Rin's
Diary
May, 2003
(No.3)
概念が定着するのは大変なことなのかもしれない・・
at 2003 05/31 12:49
探せばあるじゃないですか、日本語化バッチということで、blogの日本語化バッチをつくってしまっているサイトを発見した。
メインはレベッカのファンサイトで、おまけのコンテンツとして使っているところがそれっぽいなぁ・・などと感心しながら、日本語で眺めてみると何となくどこかで見た風景・・・
楽天広場に似てない?
形式もコンセプトもよく似ているんだけど、何が違うかというと雰囲気としか言いようが無い。
楽天広場もコミュニティであり、ガイアックスと同じように初心者を対象としてコミュニティを形成している。
ガイアックスのユーザとしては、ガイアックスのほうが洗練されている気がするけれども、それはいくつものカスタマイズされたサイトを眺めてきたからかもしれないし、自分自身がこの形に慣れてしまっているからかもしれない。
何が違うかと言えば、1枚ページであるかそうでないかは大きい気がするし、楽天広場は日記がメインであるために、コミュニティのトップには日記のカテゴリーと見出しが並んでいる。
(なんでこんなにごちゃごちゃするのだろう?)
コンセプトの問題だろうか?
何かどこかが違っている。
自分のイメージする世界とは違ってしまっている。
やはり、道具を使うのは人間だとしか言えない・・・
諦めるか・・・
ウェブログという概念が定着しないとダメなのかもしれないし、単に自分がわがままなのかもしれない。
何がわがままかと言うと、あまりにもヘンな来訪者がいるから、その対策として”概念”を伝えたかったわけ。
コミュニケーションというのは、情報伝達という意味で、マスコミ、口コミ、その他諸々?
リレーションシップとは違うんだよ〜って言いたかっただけなのかもしれないし、だから何なのさと言われてしまえばそれまでだし・・・(と、かなり弱気)
専門用語が並んだサイトはあまり受けがよろしくないみたいだし、一つのコンテンツをすべてとしてしまうかパーツとしてしまうかでは使い方も違う。
ガイアでは、短歌はあまり人気がない気がする。
それでいて、短歌のサイトをつくれと言われることが多い。
しかも、シンプルなページでね。
その辺の感性が大人と子どもなのかもしれないし、サイトは余分な要素が無いほうが洗練されている気がするし、来訪者も多い。
----でも、なんでコミュニティにいるわけ?
そりゃ足跡を見つけたら来訪してくれる人たちがいるからとしか語れない。
それでいて、インターネット欝社会では、ランダムに知らない人たちの来訪を嫌う人たちも存在して当たり前。
その辺の感覚を理解できないと言われても、自分の世界を形成した上で、おまけのコンテンツを使うという感覚も、どこか部分と全体の問題ではないけれど、完全には分離しきれない何かを抱えているからのような気がするし、それでいて無関係な人たちの雑踏を嫌うからに過ぎない気がするけど。
どこか他人が遠くにいる人たちか・・・
ウェブ日記とサイバー上の関係性
at 2003 05/30 10:00
庭の雑草を刈り込もうか日記をアップしようか迷いながら日記を書いてしまっている。
手入れが悪いながらも恐ろしい勢いで庭の花たちは成長している。
シャクヤクやバラ・・・
小さな白い花やタンポポ、サクラボタン・・・
石榴の木にも花が咲いているし、倒れてしまって諦めていたバラにも新芽が出てきているし、日光きすげ?や百合や紫陽花に蕾がつき始め、トケイソウが刈っても刈っても花をつけている。
隣のマンションの管理人に刈り込まれてしまったバラの生垣は今年は花が少ない。
まあ、それくらいは諦めなくてはならないかも・・・
このところ真面目に実名サイトをつくろうと思っているあたしは、ためしに島野さんのサイトをリンクした。
リンク・フリーではないので、メールを書く。
プロフを見たら、早稲田出身の人らしいし、年も近いので、もちろんお初でも実名でございます。
早稲田の心理にはたしかうちの上級生のご主人が勤めていたはずで、そのまた別の上級生もたしか通っていたはずだから、すごく狭いこの世界、いきなりハンドル名というほうが気持ち悪い。
いくらガラの悪いプロバイダからネットを始めてしまったからといって、その辺のところの区分はいくらあたしでも・・・
用事は簡単。
だって、リンクの依頼だもの。
「Rin's New-Wind Webの管理人ですが、リンクしてもよろしいですか?」というだけのこと。
そこに少し世間話などを交えながら、サイトのことについて簡単に書く。
