Rin's Diary
November, 2001
(No.1)

 

詩人

at 2001 11/10 13:48

人間不信の克服法か・・・・
もー、あれも嫌い、これも嫌い、汚染されたくない、許せない、などなど、人間の薄汚れた部分に対しての嫌悪感というのはどこまでも根深い。
が、しかし・・・・そーいうことでは、この世の中生きていけない。

というわけで、気が付けば人間不信の自分というものは裏の自分として存在しているのかもしれないし、表の自分というのは、実に人当たりのよい人間なんだと思う。
誰に対しても、こころを開いて?
いつも何があっても軽やかに微笑んでるだけかぁ・・・・
そーいう自分がどこか人形のような気がしていたこともあった気がするけど、今となってはすでにどーでもいいこと。

気の合う仲間としか付き合わない?
それはそれで気楽だけど、逆に、閉塞感というものがついて回る。
で、結局、そーいうことが息苦しくなって飛び出してしまう・・・

人間の光と闇か・・・・・

いつも誰かと居ないと不安になってしまう人もいるし、逆に一人が気楽でいいという人もいるし、あたしの場合は、いつも両極端なのかもしれないな・・・
一人でいる時間も好き。
それでいて、おちびといる時間はもっと好き。
集合体の中へ埋もれてしまえば、やはり単なる八方美人なのかも・・・

嫌いな人に嫌いと言って、何が悪いの?か・・・・
誰も悪いとは言ってくれない。
自分が嫌われても、幸せか・・・・
八方美人=人間不信なのだろーか?
そんなにややこしいことでもない気もするけど、それでいて、特に何も困らない。

不遜・傲慢でも気楽だし、一種、開き直ってしまえば、こんなにラクなことはない。
それでいて、いい人か・・・・
いい人は、確かに疲れる。
疲れるけど、こんなにラクなこともない。
結局、心を鍛えるしかないのかもしれないな・・・
何があっても、平然としていられるくらいタフなのね・・・・
それでいて、そーいう傷はさらさらと・・・・

水の流れは速いほど濁らない。
愁い深まり、こころ流して、時は流れり・・・・・

 

 

遥か

at 2001 11/10 10:28



  抑圧にこころ閉ざしてひきこもり 野に咲く百合を信じ崇めん
  
  魂の自由を叫び暮れ惑う 宇宙遥かに星は流れん

  空の青広がる地球に包まれて シンボルカラーに心の広がり

 

 

ラサちゃん 言いたい放題

at 2001 11/09 13:23

☆ 未来星億千年の願い乗せ 流星走るよ宇宙の彼方
★ 何時の世も時は過ぎ行き流れどもリンと輝く希望の星よ 
☆ いい加減住み良き星にならんかの 宇宙でさえもリビドー汚染

   ★ 謎が謎呼ぶ リンドウ峠 猿は恐いが かき(?)欲しく
    ☆ わけがわからん ラサ語におぼれ 今度はどどいつ ドイツ語か

   ★ 出来てござるか なぞめーるよな 世直しするには ちと狭し
    ☆ 宗教だって 反社会的 だったらいいの 気にするな

   ★ なんでもかんでも かきくえばなる なるよなるなる ほうりゅうじ
    ☆ 金がなるなる 金の木植えて 鐘がなるなる ほうりゅうじ

★   千年の恋 嵯峨野を歩く 紫の 追い風残り 今も香りて
☆ 恋するはせつなき匂ひの香る道 道行く人も通り雨かな
   ★ 時雨れさし肌に染み入る冷たさに蹴鞠もつらき揚げ羽の君よ 
☆ 秘めやかな恋路の果てに惑うては遊歩の道に答え求めて

★ 今生きる 寂聴庵も 嵯峨野にて よきころあいは よき死期という
☆ 行き暮れて漂う当ての無い儘に 老いを迎えて響く鐘の音
   ★ 老いらくの恋もあるよと父は告げ朝も早よからお手紙三昧
☆ 老いらくと思わぬ恋のベアトリーチェ乙女逃げても恋冷めやらぬ

☆ 目に見える矛盾の茨を掻い潜り 棘に刺されて痛みをぞ知る
★ 法衣無く教会も無くただ与う深き愛ゆえ真理なるかな 
☆ 真理とは心の奥に秘めやらぬ ゆるがぬ情熱溢れる愛に

