January 31, 2004

猫のままでいたい

自分では、こういう下品なトーンが気に入っている。何をもってして下品かというと、うまく説明できないけれども、わざとくだけた調子で文章を進めていく。自分を称して、「あたし」と書いたり、男言葉を使ったり、何を言われても知らん顔して続ける。実際には来訪者がどういう風に思うかはわからないし、リアルな来訪者があっても気にしない。
つまりは、書きたいことを書くというのはストレス発散であり、そのためにサイトをつくったような気がするくらいだから。つまりは、自分のサイトくらい自分の書きたいことを自由に書きたいでしょ? 自分や自分の家族や知り合いのことなどを考えてもさほど気にしない。世の中にはそれくらいの自由というものがあってもよいような気がするからだ。

ところが、自分が大学に在学中だったら、まったなしに退学になっている可能性があるくらいきわどい。まあ、退学になることはないかもしれないけど、注意を受けても仕方がない。
というわけで、この調子で神父さんのコミュニティに投稿していたら、来訪者からお叱りを受けたことがある。神父さんは何もおっしゃらないけれども、いささか反省し、なるべく下品なトーンの投稿は控えている。内容の問題ではなく、トーンなのだと思う。自分を「あたし」と呼ぶか、「私」と呼ぶかでは文章の調子も違うし、普通に書こうと思えば書けるし、何も注意されるのがわかっていてまで自分を主張しなければならないような問題とも思えない。もちろんシモネタも避けるべきでしょうし、批判的な内容も避けるべきなのかもしれない。

未来短歌会に入会したら、加藤治郎さんからメールが届いた。驚いたけれども、ネットを通したやりとりというものに力を注いでいるのだろうということで、のらくらお返事を書く。さらに速攻で、「彗星」という加藤グループと呼べばよいのかもしれないけれども、そこに誘われた。
未来へ入ったのは、岡井さんのファンだったからで、以前から塔短歌会のほうへも入っているけれどもいまだに選者が決まらない。今度は岡井さんのところへ素直に送ろうと思ったら加藤さんからお誘いをいただく。加藤さんは岡井さんのお弟子さんなので、そういう意味では矛盾しないのかもしれない。
こういうのは大学と同じで、単に講義に出席するのであればどんな先生でもかまわない。でも、一緒に活動するとなると若干事情が異なる。
自分は極めて好き嫌いがはっきりしており、気難しいところがある。だから、どんな先生でもかまわないというわけにはいかない。大学院を受験した時も、指導教官をあらかじめ決めていずに合格したので、入ってから事情がわからず苦労した。つまり、のらくらと三人くらいの教授のところをさまよい、最終的になぜか社会心理学の先生のところで知覚・認知を研究することになってしまった。専門や研究テーマで指導教官が決まったというより、母校の恩師と一年違いの先輩・後輩ということで決まったらしく、実質二つの大学で指導を受けることになる。
どうしてそういうややこしいことになったかというと、当時はまだ自分の専攻する学科が母校の大学院の研究科になかったからであり、他大学を受験しなければならない。それでいて、合格したものの自分を指導してくれる専門の先生がいなかったので、研究テーマを変えたくなかった自分としてはのらくらとするほかなかったとしか言いようがない。だから、母校の教授の指導を受けながら、大学院でも指導教官の指導を受けなければならない。となるとね・・・最終的にはボスが二人いるわけだから、ボス同士の兼ね合いということだったんだろうな。

なんで急にそういうややこしいことを思い出したかというと、「超結社」、「インターネット」ということなのですよ。結社が違えば雰囲気も違うし、選者が違えば流れが違う。単に雑誌購読という意味合いで複数の結社に入会することを考えるとさほど悩む必要性もないような気がする。でも、この世界は意外とというか、意外ではなく、所属結社というのが大切になるのかもしれないし、歌壇や結社の事情に詳しくない自分としては迷うことしきり。
大袈裟に考えすぎなのかもしれないし、旧弊な社会というものを理解している自分としては、慎重になってしまう。しかも、自分は気難しい。軽いのに気難しい。愛想がよいのに気難しい。猫にも似た気難しさがある。

修道院でも猫ならいいのよね・・・
猫にいちいちうるさく言っても無意味だろう。
ところが人間というのはややこしくて、おミサに参加するくらいなら問題はないかもしれないけど、受洗となると死に際に誰かがやってくれないかなとかそういう風になってしまう。
人間に戻るとなると服も選ばなければならない、言葉遣いも気にしなければならない、あれにこれにと気を使わなければならない。それが人の道のような気もするけど。
娘も急に顔が細長くなってきたりして、そろそろお姉さんだもの。母がこういう調子でよいのだろうか?でも、一気に雰囲気が変わってくる。サルだけど、親が心配するほどサルではないのかもしれない。ちょっと見るとおとなしくて上品そうな顔立ちをしている。いつのまに変わったのだろう?赤ちゃんではないのだから・・・おそらくは年頃になると一気に変わるのだろう。あたしのジャケットを着せたら自分そっくり。

自分。
自分らしさって何なのだろう?
素直に現代短歌を詠みたい。それでいて、古来からのトーンも嫌いではない。派手な歌よりも、本当はささやかなる日常のほうがほんわかしていて好き。それでいてポンと出てくる概念歌。あまりにも大袈裟。大袈裟だけど、それもまた自分だ。

投稿者 Blue Wind : January 31, 2004 02:09 AM
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