「BBSがないし、すっきりしていてよろしいですね〜」と書いたら、実はあったんだけど書き込みが2つくらいあっただけで、無料掲示板だから自然と消えてしまったらしい。
のんびりしているというかなんと言うか、うちのサイトでリンクしたら少しは来訪者が増えるかもしれないと期待されたので、日記のネタにしようかと・・・
テキストサイトだとリピーターが少ないよね。
検索などで飛んできて、必要なところを読んだら終わり。
次回、いつ更新されているかもわからないし、それこそ日記でもあれば毎日来訪してもそこそこ読むところはあるかもしれないけれど、メルマガでも発行していない限り、次回を期待することはムズカシイ。
そんなことをぼっけーっと考えながら、とうとう朝日新聞の英語版にまで登場してしまったJOYさんのことを考えると、同じ日記ならウェブログのほうがマシのような・・・
アクセスアップのために日記があるのか、それともネットだと共鳴・共感の世界であるためにJOYさんに共鳴する人たちがそれとなく存在するのかもしれないし、ネットは無責任だから、何にも考えないで非日常的なお付き合いとしてヤリトリしている人たちも存在しているのかもしれないし・・・
blogでも同じかな・・・
どうなんだろう?
ガイアックスのコミュニケーション形態は、「カキコミュニケーション」なのよね。
結局、BBSなどをメールのように活用して公開メールを互いにヤリトリしているような・・・
だったらメールを使えばいいでしょ?
でも使わない人が多い。
メルアドも公開していない人が多い。
それでいて公開メール・・・
レスが来ないなどと気にする人も多い。
だから、ほぼ間違いなくレスを書くというサイトは人気が出る。
コミュニケーションは無いよりあったほうがよろしいのではないかと思うけれども、これを毎日続けるのはしんどい。
旅行や仕事などでサイトを更新できなかったりレスを書けなかったりすると、それをサイトで告知したりしなければならない?
なんかね・・
そんな匿名のアホなヤリトリしているなら、カキコミュニケーションではなく、日記つながりのほうがマシ。
あたしもずいぶん言われたというか、書かれたというか・・・
「日記を読みに来ているんですよ」って・・・
特にあたしと友達になりたいというよりも、単にうちのテキストを読みに来てくださっているいるらしい。
普通のテキストサイトだったら当たり前なのに、ガイアにサイトをつくっているだけでこのようなヤリトリが必要になってしまう。
じゃあ、ガイアを捨てる?
それも何度も考えたんだけど、コミュニティにいることにはそれなりに意味があるような気がするし、何らかのつながりがあって存在しているほうがぽつねんとサイトを更新しているよりも楽しい気がするのよね。
ただ、求める「関係性」が違うのだと思う。
友達がほしいのか、それとも誰でもいいから話し相手がほしいのか、それともBBSを活性させたいのか、そもそものカキコミュニケーションというのがよくわからない。
たしかにリアルではお話することもないような人たちともコミュニケーションが図れるというのは楽しいかもしれないけれど、公開メールでのヤリトリに読者までつくとなると非常にややこしかったりして。
その点、ウェブ日記コミュニケーションというのは気楽かもしれない。
例えばテロや戦争が発生して、それに対して自分の意見を発信する。
するとどこの誰だかわからない見知らぬ人たちが自分と同じようなことを考えていたりする。
それを参考意見としてリンクしたり・・・
もちろん日記だからダラダラと日常について書いていたとしても、なんかつながりがある。
高校生同士の日記なのか、主婦同士の日記なのか、何でもいいのよね。
いろいろな側面についてダラダラと書いても、それをトピック毎に整理することも可能だし、そうやって分かれていると、あたしのように過去ログの整理に泣かされることも減るような気がするけど・・・
今日は短歌、明日はジャンキー、その翌日には子どもが転んだことを書いているかもしれないし、それを自分で抜粋してコンテンツにしていくことの困難さよ・・・
それとね、あっさり語れば、匿名でどこの誰だかわからない人たちと友達ごっこをしているよりも、実にすっきりとした関係性が発生するために人間関係が濁らないような気がする。
単なる来訪者だと思ってレスを書いていても、とんでもない目に遭ったりすることを考えるとそのほうが遥かに気楽だ。
ある意味リンクされること自体が嫌がらせではないかと思うケースもあるけど、関係性自体が単なる日記つながりだとすれば、そんなものにいちいち気を回していても意味がない気がするし・・・
にしても、JOYさんは大変なことになってますな。
あれこれ学んでしまう。
ウェブログって何さ?
