Rin's Diary
May, 2003
(No.2)

 

こじんまりしたサイトが気楽かもね・・

at 2003 05/20 11:58

インターネットで一番ややこしいのは著作権のことかもしれない。
まずは、ガイアックスだと直リンクは当たり前、すぐに画像やサイトのデザインをパクるし、いつの間にか別のサーバから画像やMIDIを呼び出すことが禁止になってしまっているし、年中どこかですったもんだしている。
こんな駄文や短歌や詩にも著作権がある。
小さい輪で、友達の短歌や詩をお互いさまとばかりにアップしている分には叱られない。
画像も友達から借りたり、人気の素材屋さんだとリンクしてあれば大抵はクレームが発生したことはなく、見たらすぐにどこの壁紙かわかってしまうくらいメジャーだと著作者もあまりナーバスにはならないのかもしれない。

これに対して、一番神経質になるのが、素材屋さんが素材屋さんからパクるというケースらしい。
CGIでも画像でも作者がいて配布している。
インターネットでは、それをさらに加工することも簡単だしめずらしくはない。
ただしその際、オリジナルがわからないほどにというのは迷惑だろうし、オリジナルがわからないほどに加工してしまえばさらにそれに対して著作権が発生してしまう。
ディズニーなどはとっくに著作権は切れているはずのキャラクターも多いのではないかと思うけど、毎年毎年新しいキャラを描くことにより50年と年限のある著作権が延長されているらしい。
こんなに加工が簡単だと、著作権自動発生装置のようなものかもしれないし、このように気軽に書いている駄文ですら著作権の対象であり、一部匿名での誹謗・中傷目的の投稿などを除いて、BBSへの投稿でも投稿者に著作権が認められている。
つまりは、BBSに投稿された内容を勝手に出版してはいけないということなのね・・基本的には。

このところCGIのアップの仕方を覚えてしまったがゆえにBBSの数が増えてしまった。
BBSが一つしかなく、リンク集にも素材屋さんが一つ二つ並んでいるくらいのサイトであればクレームが発生するとは思えないけれど、友達の分までCGIをアップしているとなんだかややこしい。
無償で貸しているために商用というわけではない。
自分のサイトで使っているだけならこんなことは考えないけれど、今度は2次配布の問題が発生するらしい。
通常、レンタルBBSを借りている人はそれを自分でカスタマイズする。
だから素材サイトでも自分のサイトにリンクするだけ。
自分でCGIをアップしても同じことよね・・・
ウェブ上で編集できるタイプのBBSであれば使用者が勝手にカスタマイズしているのだもの。
で、そこに壁紙を貼ってくれと頼まれて貼る。
特にCGIのほうにリンクを貼るという規定がなければ普通にリンク集のほうにリンクするだけなんだろう。
CGIを配布しているところはすでにアップすると自動的にリンクが見えるようになっているから、使う側はいじらない。
そこに画像を貼ったりすると今度は・・・?
という具合に、どんどんややこしくなっていく。

一番簡単なのは、CGIの配布をしているところがきちんと著作権表示をするべきなんだろうけど、それをカスタマイズするのは利用者だからな・・・
「アイコン等は素材屋さんから借りてください」と表示するくらいなら最初から梱包しなければいいとさえ思うんだけど、素材屋さんにしてみれば配布サイトで使ってもらうとたちまち宣伝になるし・・・

サイトはこじんまりしているほうが気楽だね・・・
ガイアックスなんて、CGIをセットで貸し出ししているようなものだもんね・・・これでトラブルが発生しないとなったら奇跡かも。

 

 

試金石

at 2003 05/18 23:24

ネットを始めてそろそろ3年半、サイトをつくって2年半になろうとしている。
1クリックでつくれて消せるサイトだからと何となく続けてきてしまった。

今日はバテバテ・・・
睡眠不足の上に、これまでに自分が詠んだ短歌がどれくらいあるものかとカウントしようと思ったのが運の尽きというか・・・
2001年だけでも579首だもの。
もちろん短歌というより狂歌や都都逸風のものやいい加減なものも混じってはいるけれど、我ながらよくもまああんなに適当に詠んでこれたものかと感心してしまう。
ぼっけーっと眠くても惰性で詠んでいた頃もある。
そこまでして詠んでいるというのが我ながら不思議だけど、何となく旅先でもメモと鉛筆片手に短歌を詠んでみたり・・・

