March 31, 2004

Solitude with God

おそらくは、ドッグ・イヤーのネットにおいて、ようやく時効を迎えたのだろう。ジャンキー葬というか、実際に亡くなったわけでもないのに葬式をやる。果たしてこんなことが赦されるのだろうか?というわけで、わたしは酷く怒っていたのだけれど、ようやく赦しが出たらしい。自分などにはそういうことをする理由がいまひとつ理解できないのだけれど、何か個人的には深いものがあったのかもしれない。それと同時に、いかに憐れみというものがない人たちが多いということにも、殺伐とした中で、うすら寒いものを感じていた。
最後のハゲに対するトドメはあたしが刺したのかもしれない。実際のところ、付き合いないから具体的にどういうことになっているのかはよく知らない。まあ、この世界・・・つまり、ネット社会においては、実体の欠如した人たちや噂はよくある話で、誰の言うことが本当なのかわからないとなれば、大抵は妄想が働いており、そうなると、常に一方通行社会だということを念頭においておかないと、妄想に巻き込まれてしまう。精神系のウェブなどを徘徊していると特にそういうことになる。精神系のウェブじゃなくても、多いから・・・ネットは、ジャンキーが。ネット・ジャンキーというのは病気だからね。逆に、病気だから、ジャンキー化するということも大いにありえる。

というわけで、たしかにさっぱりしてしまいましたね。
ネットというのは、基本が匿名の世界だから、あたしなんて、最初は実在の人間だと思われていなかったのではないかというか・・・つまりは、ネット人格とかね、その手の類の人間だと思われていたらしい。それこそネット演劇論ではないけれど、男なのに女になりきってしまうとか、複数の人格を演じていたり、どうもその手の類の人間もいる。理解に苦しむけど、その人格になっているのが癒しなのかもしれないし、それとも単に手頃なコミュニケーション・ツールにしているだけなのかもしれないし、臨床系は特に多い。
孤独と絶望の世界の住人だから、そうなると諦めるしかない。でも、歌人などは、そういう孤独と絶望を備えているくらいのほうがよい歌が詠めるような気がするけど、もしかするとそれは錯覚なのだろうか。これまたよくわからない。でも、寂しいから歌を詠む人が多いと、これまた昔誰かが言っていた。

『時空短歌』の前身は、たしか『宇宙時計短歌』と言っていたような気がする。どうしてそういうことになったのか、何度か説明してもらったけど、今でもよくわかっていないかもしれない。登場人物がいささかややこしいからでもある。いずれにせよ、誰がやっていたにせよ、短歌を宇宙(ウェブ)にあげようというシンプルな試み。それと同時に、ハンガーサイトなどのクリック募金サイトをアピールする。
これはね、よいことだと思ったわけ。クリックするだけで寄付になる。それだけで、飢餓の子どもたちが助かるなら素晴らしい。たまには国連もまともな提案をすると思ってしまう。つまりは、インターネットの普及に伴い、世の中が動き出したということなのかも。
『宇宙時計』は、9.11テロより前からやっていたから、テロの影響をモロに被ってしまった。あたしのささやかなサイトでさえ、結構、嫌がらせがあった。テロが発生してね、もうそれだけで、募金サイトを見るのがいやになってしまうらしい。気分の問題なんだろうな。TBSなどで地雷撤去のキャンペーンなどをしていて、それにより少し状況が変わったと思う。坂本龍一さんの活動もそれを支えていたのでしょうし、いざとなるとアートの世界の住人はパワーがある。
というわけで、テロとは何の関係もないままに、「みんなで戦争を無くそう、飢餓の子どもたちを助けてあげよう、愛と平和」。それがどうして恋の短歌になってしまうのかそこがまたよくわからないけど、要するに誰でもいいわけさ、素人でも歌人でない人でも、みんなで歌を詠んで、それをコンテンツにする。そこにクリック募金のバナーを貼ってお配りするだけ、という活動は続いていた。ほとんどが自分でサイトのつくりかたも知らない人たちが多かったから、それだけでも自分のサイトのコンテンツになるし、どんな歌でもそれが綺麗なイラストと共にアップしてあると、それなりに見えるからうれしい。
それがどうして『時空短歌』になってしまったのかも、実はいまいちよくわかっていないけど、一つにはテロが発生したために、そういう活動そのものに対して圧力があったこと、クリック募金というシステムが単なる広告であるために、広告収入に依存している無料サーバの場合、利害関係の不一致があるということ、それに対しての嫌がらせが発生していたこと、ジャンキーが暴れていたこと、その他・・・いろいろあらーな、という理由があって、名称が変化したのかもしれない。(もしかすると違うかもしれないけど)
あたしが有料サーバを借りるきっかけになったのも、実はクリック募金の問題がきっかけ。だって、いきなり違反行為と言われてサイトが見えなくなったり・・・有料サーバを借りる金で募金をするほうが合理的かもしれないけど、ウェブには普及効果があるし、それと意地かな。