at 2003 05/29 22:43
部屋中にスペアリブの匂いが蔓延する中で、今日も日記を更新している。
「ウェブログって何さ?」と思いながら、のほほんと。
要するにコミュニケーション付きの日記らしい。
blogがgoogleに買収されるという記事を読んで、それがそんなに重要なことなんだろうかと思いながら、9.11テロ事件以降、もっとも民主的なメディアとしてウェブログは注目を集めているらしい。
要するに、単なる日記なんだよね。
誰かが日記を書いて、それを読んだりリンクしたりするだけ。
それを応用したのがうちのサイトではボツになった関心空間かもしれない。
結構、関心空間からも来訪者があったから、それなりに値打ちがあったかもしれないとは思うんだけど、コミュニケーションのスタイルとして”物つながり”というのはどうも・・・
情報交換と意見交換というスタイルなのかもしれないけれど、この手のコミュニケーションの中にはネガティブな要素が入っていけないために、自分としては物足りなさを感じたのかもしれない。
大体ね、どこかのファンサイトじゃあるまいし、タレントを否定する意見を書いただけでアラシ扱いされたらたまらんぜよ。
イラク戦争が勃発して、ディクシー・チックスがヨーロッパ公演中にブッシュを批判しただけでアメリカ国内ではボイコット騒ぎ。
気持ちはわかるんだけどね・・
演歌歌手が海外公演中に日本の首相を批判するコメントを発表したら大変なことになるかもしれない。
中国や韓国で日本軍を批判するようなコメントを演歌歌手が発表したらどうだろう?
北朝鮮のアイドル歌手が日本公演で日本語の歌を歌ったというだけで友好ムード。
つまりは、外交と密接な関係を持ってしまうのが国民アイドルの悲しさかもしれない。
初めからどこかのロックバンドのように反戦やら政府や社会批判しているようなノリであれば違うのかもしれないけれど、カントリーと言えば、日本だと演歌みたいなものだもの。
イメージというか、雰囲気の問題なのかもしれないし、サウンドは感情へ響いてしまうから、感情を逆撫でするようなコメントはインパクトが大きすぎる?
日記をコミュニケーション・ツールとして使うというのであればガイアックスでも充分じゃない?
blogでも、それこそ高校生の日記から多くの読者を持つ日記まで種々雑多。
使い方はそれぞれだし、コミュニケーションを遮断して、自分の小説をアップするだけに留めているような使い方をしている人たちも存在するらしいし、それこそサイトなんてものも”道具”なんだから、誰が何をどのように使おうとも自由な気がするけど。
問題は、使い方だよね・・・
気楽に日記をアップする。
来訪者があって、それでBBSを通してヤリトリする。
その中で言い足りなかったことなどをネタにしながら日記を更新して行く。
元来、うちのサイトはこういう雰囲気のサイトだったと思うの。
そのうちレスを書くのが大変になり、BBSが主体となってしまうが故のきつさがあるために長くは続かない。
それと、パラノイア?
アンタは一体何しにうちのサイトに来ているのさ・・という来訪者の存在に泣かされる。
「友達のサイトはBBSへ直行よ」という言葉がすべてを物語っているような気がするわ。
それに不満があるわけではないのだけれど、世間話に費やされがちのBBSに多くの時間を割かれるのはきついという人たちも存在するのも事実であり、親父となるとそれが面倒だからBBSを置かないという・・・
だからと言って、レスをコピペにするという感覚にもついていけそうにない。
全部がいっしょくたにあるのがコミュニティの面白さなのかもしれないし、それでいてネットは一方通行社会だから、こちらの意図することがなかなか理解してもらえないというきつさも存在する。
匿名性が高いが故に、真っ向から反論できないためにアラシが出没したり、嫌がらせが発生したり、どうにも柄が悪くて。
誰かのイエスが必ずしも自分にとってのイエスではないわけで、それどころかノーということも多々ある。
それが当たり前のような気がするけれど、もし誰かの意見に対して反対の意見を述べる場合、ネットですら自分のサイトという壁を築いてその中に留まらなければならないらしい。
自分の壁の内側で何を述べようと自由。
ただし、他人の領域にはタッチしないとか?