過去の思い出などを短歌にしているものも多い。
最初は短歌というよりも完全なる一行詩・・・
ランボーなどを読みながら、感覚的に詩を書く雰囲気で詠んでいる。
やがて、口語調、日常風、恋の短歌を経て、それこそリビドーだの主観的輪郭線だのありとあらゆるものをネタにして詠むようになる。
シモネタから上位概念まで・・・
それこそテロにしても原爆記念日に寄せた短歌にしても、ありとあらゆるものが短歌になっている。

小さな出来事から大きな出来事まで、旅から子どもの入院まで、何でも短歌。
しかも連歌が多い。
連歌で詠んだものは連歌でアップしたほうがいいかもしれないと思っていたけれど、実際には言の葉の積み重ねは個人の内面世界なのだろう・・・
わざわざ連歌にする必要性もない気がするくらい数が多い。

何も考えていないのよね・・・
毒々しいトーンも好き。
自分ではロックのリズムで・・と思っているんだけど、それが通じているかどうかもわからない。
通じる必要性もなく、反社会性も自然も写実も耽美もすべて。
ありとあらゆることをやっているとしか思えない。
何も考えずによくあれだけの量をいろいろ詠めたんだからそれだけパワーがあったということなのかもしれない。

自分のためにある。
どこか狂気と紙一重の世界をアートで潜り抜ける。
そういう低空飛行が面白かったのかもしれないし、それでいてロックを聴いた後に童謡を聴くような間の抜けた世界を通過しなければならないという愚かさで2001年は終わったのだろう・・・

それにしても、短歌も同じだ。
「だから何なのさ」という部分が欠如していると見事につまらない。
あれなら駄文と変わらないというか、駄文のほうがまだマシと思えるような歌もある。
まだ自己を抑圧していた時期の短歌・・・
奇妙な短歌から詠み始め、レトロな短歌へ移行し、その窮屈さにうんざりしながらも自分を出し切れていない。
そういうもどかしさがあって、それが爆発して狂歌のようになってしまった。

何もしていないようでいて、このように自分という人間が無意識にいろいろなことをしていたのかと思うとおかしい。
時を重ねると模様が見えてくる。
まだまだ全体像が見えるほどにはならない。
まだまだ未知なる領域だ。
いつになったら外海へ出られるのだろう・・・

 

 

再生

at 2003 05/17 01:26

ようやく自分の中で、ネットや短歌が遊びから趣味の領域にまで昇格したような気がする。
遊びと趣味の違いは、遊びというのは道楽であり、趣味というのは銭を貰っていない仕事というニュアンスすらあるし、結構、その差は大きい。
ヘンな話、ワープロを打ったって、論文を下訳したりするだけでもバイトにはなるわけで、それをしないのは単に面倒だからにすぎない。
家事をさぼりながら、ネットばかりやっている妻に文句を言わない夫・・・
何でも覚えておいたほうがいいもの。
そういう点では学費をかけないで、ノラクラ遊びながらあれこれ覚えているわけだから、特に文句を言われる筋合いはない。(と思う)

ようやく自分でCGIをアップできるようになり、サイトもいくつか管理している。
まだまだ序の口。
短歌もノラクラ詠み続けてきただけで、これを本格的に勉強しようという気にはなかなかなれなかった。
というのは、自分と和歌というのは酷くミスマッチであり、苦手意識すらあったものに対して、積極的になれというほうが無理な気がするでしょ?
大学で無理やり(必修だったのよ〜!)覚えさせられた簡単なプログラムですら、実際にはデータを入力するだけで終わり。
ましてや国文なんてね・・・授業ですら取ったことは無かった。
古文苦手だったし・・・

機械音痴で古典には弱い自分が何となく続けてこられたのはネットだからだったと思う。
臨床ネタも嫌いだし、その手のトレーニングがこれほどまでに役に立つとは思ってもみなかった。
職に就いていればそれっぽく実名でサイトなどをつくることもあったかもしれないけど、職にも就いていないのにおこがましくサイトなどをつくってもかまわないだろうかという主婦コンプレックスも手伝ってか、実際問題、機械嫌いの自分がこそこそネットをやっていることを派手に宣伝したくなかったのか、その点、匿名というのはありがたいと思います・・

