March 22, 2004

テンション

どうして急にアフガニスタンの話題になってしまったのかというと、アクセス解析を見ていたとき、検索から来た人のログからgoogleを開き、どういう言葉で検索してうちのサイトへ来訪したのか調べるでしょ?で、そこのページを開いたら、「マスコミでは報道されないアフガンの実情」というページを見つけて、飛んだのがきっかけだ。たぶん、聖書の中の言葉が検索に引っかかったのだろう。検索で飛んできたくださった人たちにはいつも申し訳なく思う。おそらくは、サイト内検索をしないとすでに目当てのページにはたどりつけない。それでいて、「細木数子」で検索してうちのサイトに来た人にはもっと申し訳ないと思ってしまう。
という具合に、検索のキーワードを見るのが楽しみになってしまっている。それで何気なく中村哲さんの講演の記録を見つけた。そのまま記事をリンクし、読んでしまった。
一番興味深かったのは、250円の薬が買えないで亡くなるのに、弾丸が8円で買えるという記述だろう。つまりは、ソ連が撤退した後の内紛を支えていたのが、アフガン難民を救うために各国から援助された数百億円だったのかも。なんというわかりやすさ。実際には、アフガンの中でも比較的裕福な人たちが難民となる。神戸の震災のときでも裕福な人たちは落ち着くまでのんびり温泉や大阪のホテルにいた人たちが多かった。それと比較してはいけないのかもしれないけど、戦争が勃発すれば、危険だから疎開するのは当たり前の話であり、イランへ行く人たちが多かったから、アフガン難民というと黒い装束のイメージがある。つまりは、イラン人の服装を真似している。実際のアフガンの人たちはもっとおしゃれでカラフルだ。難民というとどうしても暗いイメージがあるけど、戦地では暮らせない。
そして、アフガニスタンに残ったのは兵士や貧しい人たちだ。そして、金が入る。そうなると、次の戦いに備えて武器を買うのはごく自然の成り行きだったのかもしれないし、どうして薬も買えない人たちがロケット弾を持っているのか不思議でしょ?で、外国が撤退し、母国に金がなくなったのを見て、ようやく難民たちは故郷へ戻り始めた。
こう、すべてをマスコミのせいにしてしまうわけではないけれども、どうしても日本のマスコミなどは親米感情のほうが強いために、一方的になりがちだ。テロはたしかに悪だけれども、薬がなく、水もないところでは、100万人がパタパタ亡くなる。日本だったら抗生物質だけで助かるような病気で亡くなる。下痢や肺炎でも死ぬ。それで、診察所はいっぱいになり、あまりにも患者さんの数が多いために、診てくれないとか、イライラした人たちが怒ってロケット弾を打ち込む。スタッフが亡くなる。まあ、日本でも日本刀を振り回しちゃうような人もいるわけだし、それと似たような感覚なのかもしれない。自分が助からないとなったら、何をするかわからないような人たちはどこの世界にも存在する。
が、しかし・・・・・ロケット弾・・・・・・・・
日本人だったら、とりあえず精神科のほうへ入院というケースだろう。
でも、それが日常であり、そういう人たちだからこそ、お金が入ったら武器を買い、部族間抗争が終結しない。同じアフガンなのに、部族が違うと思えば敵だ。自分が死にそうになるとロケット弾。そういう人たちを誰が制圧するか?結局、タリバンが台頭した事情には、こういう治安の悪化があり、そういう人たちを武力により抑える。それにより、どうにか治安が保たれる。
こうした過酷な現実の中で、明るい・・・
そりゃそうだよね、ようやく戦争が終わって、家族が揃って暮らせる。次々に襲いかかる不幸。戦争や病気で家族を失った人たちも多い。自分だっていつ死ぬかわからない。そして、希望に向かって歩き始める。子どもたちに平和をたくす。荒野の祈りかあ・・・あまりにも美しく、尊厳に満ち溢れている。ただ単に生きているというだけなのに、すべてに明るさと尊厳がある。
