マタイによる福音書 20の途中から終わりまで
聖書は読むものではなく、見るものなのかもしれない。
それでいて見えるものは少ない。
ぽっかりとなにかがくうに浮かびゆくくうはくのなかてんはちじょうに
おびただしひかりのいぶきくうはくに黄紫のひかりのように
かこまれしひかりのいろもきがつかぬわれらの生きるひかりありしも
箴言 29. 1-27
あった・・
イザヤ書 31. 1-3 エジプトに頼るな
おなじことなおくりかえし今日もまたプラモデルすら売れない時代
端末を操作しながらうたを詠むみゃあびなネット今日もつづきぬ
なおそれが愚かなことに見えるだけ二重螺旋はうつろうもがな
終焉はこだちにきゆる満月の三日月となりほそぼそと浮く
十六夜はためらいがちに出る月のゆきももどりもできぬ磁石か
まだ明日があると思えば不如帰神戸の冬を知らずに鳴かめ
コリントの信徒への手紙 2. 6-16 神の霊による啓示
投稿者 Blue Wind : March 27, 2004 02:00 AM