April 23, 2004

あくせく遊ぶ

昨日は疲れた。歌をアップする気にもなれない。とりあえず、日本聖書協会と村松恒平さんと友達から朗報が届き、それはそれでどことなく象徴的な気分。つまりは、プロの人たちだから。
聖書を出版するのも仕事だし、編集者も仕事だし、友達のほうはアート系の人たちが集まって、文化芸術振興基本法の制定に伴い、その署名と来月タレント議員がやって来て懇親会があるらしくそれへのお誘い。将来的に歌集を出版して、それを売るとなると、そういうお付き合いが大切になって来る。これではまるで仕事だ。まあ、うちの娘が美術方面に進みたいと言っている以上、彼女がそれで生計を立てていけるように礎を敷いておくのも親の仕事かもしれないと思いながらも、めんどーでめんどーで。そういうややこしいことはほかの誰かにやってほしい。

そんな気持ちのままそれはそれで歌にする。そして、パッと開いたら、ダニエル書。四頭の幻の獣の話。めっちゃくちゃ面白い。たまたま昨日届いた朗報が、聖書、文学、文化芸術振興基本法、だからかもしれない。それと同時にウイルス感染を装った偽装メールが届いており、世の中にはそういうことをわざとするためにサーバごと感染させたり、パソコンを感染させたままにしておいたり、まめな人もいるために、放っておく。つまりは、恐ろしい4番目の獣の正体は自然科学なのかもしれないなどと不意に思いながら、それに生えた新しい角とは人工知能や遺伝子なのかもしれないと思いながら、それら4つの王国---- 宗教、文学、法律、科学 ----が揃ったときに初めて旧約聖書へ立ち戻り、新約聖書へ進むのかもしれないと何となく考えているほうが楽しい。
アダムの罪・・・・つまりは知恵の木の実を食べたこと。それがどうしてこんなに恐ろしいほどの罪なのか、人間のやることを観察しているとわかるでしょ?宗教による迫害の時代、文学・学問、法律や政治、そして遺伝子の組み換えやらクローンやら原爆落としてみたり、サルのやることはすごい。それでいて、結局は聖書に書かれていることをそのまま実証しているような気さえしてしまう。
聖書も翻訳する人や書き手の問題があるのかもしれないと思った。
ダニエルの時代に、今の時代を想像するなんてことは不可能だ。そして、夢の中で幻を見る。そして、それを誰かが解釈しようとする。そして、それを記録に残し、誰かがイメージして翻訳する。情報が正しく伝達するなんてことは、どんなに忠実に誠実に行おうとしても、人間である限り無理だ。しかも、それを読んだ側の問題もある。同じことを読んでも見ても感じ方がまるで違うのだから。
アダムの罪を贖ったのが、イエス。
これってすごく重要なのだと思った。つまりは、復活を信じるか?ということでしょ?
自分に限って言えば、まるきり信じてる。それは、今のサイエンスの状況を観察すると、もしかするとそんなに肉体が復活するということは驚くことではないのかもしれないと思いながらも、まるで似ていないクローン猫の話や、性格も違うというし、要するに何が言いたいかというと、同じ肉体が復活しても、同じ人間にはならないということかもしれない。
一人一人記憶も違えば、お付き合いしている人も違うでしょうし、おそらくは考えていることも違うかもしれないし、まるきり同じ人間ということはありえない。
あっさり語れば、同じ人間であるためには肉体以上の何かが要求されるわけで、そこまでいってしまうと、サイエンスだけではにっちもさっちも。
聖書はやさしい言葉で書かれているけれども、それがいちいち根拠のあることだと思いながら眺めてみると、だったら最初から神さまの言葉だけあったらいいということに帰着してしまう。2000年前に聖書を読んだ人たちと今のあたしとが同じことをイメージしているかどうかは不明。それでいて、結局は、何となく、「お父さんの言うことをきいていたら、こんなに苦労しなくてもよかったのに」みたいな気分に陥ってしまう。あっさり語ると、これは自分の本音だから。親の反対を押し切って研究やって、結局、今は普通の主婦をしている。楽しいよ。プロということで考えると、あたしは働いたことはないけれども、自分のやりたいことをやりながら生きているわけで、慌しくペーパー読んでいるより、今は自由に読める時間もある。あれこれ考えているのは楽しいけれども、いざ仕事や課題となるとそちらを優先しなければならないのが社会であり、プロであり、つまりはプロではないからこその気楽さもある。仕事だとなかなかこういう風にはいかないもの。
誰だってそうかもしれない。特にアートの世界の人たちならなおさらかな。自分のニーズより取引先のニーズのほうが優先される。そういうジレンマを抱えながらやっているのかもしれないし、そこであえて自分を押すと仕事が回って来ないとかね。そりゃ、団体に所属して、チケットの販売から宣伝まで組織がやってくれるのと、個人で活動を続けているのとでは全然違う。昨日たまたまそういう話をしながら、ぼんやり。
一生懸命に売る苦労するより、自由に遊んでいるほうがいいよね。普通はそういう風になりたいから金が欲しいと思ったりするのではないの?遊んでいるわけではないけれども、あくせく売るより遊んでいたい。

投稿者 Blue Wind : April 23, 2004 11:16 AM | トラックバック
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