が、しかし・・・・日本にだっていまだに無医村はたくさんあり、こんな茨城でさえ大きな病院ができればあちこちからやって来る。80歳の女医さんが、自分が死んだら医者がいなくなるからと、今でもせっせと勉強会に参加している。ついこの間まで、僻地、だったわけだから。自分的には今でも僻地だと思っているけど、どこも赤字のために、いつの間にかここも僻地ではなくなったそう。自宅は東京で、勤務や開業だけ茨城という医者も多い。都内では儲からないから、父さんだけ山梨という人もいたなあ・・・
まあ、なんでもいいや。うちはうちなりに、そういう僻地の中で、全教科100点が当たり前の学校へ娘を通わせいている。80点とか90点なら悪い方じゃないよね?本気で悩む。なのに、うちみたいなぼーっとした娘は学校のレベルを下げているのだそう。本気でそうやって思っているんだから、話しても無駄。100点取らなくても気にしないのが、うちの娘とはるちゃんとか・・・癒し系だ。どこかの女子校にでも入れて100点取らなくても叱られないとか、寄宿舎へ入れたら9時消灯だから夜は勉強してはいけないとかね、それが普通じゃないか?学校から戻ってきてから3時間は勉強するとかさ、夜遅くまで子どもが塾へ通うとかさ、それって子どもに夜中に水汲みをさせているようなものではないだろうか?
言っても無駄だから諦めよう。それでもつくばはマシなのだそうだから。実際には、そういう家庭が少ないところが値打ちなのだそう。親がガツガツしていない。子どももうららか。それでも、100点が当たり前らしい。うぅ。
アフガンの子どもたちの水汲みの写真を見て和む。小さいポットとかね、ジョウロの水を運んでいるような感じ。子どもたちが遊びながらみんなで汲みに行く。汲んで来ると、お父さんやお母さんに褒められる。「まほちゃん、ありがと〜〜」って言ったら、うちのちびなどは単純だから毎日でも汲みに行くだろう。なんも考えとらんから、素直っていいなーって思う。
なんか、こう、悩む。
シスター新庄は寄宿舎だったから9時以降は消灯でトイレの中で勉強していたという・・・アメリカの家庭だと子どもは家では勉強しないのが普通らしいし、あたしもあまり親から勉強のことをガツガツ言われたことはない。逆に、親と遊びに行って、退屈して本を読んでいたら叱られたことは数多ある。つまりは、遊ぶときには真剣に、というか、カード一つにしてもそっちのほうが気合が入る。
悩む。
80点とか、90点くらいだったら、「間違えたところを見直しておきなさい」が普通だよね?うちの娘、頭悪いの?悩む・・・・
アフガンの医学部の講義の写真。机がすでにノートを載せられる程度の大きさしかないもの。だって、要らないから。ペンも紙も貴重品。本がないからメモを取らなくてはならない。それでいて、金がないとその場で覚えるしかない。だから、机の上が落書きだらけ。ちなみに、娘に言ったら、机の上に落書きすると先生に叱られるらしい。当たり前か・・・・自分の学生時代と比較して悩む。たまに出席しても、友達と忍者のように抜け出す。私語が当たり前のうるささの中では、そっちのほうがマシなような気がするけど・・・詭弁だろう。医学部みたいに、留年、放校が当たり前で、国試があったりするとまだ緊迫感はあるかもしれないけど、私立の女子大だとそういう緊迫感もない。
マスコミ報道のイメージ、活字からのイメージ、写真からのイメージ・・・アフガンのイメージもくるくる変わる。未知なる世界をイメージするのは困難だ。逆に語ると、一生懸命に何かを説明しようとしても、それが正確に相手に伝わるなんてことはありえない。
こう、行き過ぎたテンション過多というのも困るけど、平凡な日常の中である程度テンションをキープする作業というのも難しい。戦争の社会というのも困るけど、倦んだ社会というのも困る。がんばろ。

投稿者 Blue Wind : March 22, 2004 04:07 PM
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