February 01, 2004

「やりなさい」(関西弁で・・)

おりしもバーチャルとはいえ、お年寄りの相手は大変だと思っているところに姑さんから電話が入る。大抵は、健康の話と近況と、今後の話などをする。未来の話はいつも同じだ。動けなくなったら、我が家のほうへ来る。そのためには銀行を移さないとダメだとか、下見をしたいとか、元気になって仕事をしたいとか、おなじみの話。説教の内容も同じだし、特別なことがないのが何よりだと思う。
こちらはそれなりにちょっとの間に話題が増える。娘の様子とか、インフルエンザの話とか、ダンナの健康や仕事の話など、それなりに変化がある。自分も短歌を詠み始めて、あれこれ活動が変化してきたことなどを話す。
そうすると、急に、彼女は元気になる。
自分もスペイン語を習ってとか、スイミングに行ってとか、あれこれ習い事をしたいとか、いろいろ思うらしい。自分などからすると、優雅に生活しているのだから、何が不満かわからないのだけれど、結局はあまりすることもなく、同世代でもアクティブに活動している人たちを羨ましく思うらしい。若いうちに何か資格を取っておけばよかったとか、死ぬまで何か仕事をしたいとか、大抵は同じ話。
まあ、こんな時代ですから、資格があったとて、70歳を過ぎた女性にお仕事があるとは思えないし、資格がなくても絵や習字や料理を教えるとか、自宅でできるようなことはたくさんあるのでしょうけど、自分が習っているほうが気楽らしい。つまりは、本気じゃないんだよね・・・でも、何かそうやって言うことに意義があるのかもしれない。
今の彼女の仕事は、自分の健康管理。自分で自分を生かすこと。これが簡単なようでいて、実は簡単ではないのかもしれないし、少し不安になったりすると、不意に電話がかかってきたりするのだろう・・・
要するに、サポートなんだろうな・・・「いつでも倒れていいよ」と言ってある。そうなったら、こちらで何とかすればよいだけだし、いつでも手配できるようになっている。不測の事態は予想するのは無理だ。でも、予定としてなら、具体的にこうしてああしてなどを決めておく。母の時を入れると、自分はすでに2度目だから、さほど驚くこともない。

でもさ、批判的に言うわけではないけど、「どうしてそういう簡単なことができないのだろう?」と、バーチャル老人本舗に対して思ったりする。つまりはね・・・一日中することがないから、ストレス発散で、わざと他人を怒らせるような狼藉ばかりを働いている年寄りがいたとして、基本的にネットは若い人たちが多いから、公平なんだよね・・・扱いが。もし若い人たちがそういうことをすれば大変なことになる。それこそ警察・弁護士、あれにこれにと大変なことになる様子を観察しているうちに、すでにこれは一種の「ぼけ老人をどうするか?」という問題にも近く、それでいてネットができる程度には元気なのだから、それはそれで喜ぶべきか悲しむべきか・・・
で、怒っている人たちが一番怒っている点は、「どうして家族がそれを放置しておくのか?」という点らしい。そりゃそうだよね。自分には自分の親がいるし、まったく知らない年寄りの相手を一日中させられていたらかなわない。むりむり。
本当にぼけたら施設とか、病院とか?
でも、あの程度ではむりだ。しかも、家族はそれどころではない。
それと、相手にしていると、自分のほうが精神的にダウンしてしまう「何か」がある。
「何か」って何かって?
つまりは、夢も希望もない世界・・・・仕事もない、やることもない、人生における孤独と絶望、不景気な社会への不満、その他諸々、プライベートなことまで含めるともっとあるのかもしれないけど、そういう苛立ちをネットに吐き出す。ああなると、ネカマでもいいらしい。要するに、バーチャルの世界でネット人格をつくり、その世界で若い姉ちゃんと遊ぶとか・・・・もう、考えただけで哀れな気がするのだけど、それでいてしつこいといっては嫌われ、この上なく惨めな汚臭をばらまくものだから、ますます嫌われる。
これが日本の経済大国を支えてきた世代の晩年なんだろうか?
なんかね・・・

同世代でも似たようなものかも。もう、同い年なのに、燃え尽き症候群なんだって。やることはたくさんあるのだろうけど、なまじかスポーツ選手だったりすると、現役の引退が早いから尚更か?「オラオラオラ〜〜〜」って、ちょっと前ならあたしも蹴飛ばす元気があったかもしれないけど、今はそれどころではない。逆に自分のほうは短歌を詠み始めてから、これでもかこれでもかと勉強しなければならないことがあり、しかも活動範囲が広くなりつつある。グチに付き合うのは簡単なんだけど、自分がグチを言っている場合じゃないから。
うちのダンナなども、もうすでに上のほうなんだってさ。考えてみたら働き盛り世代だもんね・・・そうなると、なんていったらいいのかしら・・・やる気がないわけじゃないんだけど、テンションが下がるらしい。次第に保身に走る年頃なのかもしれない。娘が成長してしまったら、愕然と年寄りになってしまうだろう。
なんか、こうね・・・自分のやりたいことを犠牲にして、子育てをしてきた妻に対して、その分何か申し訳ない気持ちがあったのだと思うの、彼は。ところが、あたしってそういうやわな人ではないようで・・・今から研究へ戻るという話もちらほらあるのだけれど、実際問題、自分はその点に関してはすでに投げやり。気が乗らない。5年ほど前なら、「いつかは・・」みたいな気持ちで一杯だったこともあるけれど、とりあえず娘がのんびり屋ながらも順調に育ち、今の生活に不満があるわけでもないし、ネットを始めてさえ覚えることが多いし、あれにこれにやっていたらきりがない。しかも、短歌をやり始めてしまったら、これも一生ものだもの。なんせ、自分の年齢ではまだ若手の部類らしい。何十年も歌を詠んできた人たちの多さを考えると、それこそ死ぬまで続けても終わりのない世界。

姑さんとダラダラと張りのない会話しているうちに、突然、大声が耳元でする。なんて言ったのかと思ったら、「やりなさい」と関西弁のイントネーション。要するに、家庭を犠牲にしてでもやりたいことをやりなさいということらしい。
家で子育てしてきて、「子どもに裏切られた」というセリフを何度も聞かされてきた自分としては、気持ちがわからなくもない。裏切りではないと思うのよね・・・今の時代、親と同居しないほうが普通でしょ?特に都会なら・・・親の近所で暮らしていても、仕事や家庭のほうが大事とばかりに、親の世話どころではないのはどこも一緒だし・・・それでいて、姑さんとなるとずっと嫁さんしてきて、先代の姑さんの介護をつききりで5年くらいしてきて、そういうのが悔しくてたまらないらしい。そういう時間をもっと自分のために使いたかったのかもしれないし、生活には困らないけど、人生には不自由しているのかも。
もっと評価するべきなんだろうか?
自分などより遥かに綺麗好きで家事も料理も上手だし、いつもおしゃれにしている。簡単な家事なら今でもお手伝いさんが来てしてくれる。近所に娘夫婦が住んでいるのだから、どうしてもということになれば、飛んできてくれるだろう。しかも、いざ倒れたら、こちらで面倒みますって息子も言ってるし、何の不安もないではないか。絵に描いたような主婦の王道のような気がするけど。
なのに、「やりなさい」という大声。

投稿者 Blue Wind : February 1, 2004 02:20 AM
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