それが暗黙のルールとすれば、意見交換系のウェブが流行らないのは仕方がないだろう。
もしネットでそれをやり続けたらどうなるか?
読者のほうがすごい。
書き手は案外冷静なんだけど、それを読んでいるほうがカッカしてしまうらしい。
だったら議論に参加すればいいのに・・って思うけど、どうやっても稚拙なカキコしかできなければ、せいぜい2chとかね・・・
アラシとかね・・・
そうなってしまうしかないのかもしれないし・・・
何か言いたくてたまらない時には、上品に短歌でも詠んでいるとか?
(あれが上品かどーかは知らんけど、ってのもあるな・・)
なんか、あれにこれにと言いたいことが山積するから、毎日のように日記を更新しているだけなんだけど、あたしの日記はすこぶるウェブログ的だと思うわ。
日本ではウェブログは難しい。
コムズカシイコトを一部の人たちが語っているだけではクソ面白くない。
風として気ままにしているくらいがちょうどいい気がする。
JOY祭り
at 2003 05/28 13:39
JOY祭りはどうしてこんなに盛り上がるのだろう?
日頃2chには縁の無いあたしでさえ、あちこちでこの話題が・・・
JOYさんのサイトを見たら、ちょっと英語がヘンかなと思う程度で普通のサイトだもの。
どことなく優雅な家庭の雰囲気すら漂っている。
(トップページしか見ていないけど)
問題の日記も記事が削除されたらしくて、ミラーがあるだけ?
(ミラーがあるところがすごいわ)
居酒屋逆ギレ事件だけではなくて、その他諸々JOYさんの生活について、日記の読者が疑問点を挙げている。
千葉県警へタレ込んだとか、市川税務署とか、自宅の地図とか、オフまで開催されるとか?
(どこでオフするんだよ〜!)
ネットだと匿名の気安さか、「こんなことまで書いていいのか?」という日記も多いけど、最初、県警でさえ取り合わなかったのに、事実が発覚するにつれて、どんどんエスカレートして行く気がする。
掲示板などで公開されてしまった個人情報などはどんどん削除されてはいるけれど、ネットの口コミってすごいもの。
それこそ海外へでもリアルタイムで伝わる。
それがまたあたしにフィードバックされるという訳のわからなさ・・・
実際に事件のあった居酒屋では警察には被害届けは出さないらしいから、警察沙汰になりそうでならないところがさらに読者を煽っているらしい。
いきなりサイトにアラシが勃発、JOYさんのサイトにリンクしてあるサイトにまでそれが波及するという・・・
うちのサイトもすごかったもんね。
それこそいきなりサイトに実名を挙げて、「○○は不正受給」とか書くんだもの。
しかもまるきり嘘。
管理人としては速攻で削除して、以後こんなことは書かないでくださいと書けば、今度はサイトのIDを指定して誹謗・中傷を書きに来る。
いっくら迷惑だと説明しても伝わらないし、迷惑だから書き込み制限したとたんにうちの板が荒らされ、自分の誹謗・中傷を書かれる。
家族へ電話した人もいれば、警察へ訴えた人もいるのに、本人は警察から注意が行っても単なるバーチャルだと思っているからまるで平気。
それどころか、個人情報を盗まれたとか・・・
盗まれたんじゃなくて、自分が教えたんだろうに。
教えていない人にまでバレるから怖くなったのかもしれないし、だったらそこでやめておけばいいのに終わらない。
では、どうやって終わったか?
