September 08, 2003

サラリーマンと主婦は一度やったらやめられない?

文学がどうして面白いかというと、何となく時代と共鳴しあっている自分を感じるからかもしれない。
サウンドは時代を写すダイナミクスというのは村上龍のセリフ?
すでに忘れたけれども、もしかするとサウンドではなかったかもしれないし、文学について語っていただけなのかもしれないけれど、何となく自分的に改ざんして解釈してしまっているような・・・
それでも今まであまりクレームも発生しない。

いずれにせよ、何が言いたいかというと、時代は変わるし、その時々にその時代や社会の中で翻弄されて生きているのが人間であり、それでいて、何となく考えることややっていることに大した違いはないような気がするのは自分だけだろうか?
生きるということはきっと成長して子どもを産んでやがては死んでいくというだけのことのような気がするし、その中でそういう生態系から外れた人たちも多く存在するし、なんか動物でありながら動物に素直に同化して生きていけない不器用な生命体というのが人間という気がしてしまうし、だからこそあれこれお考えになる人たちが存在するわけで、あれこれややこしいことを考えなくても人生はいたずらなまま過ぎて行く。

自分を晒すということはイヤだよなぁ・・・何となく他人の好奇心の餌食になるだけのような気がするから。
臭いものに蓋をするように、過去の自分を封印し、生きる。
自慢するとかしないとかそんな次元じゃないもの。
世界観が違うとしか語れない。

さらにそれから逃げ出すように、感覚やら知覚やら文系の学生のくせに数字と戯れる日々・・・
今は、文字と戯れている。

言の葉ミステリー。

なんで短歌が面白いかというと、限られた文字数の中に概念をぽいっと放り込んでいくところかもしれない。
別に定型にこだわる必要はない・・概念を語るなら。
でも、こだわりたい人たちが数多存在するんだよね・・・
何となく理屈っぽくもあり、不自由な中の自由というか、いかようにでも語れるからこその字数制限という気がしてしまう。

単なる言の葉遊びでしょ?
って言いたくなるのに、言の葉遊びだからのめりこんでしまうというか・・・
人それぞれなんだろうけど、他人のリアクションが面白いのはどこか突き放しているからなのかもしれないし、突き放せるのは定型だからという気がするし、突き放せるから自分がクリアになりやすい。

それをまたコネコネと評論したりして、そこが不思議な世界だ。
他人が深読みするのがよい歌というのは、そういうことなのかもしれない。
作者が意図した以上に誰かの反応があるからこその歌の一人歩きなんだろうし、一度発した歌がすでに自分とは違う世界を構築してしまったとしても誰も文句は言えないと思う。
作者ですら文句は言えない。
だって、文字は他人に晒すために存在するものだから、自分の書いたものは自分のためにあるのではなく、他人のために存在するから。
自分とお話するために文字が存在するわけではない。
文字にするから、自分とお話できるのかもしれないし、文字にするということは自分を他人にするためなのかもしれない。

他人になった自分を観察することは普通はしない。
それでも自分は普通の主婦だ。
普通である自分を放棄せず、作歌活動をするから歌がヘンなのかもしれないな・・・
サラリーマンと主婦は一度やったらやめられないって言うし・・・
ほんとそーだな。
主婦というのが安穏で平穏で平凡で、あまりにも幸せだから、どうしてもやめる気にはなれない。
なんか、幸せなのよ・・・

投稿者 Blue Wind : September 8, 2003 10:09 AM
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