Rin's Diary
April, 2003
(No.3)

 

円満

at 2003 04/30 02:59

これはカードで言えば、総取替えに相当すると思うくらい来訪者が変化する。
持っていても仕方がないカードや、札の揃わぬ手持ちだった場合、そそくさと全部取り替えると上がりやすくなる。

捨てたくないカードもあるかもしれないけど、たとえ場がつまらないカードしかなくても同じマークが揃っていたりすると、交換したほうが速攻で上がれる。
誰かが捨てにくくなるカードを待つこともできる。
父が決めたルールかどうかは知らないけれど、カードの勝敗に減点制のある点数で計算されるために、マイナスの札を持っていたら結局負けてしまう。

何だかそういう時の気分に似ている。
あたしは、案外、勝負勘がよいので総取替えは得意技だった。

アンハッピーな気分になるより、ハッピーな気分のほうが楽しいに決まっている。
退屈は敵だ。
あれこれどうしようか迷いながら、BBSなどをアップしていると、そちらのほうが楽しい。
レスもガイアみたいにレス-レスばかりだと書くのが大変だし、どうしても遅れがちになってしまう。

BBSの個別にレスを付けるタイプが主流になったのはいつからだろう・・・
ネットを始めたばかりの頃は、そういうタイプのBBSより、レス機能のないタイプのBBSが主流で、管理人がまとめてレスを書くという板が多かった気がする。
それでは何となく物足りないのと、個別にレスを付けたほうがカキコしやすいということもあるし、来訪者はそこの管理人と話しに来ていることが多いために、流れが変化したのかもしれないな・・・
何となく輪になるような感覚なら、個別にレスを書くようなタイプは向かない。
マルチにつくったBBSでも結局管理人しかレスを書かないとなると同じなのよね・・・

コミュニケーション・スペースなんだから、管理人が楽しくなかったら意味がないと思うの。
勝手に来訪者が遊んでいるのをひたすら影で管理しているというのはなぁ・・・
なんか悪趣味なような気が・・・

のんびり楽しくBBSで遊んでいるうちに、風の便りでまたアラシが発生しているという・・・
すでに忘れていたので、どうなっているのか知らなかった。
助太刀ですな。
あんなアラシ一匹退治できないのかよ、と言いたいけれど、粘着だから仕方ない。
出会い系へ行け、と書いてやった。
唯一そこのサイトだけは、アラシが行っても”お客さま”だからいいよと言われていたし・・・
出会い系BBSのリンク集だぜ?
しかも、そんなんで一日1000ヒットくらい稼いでしまう。
クリック単価もアダルト系のほうが高いんだろうな・・・
知らんけど。
毎日のように来訪するようなリピーターまでいるという・・・

一般のサイトでセクハラするから大騒ぎになるけど、出会い系のさくら相手に騒いでいるなら関係ないではないか。
なんであんなんがガイアにしがみついているのか不思議だったんだけど、すでに出会い系でトラブルがあってガイアに逃げて来たという情報をキャッチした。

それでなのね・・・
いい迷惑だ。
そんなんを相手にしているヒマはない。
だったら、出会い系があれだけリンクしてあれば一日中勝手に遊んでいるだろう。
管理人にも感謝され、アラシは消えて、井戸端会議で盛り上がる。

素晴らしい一日だった。

 

 

意味深?

at 2003 04/27 02:20

気分転換をしたい時、マキシ・プリーストを聴くことが多い。
レゲエのイメージをまったく新しくしてしまった彼のセンスと、ラヴァーズ・ロックの明るさと、それでいてどこかけだるさが心地よいからかもしれない。
明るさと翳り・・・
その微妙なコントラストが、陽射しの強さの中ではよく似合う気がするから・・
それが、陽射しの弱い国で迎えられて、どこか単調さが心地よい。

コインをどちらに投げようか迷う。
実際に、短歌の活動をするのなら、ネットでは逆に短歌を切ってしまいたくなる悪いクセがあるから・・・
リアルとバーチャルをわけすぎと言われ、どこか境界を踏み越えないようにラインを設定するような感覚があるから。