☆ 信仰のゆるがぬ愛を傷み知る パトス沁み入る燃える炎に
★ 我が神も一人身ゆえに我が道を行き一人身ゆえに痛み受けしか
☆ 禁欲に生きるも同じ抑圧の厚き衣に飛ぶ鳥遥か

☆ ゆらゆらと燃える炎の光射し 生きる希望と愛に包まれ
★ 恩恵の光り返せるその日まで信じ仰ぎて我も進まん
☆ なるようになるしかないと諦めて野に咲く百合を信じ崇めん

☆ 静寂の詩の世界より舞いいずる 天使呼ぶ声光輝き
  ★ これは・・・・きれいだからぁ〜・・・・そっとしとこぅ・・・・・・


★ ラサちゃん
☆ りん





写真: WOOD MOON

 

 

ブラザーサン、シスタームーン

at 2001 11/09 09:53

  
  人生は自家撞着に満ち溢れ 空飛ぶ鳥に命たくして

  神さまの命ずるままに生きるとは 反社会的行動なのかな

  映画観てすっきりくっきり秋の空 日差しに誘われ赴くままに

  ボサノバの朝の調べに曇り空 願い自堕落こころの自由

  精神のあくなき自由はどこにある 空は虚しく果てることなく

  抑圧の死んだこころに救いあれ 生きる太陽晴れた石積み

 

 

モルディブ

at 2001 11/09 09:55

  
  やるせなき紫広がる海原に白き落陽まばゆい時間

 

 

好きだから・・・

at 2001 11/08 16:53

あー、いいな、宗教は。
なんかすっきりしてしまう。
富だの権力だの求める人生は捨てて、野に咲く白百合に?
なんかすっきりしてしまう。
人生、最大の癒しのような気がしてしまう。
神の前では、誰でも等しく貧しい・・・
ほんと、すっきりしてしまうよね。
で、なんだかんだ言っても、宗教団体というのもそれなりに階層社会だからなぁ・・・
どこまで行っても、人は人という気がしてしまうけど。
結局、集合体になるから、酷くややこしい気がするけど、集合体でありながら、すべての人が自立した関係というのが一番居心地がいいのかもしれないし・・・

ほんと、人生すべて投げ出して、無責任にしていることが一番の幸福という気もしてしまうし・・・
で、そーいうヤツはヒマだと思われるから、なんやかやと用事が増えるだけなのよね・・・
いい人だと思われたら、ろくでなしの餌食になる?
どこまで行っても、結局、堂々巡りなのかもしれないな・・・

たまにはそーいうかったるい連鎖から逃げ出して、めちゃくちゃエゴイスティックにもなりたいし、それでいて、そーいう自分を蹴飛ばしたい。
やっぱり、潮風は最高かも。
りんは、いいや・・・コアラで。
コアラが好きだから・・・

 

 

彩り

at 2001 11/07 18:47

  
  たおやかにゆるり流れる時間さえ止まり聴こえるピアニシモ・ログ

  澄み渡る月の調べの美しき背すじ張り詰め薔薇の蕾よ


  軽やかに登る坂道バレエ足始業開始のチャイムとともに

  悪ガキもいつしか時の流れゆき雲に覆われ未来思しき

  与えるは愛のまこととオボメシキおなか空かせてたこやき浮かぶ


  朝起きて何かと思えばアホらしき勘違いさえおでしゃな罰かも

  流れるは言の葉麗し水の音さらさら行き交う舟の彩り



  


写真: WOOD MOON

 

 

同じハンドル名?

at 2001 11/07 15:39

「なんでアリスさんがあちこちにいるの?」と言われても、確かに困るなぁ・・・
それは、「なんでりんさんがあちこちにいるの?」と言われるのと同じくらい回答に困るなぁ・・・・・
うちのサイトにも違う「りんさん」がいるけど、彼女とあたしは別人だ。
あちらは、札幌のりんさんで、あたしは、つくばのりんさんだ。
ハンドル名もちゃんと違うんだけど、それでも、りんさんには違いない。
同じような年頃で、あたしもガキの頃は札幌にいたし、あっちは教育の人で、こっちは心理の人だ。
で、あちらは就職2年目で、あたしは主婦。
大学にしがみついていたら、助手3年やって非常勤で食いつないで、ボチボチどこかへ専任講師というところかなぁ・・・
というわけで、サウンド好きというところまで共通してるとなると、あちらのりんさんが何かすれば、こちらのりんさんまで怪しいと思われても仕方がないけど、今のところ、そーいうトラブルは発生してない。
極めてラッキー、というより、当たり前のことなんだけど。
同じハンドル名とか、似たハンドル名だったりすると、なんかややこしいな。

