March 29, 2004

キリンの夢

弱肉強食社会をどうやって生き延びるか?
簡単だ。キリンのように逃げる。
アフリカのサバンナの写真を眺めながら、午前中を過ごす。サバンナの中には肉食獣だけが暮らしているわけではなく、草食動物も多い。もしかすると、草食動物のほうが種類は多い?ライオンみたいに肉食だと、結局、狩りをしないと飢える。でも、草食だと天が養ってくれる。
朝、いきなりキリンの夢で起こされる。このため、ヒマジンはこのことで悟りをひらく。
こーね、『パッション』ではないけれど、ジーザスの受難を考えると、ムカムカするし、胸が痛む。なんて酷いことをするのだろう、人間なんていつの時代も変わらない、とかね。ローマ人兵士の姿を見たら、ペチペチやりたくなってしまう。つまりは、ゆるせない気持ちでいっぱいになる。そして、憐れみの歌を詠いたくなる。
ロッシーニの世界ではないけれど、どうしても自分にはそういう感覚がインプットされているのかもしれない。茨の冠、鞭、血まみれのジーザス、磔刑。恐怖すらある。でも、それをそのままでは、うまく説明できないけど、おそらくは旧約聖書の世界になってしまうのだと思う。とにかく、戦争や飢餓や病気、憐れみの世界。ヨブ記などを読んだら、サタンにはムカムカしてしまう。この世から消えてなくなれって思う。でも、これではダメだ。どうしてダメなのかというと、やっつけたくなっているから。暴力に暴力で報いていては、いつまで経っても同じことの繰り返し。だから、癒しが必要となる。

臨床というか、カウンセリングの世界は、それこそ極悪非道の世界というか、根底に誰かを恨んだり憎んだり、愛の欠如した世界がある。誰かが簡単に言う、「何らかの理由で子どもの頃に親の愛が足りなかったんだよ」と。大抵はそうなんだよね。足りないだけならともかくDVとか、幼児虐待とか、それこそ親のエゴにより弱い者が犠牲になる。そういう肉食獣のような弱肉強食的躾を受けると、それが当たり前だと思ってしまう。実際に暴力を使うかどうかより、ある意味、力により無理やり子どもを自分の思い通りにしようとか、思い通りにならない子どもに暴力をふるうとか、それでも子どもは親に愛を求めるし、少しでも親に愛されたいとかね・・・正しい愛を知らずに育つ。
こういう人たちを相手にしていると、こころが殺伐としてしまうし、精神が枯渇してくる。
憐れみ・・・
が、しかし、癒しを求められるのもいやになる。癒しがほしいのはあたしのほうだと逃げる。だって、だんだん自分のほうがヘンになってしまいそうで。弱肉強食が当たり前なんでしょうし、ライオンにキリンが説教しても無駄だから。つまりは生きる世界が違うのだろう。同じ大地に住みながら、世界観が違う。

というわけで、キリン。なんか、すっきりしてしまった。ライオンに同情するより、ライオンを見たら逃げないと。天敵だ。しかも、キリンは武力を持たないし、食われて怒っても無意味。たまたま描かれていたジーザスのイラストがキリンに似ていると思っただけなのかもしれないし、この平和な感覚を「麒麟」にしてはいけないのだと思う。あれは伝説の動物だ。本物のキリンはアフリカで草を食みながら生きている。全然イメージが違うよね。
肉食獣に生まれてしまったらそのように生きるしかないのだろうし、弱い者は逃げるしかない。敷地の狭い動物園では、獰猛な動物は檻に入れられているし、今は知らないけど札幌の円山動物園では、キリンや象に動物せんべいをあげても怒られなかった。それくらい違うよね。子象となると、タイだとホテルの中を散歩している。触ったら黒い髭のような体毛に覆われていて驚いた。ああなると、毎日子どもたちと記念撮影だもんね。

サバンナの生態系を眺めるように、人間を眺めると、すでに怒りというものは消える。どうして世の中には悪いヤツがいるのだろうとか、戦争はなくならないのだろうとか、あれにこれにと考えても意味ないのかも。キリンは逃げるしかない。サバンナにはいろいろな動物がいる。そのように地球を眺めると、雑食だからね・・人間は。いろいろなヤツがいるのだろう。それが善か悪かは人間が決めることではなく、人間が決められるのはルールだけだ。ルールを超越して、どのような生き方を選択するかは人それぞれなんでしょうし、一つわかっているのは、生き残るために肉食獣のような生き方をしなければならないというのは嘘だということ。いきなりベジタリアンになろうという気はないけれど、サバンナを思わなければならないのかもしれない。サバンナの動物たちがどのように生きているのか。
血まみれの残虐性を眺めるように聖書を眺めるべきではなく、キリストの受難を考えるときも肉食獣のようではなく、静かなキリンとして眺めなければならないのかもしれない。キリンなら高い木の葉も食べられるし、食べつくさなければまた自然と与えられる。与えられる生き様。獰猛に狩りをしないと生きていけない生き様もあれば、与えられる生き様もある。与えられながら生きる。そして、逃げる。

投稿者 Blue Wind : March 29, 2004 06:07 PM
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