専門バカっていうかね・・・
どこが専門バカかっていうと、専門以外のことについての社会的な意味合いや尺度というものを知らないということかもしれない。
普通の基準というのにバイアスがあり、何が普通なのかよくわからない。
臨床心理士の試験問題を見て、あまりの初学者的な内容に、この程度の知識で本当に良いのかと思ったほどだ。
ならば現場に出て、受験すれば通るような気がするけど何もしない。
理由はかっこ悪いから。
自分が臨床(心理学)を専門としていたのならいいけど、実際、臨床には興味がなかったし、どこか同じ学科であっても水と油のような違いがあって馴染めない。
という具合に、どうやって考えても自分は単なるバカなんだと思えて仕方が無い。
実際、その通りなのだと思うけど・・

下から上を見上げると、それこそ大学院へ入って資格を取るとなると大変なことのような気がする。
それでいて、そこを一気に通過して、博士課程を後期まで修了しているとなるとなんかかっこ悪いのよ。
あー恥ずかしい・・・

最初は誰でもビギだから、それこそ子育てでも料理でも主婦の仕事を覚えるのもビギだった。
ネットもビギだし、短歌も超ビギ。
小学生がひらがなを覚えるよりも大変な気がすることも多い。
自分を捨ててやってこれたのは、バーチャルだからだ。

リアルとバーチャルを分けすぎ・・・
分けなかったらかっこ悪いじゃん。
かっこ悪いのも酷く自分らしい気もするけれど、それでいて一からあれこれ学ぶためには匿名というのは実に便利だったと思う。
赤子のように一から学び・・・か。
ほんとほんと。
まったくその通り・・・
それが実は素晴らしいことなんだね。

 

 

また最初から

at 2003 05/15 02:35

普通のサイトをつくるのが一番ムズカシイような気がする今日この頃・・・
インターネット欝社会をどうやってスムーズにクリアに楽しくマイペースで泳いで行こうかと悩んでしまう。
それにしても、行きつ戻りつ、しがみついては離れ去り、離れてみては人恋し・・・
結局、欝というのはこの繰り返しなんだな・・・
わかっていても、毎回毎回誰かに欝を移されて、それでいてやはり自分にも多少なりとも欝があるのではないかと思いながらも平穏な生活は続いて行く。
欝なら欝らしく欝にどっぷりつかりながら孤独と絶望を堪能し、被害妄想、嫉妬妄想、ゆらゆらめらめらしながらアートな気分にどっぷりつかるというのも悪くない気がするけど。

ある意味、自己嫌悪とか疎外感などは味わうのも与えるのも簡単な気がする。
どんなことにも慣れというのはあるらしく、天然物の桜ブルーとは別に、毒々しげに憎々しげに棘だらけのサイトをつくりたい。
そーすると心配になっちゃうんだろうな・・・
どーしましょ?
あたしは平気なんだけど、それを見ているのがつらくなる人たちが存在する。
逆に、うきうきるんるんしているほうが疲れる・・・
だって、インターネット欝社会だもの。
迷惑な来訪者がやってきやすくなる。

ネットをやめなければならない日もある日突然やってくるかもしれない。

ところがだ・・・
予測したとおり、あたしが消えても誰も困らない。
こんなんでいいのか?
それを考えると娘というのはありがたい気がするけど、それでいて娘もやがて自分がいなくても平気になってしまうのだろう。
そーならないと困ると思いつつ、マタニティ・ブルーがどっぷりやってきた自分を考えるとおそらくは年寄りになったら大変なことになるような気がしてしまう。

ダンナは頼りになるか?
ならない。(きっぱり)

自分の親でさえダメなのよね・・
救えない。
要するに、自分を救うだけで精一杯になってしまうのだろう・・・
友達も家族もいて、それでいて訪れる孤独と絶望だもの。
ましてや自分の親の欝が移るとにっちもさっちもやたらと不機嫌になってしまうだけ。

老後を考えたら、ネットと短歌とペットかもしれないな・・
今は、おちびの世話だけでも大変だから、どうでもいいけど、そのうちと思いながらその日はある日突然やってくるのかもしれない。