偶然かぁ・・・・・・
偶然ってなんか怖いな。
問題は、ゴールデンウィークの前後にラサちゃんのサイトがいきなり500以上のアクセスがあり、あたしのサイトにも300以上のアクセス。
確かに当時はログジャンプしてたけど、いくらなんでもいきなり倍以上だし、その後、次々に嫌がらせが発生するようになると、何となくそこに関連性を見つけてしまっても不思議はない。
しかも、似たようなハンドル名なのよね・・・
しかも、カップル?
偶然・・・・・・
偶然で、嫌がらせが発生するわけ?
ということになるのだわ・・・・・・まぁ、愉快犯や便乗犯が存在していたのかもしれないし、複数のアリスさんが存在していたのかもしれないし、ハンドル名って不思議かも。
あたしももっとオリジナリティのあるハンドル名に変えてしまおうかと思うくらい複雑だ。

イメージなのかな・・・・
にしてもなぁ・・・・なんか考えてしまうな。
姓名判断とか?
どこかにハンドル名診断ってやってるサイトって無いのかしらん?
う〜ん・・・・・
悩む。

 

 

ジャズさん 境界例短歌

at 2001 11/07 13:54


  アイスさえリビドー考えカウンセラー それがペルソナ患者の香り (りん)

  心理学取捨択一の苦しさよ 身体一つに症例幾多 (ジャズ)

  
  症例と笑って言える気楽さに 羨ましいやら腹が立つやら (りん)

  ロジャースもユング・フロイト・河合さん みんなまとめて症例リスト? (りん)

  心理学変えてしまうは心なり 心を捨てて明るい未来 (りん)

  境界例彷徨うネットの暗闇に 慌てふためきサイトを閉じる (りん)

 

 

極点

at 2001 11/06 06:38

告発系のサイトかぁ・・・・ 世の中、とんでもないことがまかり通っているわけだし、それを告発するのは正義なのだろうか?
大抵の場合、犬は愛玩動物として保護される?
古くは『南極物語』という映画もあったけれど、タロウとジロウと極寒の世界での出来事の物語。
何だかよくわからないけど、それこそ人間と動物とのこころのつながりという点で救われる映画。
それとは別に、快楽で犬を殺す猟師か・・・・
どちらもノンフィクションなのよね・・・
酷く不愉快なことだけれど、世の中には快楽でペットを虐待したり、殺人を犯す人間が存在していることを認めてしまえば、少しは気楽になれるだろうか・・・・
世の中には、猟師もいれば、軍人もいる。
それこそ、死刑を執行する人間もいるわけだ・・・
人間の光と闇か・・・・・・
どんなことでも、軽やかに乗り越えてしまう?
酷く腹が立ち、それこそ石でもブツケタイ気分の時もある・・・・が、しかし、軽やかに微笑みながら、通り過ぎる・・・・・ そーいうのも何だか疲れる今日この頃。
やっぱり、詩人は詩を詠んでるほうが平和なのかも・・・・・


*********

★ 『猟友会による動物虐殺の実態』

★ ネタ元・・・『Africa Online』 ”Starless and Bible Black(日記)”より

*********


疲弊している人には・・・どーかな。ますます疲れちゃうかな・・・・

 

 

感情移入なのかも

at 2001 11/05 19:05

今日は、短歌が絶好調だなぁ・・・・
ヘンに駄文をダラダラ書くより、すっきりくっきり詩人な気分。
いわば、執筆日和ということなのかもしれない。

「今を切に生きるしかない」か・・・こっちが瀬戸内寂聴で、「今日を切に生きるしかない」というのがラサちゃん?
若者は、「今日」なんだろうな・・・・
特に、娘時代というのは、そーいう気分だった気がする。
酷く長い娘時代を過ごしていたのかもしれないと、ふと感じることがある。
実際、人生の大半をそーやって過ごしていたのだから仕方がない。

「今を切に生きるしかない」と言える人は、いろんな「今」を持っている人だ。
その時々に時間が流れ、その時々の自分を振り返るほどの自分を持っている。
だから、「今」なのだ・・・と思う。
いいな・・・何だかスッキリしてしまう。