この前、友達に実名サイトをつくると話したらぶったまげていた。
それほど驚くようなことでもないし、逆にメルアドをあちこちに貼るほうが気楽だということに気が付いたのかもしれないし、近頃の自分の愛想の悪さを考えると、むしろそれが普通のような気がするくらいだ。

サイトなんて、むしろ名刺代わりに使うくらいがちょうどいいのかもしれない。
勝手に妄想に走りそうな来訪者はカットするとか?
あくまでも自分は自分として存在している以上、どうしてそういう妄想が発生するのか不思議な気がする。
それでいて、コミュニケーション・レベルで考えると、どこか電子文字特有の匿名性が根底にあり、それは一方通行特有の苛立ちすら含んでしまっている。

BBSの無いサイトか・・・

にしても、考えてみたらなんでこんなものが必要なんだろう?
たしかに便利は便利なんだけど、自分のサイトじゃなくても短歌は詠める。
逆に詠ませてもらっているのかもしれないし・・・

他人に見えるコミュニケーションか・・・
意味深かも。

 

 

歌人さ

at 2003 04/26 00:28

自分が自由だと思った瞬間、昨日までの疲れが嘘のように消える。
ウェブでちょっと知り合った中で、短歌のことを論じても始まらないではないか・・・
自分は自由だ。
世の中はネットなんかしていない歌人のほうが多いだろうし、自分のサイトなどをつくっている歌人がどれほどいると言うのだろう?

歌人の基準はレベルではないな・・
それより、自分の作品の量が問題なのかもしれないし、それを生業としているかどうかも怪しい。
もともとは趣味の世界だし、歌で食べているほうが奇特な存在かもしれない。

そんなことより、ウェブは単なるきっかけにすぎない。
自分であれこれ短歌について勉強したり、歌を詠んだりすることのほうがサイトをつくっているよりも歌人的だ。

もちろんネットは趣味だから、これからもサイトは続けるだろうし、いくつかあるサイトの中の一部に短歌があるだけでもかまわない。
自分の存在証明として、作品がある。
それだけなのよね・・・
年賀状の残りで短歌を投稿したら、入選してしまったというせこさを考えると、それこそ世界中、紙と鉛筆を持ち歩けば日記の代わりにもなるだけのことだし、深く考えても始まらない。
それでいて、詩が命とまで語る人とめぐり逢いしかもそれはまことの事実として存在しているという恐ろしさを垣間見ると、詩も生きるに必要な要素を持っているのかもしれない?

ボケ老人のリハビリに、短歌や俳句が使われている病院がある。
若き日の記憶や気持ちがよみがえることにより、見事に快復に向かったりするらしい。
生きる気力の問題なのかもしれないし、若き日の自分がよみがえることにより、自分の中の何かが活性化するのかもしれない。

精神は自由だ。
それは、時に肉体すら凌駕する。

才能を出さないでいると体に悪いらしい。

あたしなんて少しも若くないと思うのよね・・・
なのに、近頃、しきりに若い、若いと連発されるということは・・・
まあ、寝たきりになっても紙と鉛筆が持てればあたしは死ぬまで歌人だ。
ざまあみろというわけではないけれど、パソコンが無くてもあたしは歌人だ。
ネットが使えないところへ行っても、あたしは歌人だった。

次にやることを考えよう・・・
まだ何かが始まったばかり・・・
たぶん。

 

 

形骸化

at 2003 04/23 00:54

ガイアックスのシステムを見ているうちに思いついたサイト?
たしかにCGIを駆使し、そこに自分のサイトをリンクしてしまえば、ガイアのシステムが形骸化してしまう。
つまりは、単なるフレームとしての意味しかないわけで、それを利用するのは、いわゆる”アクセスアップ”とか?

ガイアのサイト・・・
ログジャンプもしないで、日記も更新しない。
しかも、BBSもリンク集も自前のものを使う。
それでも20くらいはヒットしているわけだから、大したものだと思ってしまうけど、この間、別サーバのほうのサイトのアクセス数が増加した。

これはね・・もうずいぶん前から言われているのです。
「どうしてガイアックスがいいのか?」って・・・

長くサイトを続けていると、大抵はガイアのシステムに辟易としてきてしまい、ボロカスに言う人も多い。
実際問題、そう言える人は強い。
自分でそそくさとサイトをつくり、気が付いたら検索だけでガイアのアクセス数を遥かに上回る。
つまり、ネットのことをよく知っているんだろうな・・
なんとなく”ためし”にガイアにサイトをつくってみたいにすぎない。
マニアってそういうものなのかもしれない?

