Rin's Diary
March, 2002
(No.3)

 

放浪

at 2002 03/30 15:44

同じような不幸な境遇にいる子ども(っていくつのことだ?)でも、すごく性質のよいオコチャマとドツボに死んでほしいとすら思ってしまうオコチャマとどーしてこんなに違いがあるのか不思議・・・

片方には、きちんとした理由がある。
お父さんを交通事故で早くに亡くしてしまったとか、病気とか、いろんな自分ではどうにもならないような理由で不幸を重ねている人は性質がいい。
皆に好かれたりする。

ところが・・・・何の理由もない場合はダメだ。
極端にヒネくれてしまう場合も少なくない。
親の身勝手でそーなったとか?
他人にうまく説明できない理由でヒネくれてしまうと、舌足らずの悲しさでそれを自らの行動で表すしか無くなってしまう。

ヒネくれる理由もわかりやすい・・・
「誰も自分のことなんかわかってくれない・・」
それだけ。

他人に対して、わかりやすい理由がある時はすごくラク・・・
だけど、説明できない理由の時には我慢するしかないのね・・・・
だから、突然、発作的に爆発してしまう。
いつも我慢してしまう。
そして、切れる。
これの繰り返し・・・
そして、そーいうレッテルを貼られることに慣れてしまう。

「お母さんはあたしのことを少しもわかってくれない」

あのね・・・・
わからないのが普通です。
うまく説明できないけど、わかりあえなくなっていくということに、子どもの成長すら感じてしまうのだわ・・・
少しずつ他人になっていくことが、成長ではないかと思ってしまう。

ヒネくれてしまったらどーするか?

放っておきましょう。
勝手に生きていくでしょう・・・
捩れた空間でつまらんヤリトリをするより、空が広いことを思い出すほうが気楽・・・
世界の人口は、60億人。
日本人だけでも1億人以上いるわけだから、親を捨てて、60億人の世界を放浪するほうが平和。

 

 

諦めてくれ

at 2002 03/29 16:32

今日は雨・・・・
久しぶりに屁理屈日記を再開する。

結局、どう生きるか?
ということが信仰だとすれば、すごく重いのだわ・・・
どーやって生きたって人生は人生だ。
個人の勝手ではないかと思ってしまう。
それに・・・自分だけではどうにもならないことがあまりにも多すぎて、そこにはやはり運命と呼ばれるものが存在している気がしてしまう。

生きることが苦しいから、信仰であり、宗教なの?
なんかヘンだ。
だったら精神科へ行けばいいのに・・などとシンプルに思ってしまうけど。
カウンセリングでも受けて、ボロボロ泣いて、すっきりくっきりしてしまう・・・
それも悪くない。

ジーザスが我らのために死んでくれたのが愛だとすれば、単なる人情話ではないだろうか?
ヘンだな・・・・
何かどこかが違う気がしてしまう。
それを他の誰かに求めても無理だ。
諦めてくれ。

無償の愛・・・

何も求めない愛というものの存在を、なぜ人は求めるのか?
この手の愛を求める男を、人はマザコンと呼ぶ。

近頃の母親が、無償の愛に満ち溢れているかどうかも疑問だし・・・

真理か・・・・・

真理と心理とどっちがマシだろー?

大昔、授業中にぼーっと考えていたことを思い出す。
どっちも退屈な授業には変わらないし・・・

それにしても、どーして未だに心理学というとユングとかフロイトなのかしらん?
これって心理学とは違う。

精神か・・・・

やっぱり、詩人が一番平和という気がする。
誰からも怒られないし、文句も言われない。

 

 

眺む

at 2002 03/23 14:40

今では裏切り者の代名詞として有名になってしまったユダという人物は面白い。
その程度の裏切り者なら、世間一般、巷に溢れているではないか・・・
金貨と引き換えに仲間を裏切る?

ところがだ・・・
なんでそんなことをしたのかな?
確かに世の中、なんでも金だ。
共に苦労し、神の国の復活のために力を合わせる?