今の自分か・・・・
いいよね・・・それなりに充実しているのかもしれないな・・・・
自分では、とても不毛な時間が流れているようにしか感じられないけれど、それなりに家庭が安定していて、おちびがいる。
こーいう時代ほど、何故かあれこれしてみたくなるのかもしれない・・・

コアラか・・・・・・
ほんと、コアラの話になると、感情移入してしまう。
意外と凶暴なの?
ヘン。
あたしに言わせて貰うと、そんなに意外でもないのよね・・・
野生のユーカリの葉っぱを食べながら、おちびをおんぶしながら木にのんびりへたっているコアラは愛嬌がある。
おとなしいよね・・・実際。
何もしなければ、何もしない。

記念撮影コアラか・・・・
あたしも抱っこして記念撮影した記憶はあるけど、何故か写真が見つからない。
どこかにあるのかな・・・
おとなしくしてたら、葉っぱが貰える?
何だかなぁ・・・・
コアラにしてみたら、ヘンな話だ。
そりゃ、労働過多で暴れたくもなるだろう・・・と思う。

ガキかぁ・・・・
自分では、そーいう自覚が全く無い。
しかし、あちこちでそれを指摘されると、いい加減、あたしも反省したほうが身のためかもしれないという気が・・・・
が、しかし・・・・・
ガキというより、傷が無いんだろうな・・・・
夥しいほどのこころの傷があるはずなのに、あたしにはそれが傷跡として残らない。
そーいう傷跡が単なる汚染としか感じられないせいなのかもしれない。
他人のこころの傷が、単なる汚染かぁ・・・・

なんか、アホらしくなっちゃうのよね。
いろんな人が、いろんなことを語る。
それをさらさらとサウンドにしてしまう・・・
そのどこが悪いのかわからない。

人間なんていつの時代も変わらない・・・・

変わらないのさ。
全てのことが、単なる事象か。
過去に起こったことは、未来にも起こり、誰かが感じていることは、あたしだって感じているだろう・・・・
そのくせ、そーいうことの一つ一つが酷くバカらしくなってしまう。

愛は語れど、情は切り捨てる。
情というのは、集団の結束のために存在する感情だからだ。
自分には必要性が少ない感情の一つだ。
かといって、日本的なウェットな社会も特に嫌いではない。

情を持つなら、情念のほうがマシだ。
パトスか・・・・・

信仰だ。
ゆるぎなき愛。
誰が何を言おうとも、誰が何をしようとも、マグダラのマリアは幸せだった?
誰に彼女が止められただろう・・・・
彼女の愛は情念だ。
パトスだ。
わかりやすい。
情が情念までたどり着いてしまえば、それこそ集団などは関係なくなる。
それが素晴らしいことかどうかはわからない。
ただ、すごく気楽なことのような気もするけど・・・わからないな。
ゆるぎなき自分、ゆるぎなき信仰、ゆるぎなき愛。
行き過ぎれば、単なる反社会的な行動の一つに過ぎない?
それでも、誰も彼女を止められなかった・・・

いろんな矛盾を孕んだまま、聖書は聖書として存在している。

コアラがユーカリの木の上で寝ていて、何が悪いのだろう・・・・・

やっぱり、何も悪くないのかもしれないな・・・・
凶暴なコアラか・・・・・・
スッキリくっきり暴れてほしい。
そだそだ・・・・ウザイものは、やっぱりウザイからな。

 

 

ジャズさん モナ王気分

at 2001 11/05 18:02




* 画像のお問い合わせは、ジャズさんまで。

(注: お菓子メーカーとは何の関係もありません)




  

  不意打ちの返歌に慄き我忘れ たかがモナ王いずこへバニラ (りん)

  割引のハーゲンダッツと定価のモナ王 気分次第で責めないで (ジャズ)


  6本の賞味期限はいつまでか 残ったモナ王誰も食わん (りん)

  ワガママは愛の証か残り香か ラクトの味に自分を残し (りん)

  ミルク味女はやっぱりアイスだな 溶けないうちにさっさと食べて (りん)

  アイスさえリビドー考えカウンセラー それがペルソナ患者の香り (りん)

 

 

at 2001 11/05 15:29

  
  たおやかに流れる筆の勢いに 恋も満ち欠け月を映さん

 

 

ラサちゃん 天使の反撃

at 2001 11/05 15:23

  

  月満ちて地球に戻りて空青き住むなら母星眺める夜空 (りん)