ある日突然ブルーな気分に襲われることを心配する。
それでいて、それはそれでいつも何かを始めるきっかけになってくれている気がするし、気分の問題なら誰かが救ってくれるだろう・・・

 

 

毒が必要な自分とは・・・

at 2003 05/14 08:18

朝からサウンドをバック・ストリート・ボーイズに変え、現代短歌の歌集を2冊とロートレアモンと林芙美子を取り出す。
自分にはどこか毒が必要であることを思い出したのかもしれないし、気分なのかもしれない。

ネットアラシが軽いネタかどうかは知らないけれど、このところつまらないネタで日記を書いていたので、いささか気分的に飽きてしまったのかもしれない。
そういうワイドショー的なネタのほうが盛り上がるんだから仕方がないのかもしれないし、それでいて自分はあまり興味もなく、表面上に現れる印象ほどには何かをしているわけでもない。

初心に帰れと言うけれど、何となくそんなことを思い出したのかもしれない。
自分を表現するということは過激だ。
特に仲良しこよしのサイトをつくりたいわけでもなく、「カキコしない人は来訪しないでください」などとくだらないことを言いたいわけでもなく、世間話をするなら自分のサイトより他人のサイトへ行くほうが気楽だ。

それより書きたいことを書きたいだけでつくったサイトなのだから、精一杯毒づいているほうが自分らしい気がしたのかもしれないし、それでいて近頃あまり自分が毒々しいとも思えない。
自分より天然猛毒を押し隠そうと苦労している人たちに囲まれてしまったからかもしれないし、それでいてそれを跳ね返すにものんびり家族の話をしていたらそういうパワーも欠如してしまう。

なんでこういう流れになってしまったんだろう・・・

 

 

自己表現

at 2003 05/14 02:10

あれ?
サイトって別人格でつくるものだったの?
いやはや・・・
それで、ガイアックス・マニアというのが存在するようになってしまうのかもしれない。
ガイアックスにサイトをつくっているというとよくバカにされたものだけど、今はまた何となく違うような気がする。
自分が最初につくった頃は、それこそ60秒でつくれるならつくっただけで、タグもパソコンの使い方もFTPのことも知らないからガイアでしかつくれなかったというのが正直なところ・・・
だから、ある意味においてバカにされても仕方がない。
URLを残すにしても、ウェブ・リングに参加するにしても、何となく「ガイアのサイトのくせにどうしてそんなものに参加するの?」みたいな雰囲気を電子文字の世界に感じて肩身が狭い気がしたけど、今は全然気にならない。
単に管理人の個人的趣味と、一番最初につくったサイトだから愛着があるのと、何もしなくてもそれなりに来訪者があるから気楽なのかもしれない。

実際のところ、サイバー上でトラブルが発生するとすぐにハンドル名を変えたり、ガイアだったらサイトを閉鎖したり・・・
リアルな知り合いとバーチャルな知り合いを分けろとか、パスワード付きBBSをつくれとかいろいろ言われるけど、よく考えたらリアルな知り合いからメールが届いてレスを書くことのほうが少ない。
サイトを教えても来訪しているのかどうかも知らないし、あたしが勧めて無理やりネットをやらせた友達にしても今はどうしていることやら・・・
たまに忘れた頃に電話やメールが来るくらいで、電子文字で一緒に楽しく遊んでいるということはまず無い。

ネットの話題はネットで知り合った人の間でしか通じないし、自分でメルアドもつくれない、電源の切り方すら知らない人間にネットのことをあれこれ語っても無意味。

結局、「何を介在して互いにつながりがあるのか?」だよね・・・

同級生だったのか、子どもを通して知り合ったのか、趣味のサークルなどで知り合ったのかなどでそれぞれに話題も違う。
ネットで知り合ったのなら、そりゃ話題もネットのことになってしまう。
実際のところ、必要な知識は自分で本を買って覚えたというより、ネットで知り合った人たちに教えてもらいながら覚えたとしか語れない。
近所の人たちと話すのは、子どものことや学校のこと、庭の花のことくらいだし、たまに集まる親しい人たちはダンナの職場仲間だからどうしても話題がそちらのことになる。