皆で逃げた。
それだけ。
ハンドル名を変えてしまうとすでにどこの誰かわからないらしいし、ほかの人たちにはわかるのに、どうやっても区別がつかないらしい。
ジャンキーってすごいと心の底から思った。
森さんでも佐藤さんでも悪魔さんでも偽名さんでもハンドル名さんでも、書いてある内容や言い回しなどから誰が誰かわかると思うの。
ところが自分のなりすましが簡単に出没してしまうほどのネット人格になると、オリジナルというものがどこにも存在しないから無理なんだな・・・
自分がそんな風だから、ほかの人たちについてもその程度の観察能力しかない。
久しぶりに精神系のウェブを回ったら、掲示板がすごすぎだよね。
一人で複数のハンドル名を使うのはやめてくださいと書いてある。
病気が原因でごく自然?に人格が複数出没してしまうのはかまわないらしいけど、一人でいくつものネット人格で書き込みをする行為を禁止している。
簡単に混乱するかららしい。
名前の記入欄に何を記入しようとそれは単なる記号だ。
書いてある内容とIPアドレスで自分だとわかると思うんだけど・・・知り合いなら。
それにしてもネットにプライバシーなんて存在しないね。
匿名だと思っていても無理でしょう。
もちろん住所や氏名がわかったからと言って、実際に知っている人ではないのだからあたしには無関係の人間に過ぎない。
浦安でこういう事件があったというだけのことに過ぎないんだけど、この盛り上がり方は何だろう?
というわけで、そのうちうちのサイトも実名のサイトになるかも・・・
テキストサイトだったら実名のほうが便利なのよね。
ヘンなジャンキーがやって来ないし・・・
(来るか?)
にしても、JOYさんのサイトは日記だけが本物だったんだねぇ・・・しみじみ。
事実は小説より奇なりとはよく言うけれど、書いているほうは匿名だと思っているせいかネットはヘンな日記が多い・・・
インターネット大衆文化・娯楽の世界
at 2003 05/26 11:41
ネットを始めて以来、「雪女」とかクールとか冷たいとかいろいろなことを言われた気がする。
実際のところ友達からもそんなことはあまり言われたこともなく、日頃からぼっけーっとしているだけなので、逆にひとなつこいくらいではないかと自分のことは思っている。
フレンドリーとはよく言われる・・・けど、冷たいとかそういうことは言われないな・・・
理屈っぽいのは仕方がないでしょ?
もともとなのかもしれないし、長い間、研究をしていたのだから、幾分柔軟性があるだけ自分はマシではないかと思っているし、黙っていたら研究していたなんて思われないから、のほほんと普通の主婦をしている。
議論となるとどうなんだろう・・・
いささか遊びの議論はたまにするけれども、そんなものは今では皆で集まって酒でも飲みながらアホ話をしながらやる程度のものであり、奥さん連中が集まれば話題はどうしても子どもの教育のことに集中しがちだし、議論というのとは程遠い気がする。
結局、ネットというのは素顔の見えない世界・・・
この、「素顔が見えない」という表現はすごく面白いと思う。
それこそネットに慣れないうちは、何となく匿名の気楽さもあり、話し相手には不自由しない。
メッセンジャーを落として起動するだけで知らない人からどんどんメッセが入るタイプがあるくらいだし、一般公開していると英語でまでヘンなメッセが入る。
匿名だから何となく気ままにヤリトリができるということもあるのかもしれない。
通常の生活の中ではお話できない人たちとお話できるからネットをする?
あまりにも簡単ではないだろうか?
誰でもいいんだね・・・おそらく。
「彼女の気持ちがわからない」などという相談をいきなり娘の小学校の先生からされることはないだろう。
隣の奥さんが、いきなりご主人と離婚したいと言い出したらひっくりかえってしまうだろう・・・
まずは想像だにしていない。
ネットだとどうなんだろう?
どこの誰だかわからないせいか、プライベートな話題が多いかもしれない。
それこそ寂しいからいきなり性の話題をしているような人たちも存在するし、色ぼけしてるとしか思えないようなバーチャル妄想人間も多い。
恋人を探している人たちもいるかもしれないし、単にバーチャルだと相手にしてくれるから女性のサイトをうろついている人たちも存在するのかもしれないし・・・
主婦は無責任だから・・・
28歳のプログラマーはどうしているだろう・・・
主婦だと話せるらしい。
ところが、相手が女子大生だと思うと話せないらしい。
ばっかみたい。
ネットは素顔が見えないんだから、それこそ相手がネカマかもしれないのにそうなんだねぇ・・・・
人間が軽いと、10歳くらいサバをよんでからかって遊んでいる友達がいた。
ダンナ、役人。
お堅い家庭。
ほんで、ネットで遊んでいる。
今は、そういうおばかな遊びはやめているらしいけど、元気にやっているだろうか?
ネットで知り合った主婦に写真を送ってもらって、それをコレクションしている親父もいた。
一体そんなことに何の意味があるのだろうと思っていたけど、妄想社会なのね・・・
スケベ社会というべきか?
