September 03, 2003

短歌ナルシズム

こーね、常に公に束縛されていると、個に立ち返る瞬間というのが大切になる。
個に立ち返るために歌なのかもしれないし、だから自分史の世界とまで言われているんだろうし、それでいて詩というのが国の記憶であるというパスの言葉も考えさせられてしまう。

が、しかし・・・
個が確立された社会で短歌というのはヘンだよね・・・
こころをつなぐから短歌というのもヘンだ。
集団の高揚というのは詩だ。
だから、抽象概念も言葉の冒険も可能となる。

知へ上るか、情へ落ちるか・・・
歌はムズカシイ・・

結社誌と商業出版系のライター本を読み比べながら考えている。
当たり前なんだけどね・・・結社誌というのは商売じゃない。
文字通り結社のための雑誌。
小売しているわけでもない。
単なる同人誌。
発行部数も少ない。
それに対して商業系というのは金だから、金の匂いがしないことにはどうにもならない。
発行部数が少なければ廃刊になってしまうし、出版しても損。
だから、常に受け手のことを考えながら書くほうも書いている。
タレントの書いたテキストなどは誰かがリライトしていたり・・・
つまりは、読みやすくないと売れないから。
何を書いたらよいのかも、案外、自由がない。
企画する側とOKを出す側が一緒でもダメらしい。
常に、誰かの客観的意見が大切となるのは失敗しないためだ。

短歌は失敗してもいいのよね・・・
自費出版や結社誌などは売れなくても困らない。
会費という名目で集めているから、損にならない程度に発行していけばよいのだろう。

というわけで、酷くのんびりした気分になってしまっている。

サイトも同じだなぁ・・・と思って。

クールの身勝手さ?にうんざりして、今度はロリポップ。
いたれりつくせりだもの。
いちいちサーバにメールを書いて、.htaccessのことやらblogのことを考える必要もなく、先に与えられる。
サイトのつくれない人でも、今度は雛形。
インスタントでサイトがつくれる。

のらくらとしたユーザは、簡単に乗り換える。

短歌でも、売れないと困る世界もあれば、売れなくても困らない世界がある。
売れるものをつくっていくか、売れないものをつくっていくかも自由なんだろう。
商売というのは売れたらいいのよね・・・
感覚的な世界でもある。

知が働けば自然と概念として消化されてしまうし、こころや情だと常に”人”だし、個人。
自分であるか、概念であるかは、ずいぶん違う。

こーね、常に公に束縛されていると、個に立ち返る瞬間というのが大切になる。
個に立ち返るために歌なのかもしれないし、だから自分史の世界とまで言われているんだろうし、それでいて詩というのが国の記憶であるというパスの言葉も考えさせられてしまう。
常に個に立ち返る時間が必要というのもこの国の特徴なのかもしれないないな。
集団の高揚としての詩の世界と、個に立ち返るための歌の世界は、ルーツが一つでありながら咲いている花が違って見えるようなものなのかもしれない。
実際、接木してあると違う花が咲いているし・・・
植物ミステリーの世界だわ。

まあ、結社のサイトを眺めるといささか排他的なような気がするし、それでいて案外のほほんとしているというところが個に立ち戻り空間ということなのかもしれないな。

が、しかし・・・
個が確立された社会で短歌というのはヘンだよね・・・
こころをつなぐから短歌というのもヘンだ。
集団の高揚というのは詩だ。
だから、抽象概念も言葉の冒険も可能となる。

知へ上るか、情へ落ちるか・・・
歌はムズカシイ・・

投稿者 Blue Wind : September 3, 2003 01:54 AM
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