匿名だから互いに気楽にグチの一つもこぼせるという関係が一番始末に終えない。
「本音」と言うの?
匿名だから本音が語れるという人たちが俳諧しているからややこしいのかもしれない。
そのうち仲良くなって互いに個人情報を・・ってなるとしり込みしてしまうのは「本音」を知られているからなんだろう。
だったら最初から何も語らなければいいのに。

うっかり本音を言えない仕事もあるよね・・
娘の担任の先生と話すと、それは何となく感じたりする。
それで、先生が「宙」でもやっていたら笑ってしまう。
どこの誰だかわからないというのは時に不可思議な世界を描き出すこともある。
たとえば、教室という空間では出されることのないコミュニケーションが互いにどこの誰だか知らないがゆえに気楽な関係が存在していたりして・・・

----気持ち悪くない?

って訊いたら、「楽しいわよ」だって・・・

なんかね・・

堂々と短歌のサイトをリンクしているのと、何となく匿名で誰も知らないところで「本音」トークしているのとどっちが気持ち悪いだろう?
堂々としていたいよね・・
恋も愛も悲しみも憎しみも堂々と歌にしていたい。
リアルとかバーチャルとかさ・・
そういうこととは違うよ。

自分の世界だからさ・・・

 

 

手段としてのネット

at 2003 05/12 09:00

普通の主婦が、何となくネットを始めてしまった日・・・
何となく始められるものなのです・・・電話料金さえ気にしなければ(ぐわっ!)
プロバイダの料金のほかに電話代まで請求されるという事実に気が付いたのは、プロバイダ提供のチャット部屋で遊んでいたからであって、最初からチャットで遊べるのはワープロが使えたからでありまして、ワープロが使えたのは英文タイプが打てたからとしか語れません。
そのほか、仕事で使っていたからとかピアノが弾けるとかその他諸々の理由でたまたまなんでしょう・・・皆さま。
昼間からチャット部屋で遊んでいる主婦がパソコンに詳しいわけもなく、それでいてどこが安いとかどうすれば安くネットで遊べるかなどと情報を交換しあいながら、何となく常連化しながら平和な一時が過ぎて行く。

それを捨てたのは、ヘンな騒動に巻き込まれたからだし、ヘンな騒動と思ったのは自分がネットに浅かったかららしい。
チャット部屋のビギ狙いとか、良くも悪くもあちこちでオフ会に誘われたり、最初の2ヶ月はアクティブに活動していたとしか思えない。
匿名だと思うから気楽だし、それでいて個人情報がバレたらどうして困るのかその理由がわからなかったからハンドル名を考えるのもかったるい時期もあった。
プロバイダでサイトをつくらないのは実名でIDを取得しているからだし(笑)、IDを替えることもできるけど、未だに何もしていない。

ダンナのパソコンを使っていたら、顔文字を辞書登録してしまい叱られてしまったがゆえに、専用のサブ・ノートをゲットした頃が懐かしい。
それこそチャット部屋で遊んでいるうちに仲の良い友達ができて、毎日あちこちにメールを書いて遊んでいるのが日課になったために、娘の習い事の待ち時間の暇つぶしなどにパソコンを携帯するようになったから、昔は小さいほうが便利だったのよね・・・

最初にメッセンジャーを教えてもらったのは、いささかパブリックのチャット部屋にはうんざりしていたからでもあるし、好奇心からでもあるし、なお酷いことによくわからないから個人情報を登録してしまい、それを知らない人に教えていただいて消す。
知らない人って言っても、こちらが無防備だとあちらも無防備というか、たまたまつくば市で検索したらあたしがヒットしたという人は、どういうわけか最初から実名でのやりとりだった。
ご近所の人の話とか、ローカルな話題とか・・・
親しいから実名なのではなく、通りすがりに親切だったから実名だったんだろうな。
ジャンキー同士のやりとりじゃないもん。
ローカル・シティ特有の身内意識もあったかもしれない。

