒しがほしいのはわたしのほうなんです。」
あっさり語れば、古いプレイヤーで好きな曲が出ないで我慢しているというストレスに気がつくのは、新しいコンポを買ったからであり、古いものを使っている分には案外気がつかないものなのかもしれない。というわけで、今日のあたしはすこぶるご機嫌。歌でも駄文でも言いたいことがスキッと言えたらそれだけでご機嫌。自分的には他人がどう言おうともご機嫌。日々日日をどうやって幸せに過ごそうかと思えば、つまらないストレスは貯めないに限る。
それでいて、一番困る質問は昔から、「愛って何?」という質問。精神系のウェブなどを管理していると、どうしても愛に飢えたる者の世界。大真面目に悩んでいたりする。だから、日常を書けと言われてしまう。
聖書のサイトなどを眺めると、こういう時にはどこのページなどと書いてあったりするけど、それよりも短歌に限らず、毎日のうだうだなどを考えながら、何となく気が向いた聖書のページを開く。毎日一分でもいい。おそらくは、そうやって一人になることにより、自分が静かになるのかもしれない。要するに、自分で自分を救えないから誰かにしがみつこうとする。そして、他人のエゴに振り回されたり。そういうおばかな時間を削除し、自分のために使う。
それは何も特別なことではなく、ごく日常の一ページに過ぎない。楽しいよ。

投稿者 Blue Wind : April 30, 2004 12:01 AM | トラックバック
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