自分なんかは違うもの。
タグの一つも知らないところから、なんとなく発作で60秒でサイトがつくれるのなら・・という理由だけでサイトをつくって、それがそのまま2年以上続いている。
自分でサイトもつくれるようになっているし、ログジャンプもしない。
どちらかといえば、来訪してくれる人がいるからサイトを更新しているというだけで、惰性のようにサイトが続けられているにすぎない。

ガイアの人気サイトの宿命は、毎日夥しいほどの”挨拶カキコ”に忙殺されてしまうことかもしれない。
このため、うっかりログジャンプなどをした日にはBBSにカキコがたまり、それにレスを書くというのが酷く憂鬱な気分になってしまったりする。
最初のうちは、そういうヤリトリが面白かったりするんだけど、せいぜい1万ヒットもする頃には、サイトを放置する人が多くなってくる。

そんなにうんざりしながら、どうしてサイトが存続しているのか?
これだけアラシ被害に遭っても、
「落ちているものを拾ってお腹が痛いと騒いでいるようなものだ」
としか言われない?

そうなのよね。
それはすでに自分でも認めている。
ガイアはネタの宝庫だから、何となくいるにすぎない。
それと同時に、コミュニティだからいるのかもしれない。
やたらと常識的判断を求められるようなところだと息が詰まる人たちも多い。
それでいて、いろんな人たちが存在している。
一つのBBSに、神父さんと牧師さんと風俗嬢の人のカキコがある。
今までそういうことを不思議に思ったことはなかったんだけど、今回、アラシ騒動が発生して初めてそういう矛盾に気がついた。

何かあると、すぐに偏見だの差別だのと騒ぐ人たちがいる。
「自分は水商売はしたくない」と語っただけで、それこそ嫌がらせが発生する。
風俗嬢の人のサイトで、
「自分は風俗でなんか働きたくない」
と語ったとたんに、それを読んで気分を害する来訪者がいる。
管理人は怒らない。
なのに、まったく無関係な人たちが怒る。

神父さんのサイトで宗教を批判するようなことを書いたら、神父さんは苦笑いしているだけだろう。
ところが信者さんからメールが来る。
特に喧嘩したいとも思っていないし、神父さんに迷惑が掛かるから知らん顔するに限る。

アラシ・・

最初の頃のメール・・

一生懸命、彼が狂っていることを主張するメール。
どうしてそれをしなければならないのかといえば、書いている内容が大嘘だらけだからにすぎない。
ネットで何かを実証するのが困難な上に、書かれたほうにしてみればいちいちそれを管理人のところに苦情を書いて回っているわけだから大変・・

心の底から大変なことだと思う。
ネットでは、ちょっと見ただけではわからないことが多すぎるから・・・

でも・・
この世界、そういう障害を持つ人たちがあまりにも多く、同じような悩みを持つからこじんまり集まっている人たちも多い代わりに、一度憎しみが発生したら、それこそ許すことができなくなってしまう。
そして、一般社会という壁に突き当たりながら、理解できる部分と否定したい部分と一緒にされたくないという逃避の気持ちとがないまぜとなり、奇妙な現象が発生してしまう。

理解し合えないのなら、互いに知らん顔していればいい。
どうしてそういう簡単なことができないのだろう・・
コミュニティにいるとそんなことばかり考えてしまう。

もともとうちのサイトの来訪者は、他人には興味がないのかもしれないと思うことも多い。
というか、ガイアの場合、自分の板から書けるから、そういう人たちは自分の板からしか書かない。
だから、うちの板など見ないのかもしれない。
それができるのがガイアの面白さだったんだけど、ガイアの板もレスを書くのが大変だから閉鎖した。
他人が書いていることが気になるような人がいると、ややこしくなるからかもしれないな・・

 

 

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