  三千年 未来に迷い 来た星は 自由の女神の 何故に崩れり (ラサ)

  未来星億千年の願い乗せ 流星走るよ宇宙の彼方 (りん)



    千年の恋 嵯峨野を歩く 紫の 追い風残り 今も香りて (ラサ)

    恋するはせつなき匂ひの香る道 道行く人も通り雨かな (りん)
 
    今生きる 寂聴庵も 嵯峨野にて よきころあいは よき死期という (ラサ)

    行き暮れて漂う当ての無い儘に 老いを迎えて響く鐘の音 (りん)





  目に見える矛盾の茨を掻い潜り 棘に刺されて痛みをぞ知る (りん)

  信仰のゆるがぬ愛を傷み知る パトス沁み入る燃える炎に (りん)

  ゆらゆらと燃える炎の光射し 生きる希望と愛に包まれ (りん)


  静寂の詩の世界より舞いいずる 天使呼ぶ声光輝き (りん)





写真: Tomorrow さん

 

 

ジャズさん モナ王の反撃

at 2001 11/05 14:07

  

   眺めるは雨射す道路コンビニに モナ王いずこあるのはアイス (りん)

   モナ王も所変われば小豆入り 味の分布図線引きは何故 (ジャズさん)


  
   不意打ちの返歌に慄き我忘れ たかがモナ王いずこへバニラ (りん)

   九州人バニラといえばモナ王か 話が違うぜありゃ小豆だろ (りん)

   海峡は隔つよモナカ真ん中で バニラ一色バーゲンモナカ (りん)

   銘柄にワガママ乗せてささやかな へこみプライド ラクトかアイスか (りん)

 

 

ユウトくん メッセージ短歌

at 2001 11/05 04:41

  
  
  どこにあるほんとの気持ちがわからない途惑いつづいて華やぐ声に (りん)

  すぐ変わるその表情は秋の空 時折のぞく晴天を待ち (ユウト)

  ときめきも嫉妬に変わったその日から ゆるせないことばかりが続く (りん)

  将来はどうなるかなどわからない それでも今は一緒にいたい (ユウト)

  ハイテクに恋の行方をたくしての旅立ち遠く明日は一人 (りん)

  「あいしてる」たった五文字のこの言葉 想いよ欠片でもいい届け (ユウト)

  メッセージ託したサウンド声遠く 幾度連ねる同じ囁き (りん)


  



写真: Tomorrow さん

 

 

ユウトくん 時事短歌

at 2001 11/05 02:52

  
  太陽は変わらないのに空は消え眼差し見えずベールの影に (りん)

  目に見えぬ悪魔のような紫外線 UVカットのこの商品を♪ (ユウト)

  
  テロリストなにをそんなに怒ってるの 天には届かず聖地は遠く (りん)
 
  ヒーローは瓦礫の下に埋もれた 真の勇気を人々に与え (ユウト)

  
  永久の夢平和の大地に虹を見る 蜃気楼さえ生きる勇気に (りん)

  砲声の中で生まれたその子らは 平穏な世の暮らしも知らぬ (ユウト)

  
  狂気さえ感じられない愉快犯 犯罪抑止に効果現れ (りん)

 

 

のんきなおやこ

at 2001 11/04 22:28

今日は、ひたすら体調が悪い。
酷くダルイ。
おちびも高熱が続いている。
おたふく風邪かもしれない。
だけど、幼稚園の頃に一度やってるはずなんだけど、あの時はもしかするとタダの耳下腺炎だったのだろーか?
どっちにしても腫れが引いたら終わりだし、やたらとおちびは元気なのだわ・・・
だけど、あたしはもしかするとおたふくってやったことがなかったようなイヤな予感がする。
今頃になっておたふく風邪なんてシャレにならんよね・・・
うちは女の子でよかったな・・・
こんな高熱が続いていたら、男の子だったらヤバイよね。
薬で熱を下げてもまたすぐに上がるしなぁ・・・
今日は、おちびと一緒にコアラなみの生活だ・・・へへへ。

 

 

気分屋の明日

at 2001 11/03 16:25

マドンナといえば、80年代のサウンドという気がしてしまうけど、久しぶりに彼女の新譜を聴いてみる。
何だか程よく癒しすら感じてしまう・・・・
80年代のパワーは無い。
だけど、何となくサウンドが広い。
どこかフレンチポップの香り。
どこか懐かしい。