よく奥さんが怒らないものかと思って感心するけれど、要するにバーチャルだと思って諦めているのだろう・・・
たしかに姉ちゃんを誘って遊びに出かけるにしても子どもの教育費が・・とか、ボーナスカットでは小遣いも大変なのかもしれない。
実際にそんなことをしたら家庭内騒動になるかもしれないし・・・
それを考えるとネットは平和なんだね。
が、しかし・・・
老紳士かと思ったらとんでもない色ぼけだったというのはどうなんだろう?
相手にされないと誹謗・中傷をあちこちに書いてまわる。
バーチャルで嫉妬妄想にとりつかれ、哀れなるかな、「○○さんはXXさんの不倫相手」とか?
この手の妄想があまりにも多すぎて・・・
にしても、ネットで喧嘩する時は匿名にかぎるね。
ウザイと思ったら、ハンドル名を変えて逃げ出すほうが手っ取り早い。
でも、実際には個人情報をヤリトリしているほうがその手のトラブルに巻き込まれやすい気がする。
一体、アンタは何しにうちのサイトに来ているのさ?
というわけで、「やっぱりサイトをつくろう」と素直に思った背景には、このようなろくでもないインターネット大衆文化・娯楽の世界があるのでございます。
短歌という自己表現への道に向けて
at 2003 05/25 12:26
庭に薔薇が咲いている。
デジカメで写したいと思ったけれど、未だに画像のことがよくわかっていない。
あれこれ覚えることが多いと思いながらも、毎日があっという間に終わっていく。
サイトの整理をしなければ・・・
短歌を詠みながら、過去の短歌の整理を進める。
自分が想像している以上に歌がたまっていたので、これを少しずつ整理していく。
そのままあっさり削除してしまいたくなるような歌もあるけれど、今は言葉が浮かばなくても、そのうち忘れた頃にぽっかり自分の言いたかったことが言えるかもしれない。
当時見つからなかった戸惑いをそのままアップしておく。
言いたいことがあるけれど、それをどうやって表現したらいいのか迷う。
それが短歌の面白さ。
言の葉をいくつ重ねても伝わらないことが多すぎる。
それでいて、自分の言いたかったことがすぅ〜っと軽やかに言の葉になると楽しい。
短歌のエッセイも屁理屈日記にあれこれ書いてきたこともきちんと整理しなければならないかもしれない。
それがサイトをつくるということなのかも・・・
毎日毎日言の葉を重ねるだけではなく、その中から本当に必要なことを抜粋し、要約して整理していかなくてはわかりにくくて仕方が無い。
一体誰のためにサイトをつくっていたのか?
もちろん自分のため。
自分の書きたいことを書いているにすぎない。
それでいて、今は、存在意義のあるサイトをつくりたいと思っている。
存在意義のあるサイトがどういうものなのかよくわかっていないけれども、そのうちわかるようになるかもしれない。
結局、マニュアルの好きな人たちはサイトもマニュアルを求めて検索などをするのだろうし、実際、実用書のほうが役に立つような気がする。
それでいて実用書というのは常に使い捨て感覚がある。
古くなってしまえば役に立たないことも多い。
こんなにサイトをつくるのに時間が掛かっていたら、アップするそばから古くなっていってしまうだけのような気がする。
お花のアイコンを増やしたいと思ったら、どこからともなくそそくさと簡単に画像がアップされたサイトなどはとてもじゃないけどあたしには無理。
それをつくるためにおそろしいほどの時間を費やしてしまう気がしてしまう。
それでは短歌のマニュアルをつくろうかと思ったけれど、一体あたしはどうやってこれほどまでの言の葉を積み上げてきたのか自分でもよくわかっていないことに気が付いてしまった。
北原白秋が詩だけではなく、歌人であったということすら知らなかったわけだし、短歌を詠むのは好きだけど、短歌を読むのはあまり好きではない。
あの細かい文字の並んだ雑誌を買ってまで読みたいとは思わない。
すべてが役に立つわけではないけれど、もしかすると読んでおけば何かの役に立つのかもしれないとは思ったけれど、結局、他人の真似をしていても始まらないでしょ?