そのうちICQは爆弾がうざいのと、メッセがパタパタ届くからいちいちメールを書くみたいでかったるいのと数字をメモしておかないとすぐに忘れてしまうのと(3つくらいあるんだけど忘れた)、DLに時間が掛かったためにパソコンを替えるたびに落とすのが面倒だったということもあって捨てた。
一時期、サイトにもICQ番号を貼っていたことがなかったっけ?うちのサイト・・忘れたけど。
ほとんど起動したことがなかったし、意味がないので捨てたと思う。
今はすっかりすたれてしまったな・・・ICQ番号をサイトに貼るという習慣は。

これと平行して、AIM・・・
旧いものはすでにパスワードを忘れてしまっているし、メルアドとして使っているものはメッセンジャーは公開していない。
勝手に友リスに登録されてしまうために、結局、自分で登録してある人にしか公開しない。

誘われてつくったYAHOOのメッセンジャーは使う人が少ないからそのまま放置しているうちにパスワードとIDを忘れてしまった。
MSNの場合、とりあえず誰が登録したかがわかるのと使っている人が多いのとブロックが簡単だから、実はこれが一番手軽な気がする。
ハンドル名やIDを取り替えると不便なことが多いために、AIMのようにまるごと捨てるという感覚は逆に不便な気がする。

このほか、ODIGOは最悪でしょう。
便利かと思って一度落としてみたら、知らない人からのメッセが多くてどうにもならない。
というわけで1日で捨てた。

やふえみゅ?
これはYAHOOとMSNが同時に使える上に、勝手に友リスに登録してあるところから自分のIDを消してしまうことができるという優れものらしい。
一瞬落とそうかと思ったけど、今のところYAHOOのメッセンジャーは使っていないし、MSNの場合は受信拒否してしまえば終わるし、誰が登録したかがわかるから今のところ自分で落とすところまではいかない。

ところで、「どうしてサイトをコミュニケーション用につくるのか?」というアホな質問の多いこと多いこと・・・
それこそ家族の写真がアップしてあったり、親しい友人しか来訪しなかったり、そういうサイトは案外多い。
バーチャル・コミュニケーションの世界なのよね・・・
匿名性の高い世界だから、親しい人だけに個人情報を伝えるという習慣になったのだろうし、それでいてサイトは出入り自由と考えている人たちも多いから、すごくややこしい。

サイトはサイトでつくって、コミュニケーションにはメールやメッセンジャーを使えば問題は解決する?

世の中、チャットで気軽に遊んでいられるほど打つのが速い人たちばかりではなく、それこそグループで遊んでいると一日中ネットで遊んでいられるような人なんて少ないよね。
だから、BBSが便利なんだろう。

メールは密室だから困るケースもある。
考えてみたらどこの誰かも知らない人たちからぽんぽんメールが届くということもヘンな世界よね・・・
ダイレクト・メールだったらゴミ箱に直行でしょうに。

というわけで、常に関係性をクリアにしておくという習慣が一番大切な気がする。
ガイアはね・・・
インスタントの上に、プロキシを使ってつくったメルアドでもサイトがつくれてしまうらしい。
考えてみたらてきとーなんだよね・・
しかも、ブロックしても平気で書いてくる人もいるし、そういう意味では友達をつくったりするには一番危険かもしれないと思うことも多い。
あくまでもサイトだから、サイトはサイトとしてつくって、アクセスアップの簡単なところとか利点を考えながらサイトを使い分けていくほうが有意義かもしれない。

それでいて、うちのサイトみたいにガイアックスのBBSに蓋までしているサイトというのもめずらしいだろうな。
非公開にしていてもカキコしてくる人たちもいるし、それを見る人たちもいるという恐ろしい世界。
だから、タグで隠した。
これでも足りないなら、右クリック禁止にしなければならないかも・・・(なんで管理人が隠しているページをわざわざ見るんだよーーー?)
要らないページだから、めちゃくちゃ重い画像とMIDIを貼り付けておくとか?
ヤレヤレ・・・
とんでもないね。
書かれたらレスを書かなければならない?
それがイヤだから、ガイアなのにBBSを置かないサイトとか・・・
今使ってるBBSもプロキシ禁止にしておこうかな・・・

そこまでするなら、BBSを置くなって?

あたしの勝手だ・・・
パソコンをどうやって使おうと誰かの勝手。
自己表現ということとジャンキー化するということは何かどこかが違う。
通信手段ということとジャンキー同士のコミュニケーションということとも何かどこかが違うんだろう・・・

 

 

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