February 27, 2004

風は野に山に

いやはや、まいった、まいった。だから、この手の話は書かないにかぎる。信仰を通して、日常を眺めるということと、いわゆる修行して霊能者になるとかそういうこととはまったく別問題だし、自分は後者にはまったく興味がない。
どこがどう違うかというと、例えば超能力。自分はこういうものをまったく否定しているわけではない。でもね・・・いつも思うのよ・・・手を使わないで中の錠剤を取り出す実験をしているとするでしょ?あたしだったら蓋を回して錠剤を取るわって。つまりは、「蓋を回して錠剤を取れる」ということがすごいことなのよ。オトちゃんには出来ないし・・・つまりは、手が使えるということがすでに人間のすごさであり、そういう意味での能力が仮に人間にあったとしても、それがごく自然に退化していったのは当然だと感じる。
祈りや念力で病気を治すよりも、医者へ行くことを勧める。そちらのほうが手っ取り早いと思えるほど日本の医療は進んでいる。昔だったら不治の病と言われていた結核ですら、いともあっさり治ってしまう。そういうことを考えると、人間というのはすごいなあって思う。
青い薔薇はないと言われていたのに、あっさりバイオテクノロジーにより市場に切花が出るようになる。そうすると、青い薔薇がほしいなあ、ってなんとなく思っていたから、逆にそれ自体が神さまからの贈り物のような気がしてしまう。
世の中がテロでひっくりかえっている時に、なんとなく娘と二人で巨大な虹を眺めてぼーっとしていた。自分ですら生まれて初めて見るほど巨大で美しい虹だった。娘が、「お父さんにも見せてあげたい」と言ったほどすごい虹だった。みんな、信号待ちしているクルマの窓を開けてぼーっと眺めていた。ただそれだけのことなんだけど、後になってから9.11テロのニュースを知り、同じ摩天楼なら、地面から立ち上るような巨大な虹を眺めているほうがハッピーということをまざまざと知る。世の中がひっくりかえっている時にいささか不謹慎な気がしたけれど、虹を見た話を神父さまのところにしに行く。あの事件の中、奇跡的に助かった人たちの話。
信仰心をもって生きるということと、特殊な能力をゲットして生きていくということとはまったく違う。こう、なんというか、自分のこういうとんちんかんなところをすでに誰かに説明することは諦めている。でも、世界にはクリスチャンは10億人いるらしい。だから、もしかすると、そういう人たちなら自分のとんちんかんな発想を少しは理解してくれるのかもしれないけど、まるで信仰心のない人たちには何を語っても意味がないらしい。
教義というのかなあ・・・そういうものと自分のものさしが合わないと、あっちの宗教、こっちの宗教ってなるらしい。天を通してお話をする、静かな対話。そういう世界には、地上の秩序ではなく、天の秩序がある。そういう世界を感じると、すべてのことがどうでもよくなってしまう。すべてがどうでもよくなってしまうような感覚を言葉で表現するのはとても困難かもしれない。それを自分というレセプターを通して語るしかないからだ。自分という人がそれを語るにはあまりにも脳が狭いために、もっといろいろなことを知りたいと思うけれども、人生は短すぎる。
もしかすると、自分の人生そのものが何かのレセプターなのかもしれない。そうなると、もう自分のこともなるようになれとしか思えなくなる。

あらし騒動・・・・もうね、あたしはどちらの味方でも敵でもない。単に自分のものさしで行動しているだけ。BBSに誹謗・中傷、これは悪だ。それを放置していればそれも悪だ。自分がやっても悪だ。だから、あたしは悪いヤツだ。そういうヤツのサイトに来るな。(とだけ言いたい)
そうなると、今度はそれを加藤さんが見ていたとなったら、BBSを捨てるとは何事だとなるらしい。(絶句)
自分的ものさしから言うと、神父さまや聖書の悪口を書かれたり、神父さまのハンドル名のなりすまし、あたかも自分が教祖のようにふるまう、などなどそっちのほうが遥かに悪だ。犯罪以上の悪というの?
ひきこもりの子にネットのよさを伝えたいはずが、それが原因で逆に警察沙汰になったとしたら、ますますその子は不幸になるのではないだろうか?つまりは、道具を使うのは人間であり、警察沙汰になった人間を庇うという行為は『レ・ミゼラブル』とはまったく関係ない。なぜなら、犯罪以上の悪を犯す人間をどうして神さまが赦す?しかも、真の発端は、「息子さんが父親を警察に訴えてほしい」ということらしい。そういう家庭内の悲劇が多くのネットユーザを巻き込む。こうなると、他人がいくら怒ってもなだめても無意味ではないだろうか?

だから、もう、いささかすべてがうんざりなのでございます。神さまとだけお話せよ、ということですから、そのようにするだけ。あとは野となれ山となれ、あたしは風だ。気ままにやらせていただきます。

気ままに歌を詠んでいたいだけだから、放っておいてくれ・・・
信仰を通して、日常を見る。そんだけ。あとはすべて流れの中にある。

投稿者 Blue Wind : February 27, 2004 06:18 AM
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