ならば、概念の世界だから・・・
自分が何を詠みたいのかがはっきりしているほうがわかりやすい。
しょせん、短歌などというものは、5・7・5・7・7の世界。
それ以上でもなくそれ以下でもないことが何となく見えてきた気がする。
英語の短歌や俳句は31音節で詠んでいるらしいけど。
そうなると、たくさんの意味があるような気がする。
そんなこともないのかな・・・
何を楽しんでいるのだろう・・・
英詩は韻を踏むというか、子音の世界だけど、日本語は母音の世界だから、音節が大切になる。
語呂合わせのために枕詞があるのではないかと思うくらいだわ。
きっと同じような歌をたくさんの人たちが詠んでは消えていったのだろう・・・
百人一首ですら覚えられないのに・・・
どこまでも自分の世界だというのであれば、まずは自分を確立することから始めなければ・・・
自己表現への厳しき道は日曜日も楽しく続いている。
イソターネットからインターネットへの切り替えは大変なのよ〜!
at 2003 05/22 02:25
ネットをチャットなどから始めてしまうと、サイトをつくってもどうしてもBBSへ直行するようなサイトをつくってしまいやすくなる。
自分などはちょっとやってみよーかなーっと思ってネットを始めただけだから、その程度なのよね。
パソコンを買ったときに付いてきたプロバイダの案内などを、料金を比較したりしながら眺めているうちに何となく申し込む。
そのうちチャット部屋の常連がどうたらこうたらですったもんだするのが面倒になり、親しい友達とだけ遊ぶようになる。
それでもあたしなんて友リスに50人以上あったんだから、ネットの友達って一体何なのかと不思議に思ったりするんだけど、グループの中にいたりするとそれが当たり前なのかもしれないし・・・
いささかメールを書くのにも飽きて、BBSをつくる。
それまでせっせとメールを書いてくれていた人たちはBBSにはカキコしてくれないことが多い。
それでカキコしてくれる人たちを求めて、あちこちへ俳諧してもBBSだけだと投稿者があってのBBSだから管理が面倒なだけ。
自分のカキコもBBSに書いていたから、それも邪魔だと叱られる。
このためサイトが必要になったから、ガイアックスで発作的につくってしまった。
だって、タグを知らないどころか、FTPのことも知らないのだからガイアでしかサイトをつくれない。
ところがつくったとたんにガイアというのは知らない人たちの来訪がある。
あまりにも不思議だったけれど、何となく来訪してくれたサイトにカキコする。
最初の3日間は慣れないことだらけで、そんな感じだった。
下手にチャット部屋でくだらない話をしているより、ガイアのほうが遥かに面白かったな・・・
タグのことでもネットのことでもあれこれ教えてもらえるし・・・
そのうちレスを書くのが大変になり、あれこれと気を使うのが面倒になり始める。
そこまでになると普通はやめてしまう人たちが多い気がする。
でも、それからだな・・・
「やっぱりサイトをつくろう」などとわけのわからんことを考え始めたのは。
じゃあ、それまでの自分のサイトって一体何だったの?
「イソターネット」と呼ばれる。
インターネットではない。
「いそたーねっと」。
単に友達をつくったり遊んだりするためにサイトがあるわけで、だったらサイトなんてつくる必要性がないんだけど、あると便利だからサイトをつくっているだけの人たちが多い気がする。
区分するためにサイトが存在しているような気がするわ。
プロフなどは大抵伏せてあるから、それこそ管理人の素顔が見えないサイトが多い。
素顔が見えないほうが・・・
と思うケースも多々あるけれど、しょせんネットなんてものは一方通行社会だから、てきとーにレスを書いてノラクラしているくらいがちょうどいいのだろう。
なるほどね・・
素顔の見えない世界か・・・
素顔の見える付き合いをリアル・モードと呼ぶ自分がヘンなのかもしれないな。
そういうネット特有のいい加減さに振り回されるよりも、自分できちんとサイトをつくったほうがいいもの。
世辞に振り回されないからネットは楽しい。
それゆえにネットは面倒。
いつまでそんなくだらないことをと思われているだろうな・・
ちょこまか世間話をしにあちこちへ来訪するのもそれなりに面白いから・・・
一生懸命、短歌を徹夜でアップしたら1800首以上あるのだもの。
そのほかテキストをまとめたり整理したり機械と一人で格闘していたら疲れるもの。
その合間に、どうしてるかなーっと休憩時間が入ってどこが悪いのかわからん。
Diary
Top : Old : New
: Home
|