その奇蹟により、人々の間にジーザスの名声が高まる。
人々は誉め讃える。
彼こそがメシアだと。
そして、高価な香油事件。
「そんなことをするくらいなら、それを売って貧しい人たちに施したい・・」という意見は真っ当すぎて反論できない。
ジーザスは反論してたけど。
なんだか、そーゆーいささか細かい心のすれ違いがだんだん大きな溝となり、河となり、やがては不幸という海へ船出してしまう。

そーゆー人たちが一緒に居たんだから、居心地の良い世界じゃなかったと思うけど。
意見が対立し、細かい相違が、ピリピリとした空気の中に溢れ出す。
ジーザスを裏切る代わりに、金を手にし、それを寄進しますか?
すごい誘惑。
偉い司祭たちが、彼を誉めそやす。
いい気分だっただろう・・・
ヒーローだ。
民衆のことを本当に考えてるのは自分だ・・・と。

もともとが悪いヤツではなかっただけに、弱い。
それに他の人たちが気が付かないわけないよね・・・
どーせ人間などというものは、せっせと陰口を叩く。
ジーザスにも告げ口するヤツも居るだろう・・・

人間なんていつの時代も変わらない。
そして、悲劇はシナリオ通りに始まった。

ジーザスは処刑されてしまった。
処刑だ・・・
メシアと崇められ、そして処刑された。
クチでは、「たとえ死んでも・・」と語っていた人ですら裏切る。
自分が助かりたいから?
そりゃそうだろう・・・

結局、ボスが処刑され、仲間は犯罪者か?
ユダは、後悔してプシコかな・・・
金は呪われ、彼の希望通りに使われた。
そして、ユダは自殺。
弱い。
弱い男の典型だろう・・・

人間としての価値観や正義感が如何に脆いか・・・
何が正義かますますわからなくなる。

真理か・・・・

いと高きところから、人間を眺む?
なんかよくわからないけど、わからないからわかる気もするし、わかる必要性はない気もするし、結局、古今東西、人間なんていつの時代も変わらない・・・

 

 

誰かを呪えば、自殺したくなります

at 2002 03/21 10:02

うちのサイトは、諦めよう・・・
運命なのね・・・・
やたらとイカレタ連中がやってくる。

誰かを呪えば、自殺したくなります。
わかりやすい・・・・
自分ではどうにもならない。
時には、親を肉親を社会を愛する人を憎む。
とてもナチュラルです。
失恋して自殺したくなる。
恋人や夫の浮気が許せず、自殺したくなる。
生きていく上での希望が失われる。
そして、そういう苛立ちが不満となり怒りとなり、常にその出口を探してのたうちまわる。
挙句、どうにもならないことに苦しみもがき、そして自殺したくなってしまう?

う〜ん・・・・・
アホだ。

クルマを運転してれば、それこそ事故に遭うかもしれないし、天災も多いし、人災も多いし、病気にもなるだろうし、戦争になるかもしれない。
世の中には飢餓や暑さが原因で、パタパタと相次いで死んでいく人すら多い。

健康に寿命を全うしていても、いつかは誰でも死にます。
わざわざ自分で苦労しなくても、きちんと死ねます。

こころが苦しい時に、神さまにお願いしますか?
ところが、神さまは何もしてくれない。
あたしは、神さまが何もしてくれないという理由で彼/女を嫌いになったことはないです。
呪ったこともないです。
何もしてくれないという理由で、神さまの存在を否定する・・・・
わかりやすい。

問題は、もっとシンプル。
誰かを恨んだり、呪ったりすると、自殺したくなるんです。
相手を殺したいほど憎むこともあるでしょう。
でも、殺せないから自殺を考える。
自分で自分を傷つけることにより、相手への憎しみや呪いを成就させようとしてしまう。
それは、自然の摂理なのかもしれません。

祈る。
なぜ祈るか?
簡単です。
生きるためです。

誰かのために祈る。
その瞬間だけは、こころが一つになります。
それだけのことなんです。

誰かのため・・・・
とても抽象的です。
別に、特定の誰かに対して祈る必要性はないのです。
抽象的に存在する誰かのために祈ることにより、こころが解けます。

呪うと自殺したくなり、祈ると明日から元気に頑張ろうという気持ちになれます。
そこが違うんでしょうね・・・

ちなみに、自殺者の全体の60%が何らかの情動障害が原因です。
情動障害を認める患者さんの15%が自殺で失命しており、鬱病の患者さんの場合、全体の56%の人が1回以上は自殺を企画しているそうです。
リューベック大学(ドイツ)の精神科の Bernd Ahrens さんによると、リチウムを投与すると鬱状態が改善するか否かにかかわらず、自殺を防止する効果があるかもしれないということで研究をしているそうです。

神さまとリチウム・・・・どっちがつおいかな。

カウンセラーか・・・・・
カウンセラーはよあいかもしれない。

結局、神さまのところにも行けず、カウンセリングもタダじゃないし、病名が付くとイヤだからという理由で、うちのサイトに嫌がらせにやってきているだけなのかもしれないな・・・
なんで次から次へとそーいうアホが出没するんだか・・・
アクセス解析か・・・・
もっと早くに付けたら面白かったかも。

 

 

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