February 13, 2004

退廃

何となくつまらない。この退廃的な気分をどうやって説明したらよいのかわからない。最初に歌稿をポストに投函した日以来、どうも自分の短歌熱は下がってしまったような気がする。これは、恋愛から結婚へ移行した時期のような退廃的な気分にも似ている。なんだか、こう、のんべんだらりと何かがずっと続いていくような・・・それでいて人生は山あり谷ありだから、一人で生きる苦労を考えると、二人のほうが生きていきやすい。う〜ん・・・・それとも違うな。要するに、世間ということなのだと思う。独身時代だったら、実際には一緒にいて特に誰も何も言わなかったけど、それでも夫婦ではないから、なんて言うのかしら・・・やはり帰属が違うのだと思うの。別々の家庭の一員というか・・・それが結婚したとたんに何から何まで一緒の扱いとなる。それが不幸かと言われれば決してそんなことはなく、今の生活に何か不満があるわけではない。

例えば、歌人としての意識一つにしてもきっと人それぞれなのだと思う。でも、一人で詠んでいても歌人とはなかなか扱われないような気がする。ネットだけでやっていても似たようなものかな。それが結社へ入り、そこに帰属が発生したとたんに、世間の扱いはとりあえずは歌を詠む人たちの集団の一員ということになる。
とりあえず、新入りということで、もっとがんがん言われるかと思ったけど、予測を下回るものであった。もちろんこういうのは、ボスの人柄にもよるのかもしれないし、構成員の性質にもよるのかもしれない。ネットみたいにがんがんに食いついてくるような手ごたえはないな。雑誌に投稿したり、評論書いたり、タダ働きの仕事は多い。やろうと思ったらいくらでも仕事はある。それでもそのネタに対してのリアクションとなると実際にはどうなんだろう。

サイトに歌をアップする。それは発表扱いになるか?
とりあえず、歌葉系は発表扱いにはしないらしい。ただし、それ以外のところは知らんということで決着。ネットでも、公の場所であれば発表扱いになるし、実際のところ、彼らにとっては純粋にサイトとは発表の場らしい。よく考えればそれはそれで当たり前なんでしょうし、もっと突っ込んで言ってしまえば、結社など要らないということになってしまう。アクセス数の高いサイトをつくり、そこに歌を貼っておけば、おそろしいほどの人の目には触れる。CGIを利用しているので、FFFTPの使い方さえおちびに教えておけば、というか、教えるほどのことでもないような・・・だって、起動してクリックすればよいだけにしてあるから、あたしが仮に今死んだとしても、ローカルからおちびがサーバにアップすれば、自分のサイトはずっと存在するわけで、自分の歌は常にそこにある。しかもアーカイブに保存される。来訪者があるかどうかまではわからないけど、数百冊の歌集を売るよりも確かなものがある。
結社誌の発行部数が1200冊程度として、しかも会員と歌壇にしか配布されないために、専門家や会員外の人の目には触れない。サイトのほうが遥かにアクセス数で考えたらマシかもしれない。つまりは、歌人以外の人たちのランダムな来訪が期待できるということにネットの強みがある。歌集でさえ、興味のある人しか読まないだろうし、それを考えると歌壇というのがいかに狭い世界であるかわかると思う。
こういうのんべんだらりとした世界で友好関係を築き、そこであれこれ歌を発表していく。結社でもいろいろ気風が違うということもわかったし、基本的には選者というのはリーダーだから、それぞれに考え方も違うし、一度その下に入ってしまったら徒弟社会だから、ほかの先生たちのことは関係ないのかも。とりあえず、参考文献をいくつか提示されて、それを参考にしながら研究テーマを探すことにも似ている。自分に与えられたテーマは、おそらくは結社とインターネットとの融合およびニューウェーブ的歌の支持ということなんだろう。自由はないけれども、そこはそこはかとなく安全地帯であり、一人で模索するより先生に習うほうが道筋がある。

同門というのかなぁ・・・・そういう中ではいくら意見が対立してもいいわけさ。そういう意見もあれば、こういう意見もあるというほうが自然だ。あたしはあの人とは仲が悪いのよといっても無駄だ。だって、同門なのだから。叔母さんといくら喧嘩しても無駄なことにも似ている。
歌を詠むより、オトちゃんと遊んでいるほうが楽しいかも。

投稿者 Blue Wind : February 13, 2004 04:08 AM
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