まあ、このようにして考えると、実は短歌でなくてもよかったのかもしれない。でも、矛盾はなかった。短歌というのは実は誰にでも詠めるものであり、いわば千羽鶴のようなものだ。みんなの願いを乗せて飛ぶ。上手な人もいれば、あたしみたいに初めて歌を詠む人もいる。それを、宇宙にあげる。平素は恋の歌でも何でもいい。でも、いざテロだの戦争だのとなると、ダ〜ッとそういう歌が多くなる。がんがんに連歌ではないけれど、それこそみんなの歌が集まる。個々人の間でもそういう歌が詠み交わされる。

それがいつしか変化した。その理由も、実はあたしにはよくわからない。歌人リストをつくるようになってしまったかもしれないし、匿名ながらも本格的に歌を詠んでいる人の投稿なども雑じってきていたのかもしれないし、自分のように歌壇や結社のことをまるで知らないと裏事情にも詳しくない。ただ、あれこれあって、うちのサイトにもどこかの結社の人から嫌がらせがあり、しかも『時空短歌』からの流れの人だと知る。実際問題、『時空短歌』にどのような歌人がいたのかよく知らない。その中でごく少数の人たちとお付き合いしていただけだからだ。だから、もともとが歌人ではないし、知らない人ともお友達と思われてしまうことが苦痛だったために、歌人リストからは外してもらった。結社みたいに最初から組織化されている世界だという認識があれば違うのかもしれないけど、そういう帰属意識は持っていなかったし、単なるサイトのコンテンツくらいにしか考えていなかったから。ちょこんと交じっている分にはかまわないんだけど、リスト化された中は困る。
こう、あらし騒動が勃発して、次々と膿が出る。自分が結社へ行こうと思ったのは、そういう騒動がめんどーだったのが一つと、匿名ということにうんざりしていたのと、選者さんのところに歌を送ってみたかったのと、歌の数が増えたから少しは本格的な歌を詠んでみたいと思っている頃だったのと、単なる流れ。が、しかし、実際に『時空短歌』の膿は、そういう結社関係のしきたりみたいなところから出ていたような気がする。なんせ、歌を発表するという意識がメインになってしまうと、名前を売るとかさ、インターネットがメディアとして話題になっているとかさ、「はあ?」という・・・・
あっさり語れば、活動のテーマや本質が変化してしまっているという事実に、主催者側の人間ではなかったあたしには理解できなかった次第。付き合いは長いのだけど、そういうふうに主催に回るのは好きではないために、逃げモードだからね。そんなの知ったこっちゃねーという。無責任。だから言われるわけですよ・・・何もしないって。だって関係ないから。
もちろん、派手なコンテンツをつくるより、テキスト系の歌のサイトのほうが自分の好みには合っていたし、短歌だけ詠んでいるほうが気楽だから、というのが大きな理由。ところが、主催者に言わせると、短歌は、単なる「短歌部門」らしい。「はあ?」これにも悩んだ。つまり、根底に、最初の理念というものが失われ、歌人に活動をのっとられるのがいやだったのかも。
どうしてそういう流れになるのか理解に苦しんでいるところに、いきなり主催者が亡くなる。「はあ?」(なんで、「はあ?」なのかはともかく・・・・)

とりあえず、神父さんのサイトへ行ったら、短歌関係は、2001年のコンテンツだけリンクしてあるので、つまりは2002年以降の活動は無視してもかまわないのかもしれない。神父さんの場合は、常に隊長は神さまなので、2001年はよく、それ以降はダメということになる。2002年以降に、実際にどういう裏事情があったのかあたしは知らない。いいよ、シンプルで。他人のことをまるで考えないというのは。目標は、Solitude with Godなのだろう。一人にならないと神さまは見えないらしい。だから、一日一時間でも一人で歌を詠んで神さまとお話する。

投稿者 Blue Wind : March 31, 2004 07:00 AM
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