February 09, 2004

白い巨塔主婦班

口語で詠むほうが短歌は難しいかもしれない。ストレートだから嘘がつけない。意味が伝わるってそういうことなのかも。どうして文語を使うかというと、伝わりにくいからかも。要するに、ストレートに言いたい時とやんわりとわかりにくく言いたい時とでは言い方が違うように、一種の使い分けのような気がする。なんて自分って正直なんだろう。

とりあえず、レポートを提出するように、歌をポストに投函した。まさしくレポートよね。何を送っていいのかまるきりわからない。結局、先に参考文献を提示してくれたほうが選びやすい。後になってから、これ、と言われも困る。でも、自分の迷った基準と、提示された基準とを比較すると、何となく目からウロコ。でも、迷っているほうが歌が出るような気がするけど、なんという矛盾なんだろう。あまりにも簡単明瞭、明々白々だったために、サウンドを変えてもどうにもならない。

結社?
白い巨塔。
でもね、大学病院に勤めていても、科によっては主婦班というのがあって、そこはあまり仕事をしない。仕事はしないといっても家庭という中からみると極めて激しい労働に束縛されている気がするけど、あちらから眺めると仕事をしない部類に入ってしまうらしい。
というわけで、白い巨塔でもいいわけさ。こう、自分が将来教授になろうとか、あくせく考えなければ逃げ場というものはありまして、結社を2つ入っているのも逃げ場。がんじがらめにはなりたくない。それでいていくらでも仕事はあるとばかりに、やはりねこの手か?
家庭は地雷のない安全地帯。好き勝手、おやまの大将、別名かかあ天下。いわば、自分のサイトというのは家庭のようなものであり、この世界では自分が管理人なのだから、好き勝手に書いている。

つまりね・・・
「メディアって何?」という質問に対しては、このように考えなければならないらしい。結社誌や歌壇、その他の総合誌など短歌を扱っているところはオタクの坩堝なわけ。そうすると逃げ場がない。だから、同じ歌をあちこちに投稿してはいけない。だって、「こっちのせんせーは取ってくれたのに、こっちのせんせーはダメって言ってたよ」ということになると、何となくややこしいでしょ?歌は好みがあるから、すべての人の選歌が一致するなんてことは稀だもの。そうなると、一生懸命に歌を投歌してもそこの先生の好みに合わなかったら取ってもらえないということもありえる。だから、選者のいる世界はややこしい。選者のほうだって、すごく律儀で真面目だから、自分の感性や見る目というのが大切なのかも。
逆に考えると、こっちではダメだけど、あっちでは評価してくれるということも充分にある。
問題は・・・・・自分がそこまで歌壇を知らないということであり、結社誌を比較してみたってぜんぜん雰囲気が違うのだもの。でも、知らなくても困らない。無責任というのは気楽であり、主婦を一度やってしまったらやめられないのに似ている。だから、要するに彼らがはちあわせしないようにすれば、8割以上の問題は解決してしまう。つまり、自分のサイトの場合は、オタクがやって来ない。来たとしても何も言わないと思う。だから、いわばプライベート空間。プライベートな空間は従って安全地帯となる。

はー、気楽。
未来へは投稿し終わったので、月末までには塔にも送る予定。何を送って、何が選歌されてされなかったのか、それもついでにサイトのネタにしてしまおう。おそらくは、そういうことがすごく今後の参考になるような気がするから。うちのサイトの使命は、自分の混迷とマヌケさを提示していくことにある。

投稿者 Blue Wind : February 9, 2004 03:30 AM
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