限界か・・・・・
たしかに年を取ると逆に限界が無くなる。
何でだろう・・・・わからない。
ベクトルが自由に回転し出し、それこそどこが上でどこが横で、どこへ向かっているのかわからなくなるせいかもしれない。
どこでその逆転が起こるのか、あたしにはよくわかってないのかもしれない。
だけど、若さだけで、いつも未来を眺めていた時にあった壁は、すでに消えている。
人間が自由な生き物で、どのようにでも生きられることを知ってしまう年齢になると、逆に、限界が見えなくなる。

人として生まれて、子どもを産んでしまったら、その責任から解放されるのかもしれないな・・・
何だかワサワサと生きるノウハウの中で、気が付けばどこかで生きている。
というだけのことのような気がするくらい、若い頃はどこかレールが準備されてしまう。
そして、何をしていようとも、そのレールから脱線することは許されなかった気がする。
ところが・・・汽車を降りれば、歩くだけ・・・・
自分で歩けば、歩いたところが道になる。
歩きやすいところを歩くか、並木道を散歩するか、それともタクシーを拾って気ままにしてるか・・・
終着駅までたどり着いた先は、後はそれこそ風まかせ・・・・

気分屋の明日か・・・・
マドンナのデビューの頃・・・・か。
マリリン・モンローに似ているという噂だったけど、今、彼女は全然彼女に似ていないな。
誰にも似ていない自分か。
それが、気分屋の明日なのかもしれないな・・・

 

 

同窓生

at 2001 11/03 15:37



霧は晴れ青春の味消え失せゆ 想い出溢れんカフェの香りに

パンの味懐かしんでは同窓生 今はカフェ族楽しいおしゃべり









写真: Tomorrow さん







眺めるは雨射す道路コンビニに モナ王いずこあるのはアイス

リブゴーシュ一際映えるパリの夜 カフェはブランシュ泡立つ白味

 

 

心と気持ちの違い・・・

at 2001 11/03 00:06

言葉って面白いと思う・・・
どのような文脈で使われていた言葉かわからないけれど、「今日をせつに生きるしかなし」か・・・
ラサちゃんによると、これは瀬戸内寂聴の言葉らしいけれど、日々毎日を大切に生きるということ?
それとも、明日のことを考えるなということなのかしら・・・・

人間関係は、極めて流動的なものだ。
人の心は一瞬ごとに変化する。
だから、人と人との関わりも、それこそ昨日と明日が同じであることが稀だ。
そのことに気が付かないのは何故だろう?
不思議。

第一、相手の気持ちを知りたいというのは、主に恋愛みたいな関係であって、見知らぬ人同様に家族というのもその時々のご機嫌などを考えることはあっても、気持ちということまでも考えるということは少ないのではないかしらん?

とは言うものの、世の中、そーでもないのかなぁ・・・っとうすらとんかちは考えることもあるけど。
誰かの気持ちがわからないと言って嘆くのは、関係性に不安がある時?

もともと気持ちなんて、クルクル変わるものだし、自分で自分の気持ちですらわからないのが普通なのに、他者がわかるはずもないと思うのだけれど。
つまりは、気持ちを知りたいということは即ち不確かな関係性を固定したものに変化させたいというだけのことなのかもしれない・・・

が、しかし、それはムリだ。
何故なら、常に、問題となるのは即時性・・・
一瞬ごとに違う心。

海はどこまでも青く、それでいて、一瞬ごとに輝きが違う。
波は絶え間なく打ち寄せるけど、どれ一つとして同じ波はなく、それでいて、波は波・・・
人の心に似ている気がする。

挨拶に始まり、挨拶に終わる。
昨日と今日は同じではなく、今日と明日はまた違う風が吹く・・・・
そーやって幾度となく同じことが繰り返されることが日常であり、それでいて、それは常に変わらず異なる色や輝きに変化するだけ・・・

だから、今ある自分は今にしか存在せず、それでいて、長い連続する時間の連鎖の中に生きる。
それでいて、やはりそれは一瞬の出来事なのかもしれない・・・

心が海なら、気持ちは風だ・・・・光なのかもしれない。

 

 

あたしはあたし

at 2001 11/01 22:35

何だか慌しいままに閉鎖の準備をする。
閉鎖の準備というのもヘンだけど、今までの状態が不自然だったのかもしれない。
5月に不気味なカキコや足跡、連日のウィルスメールが発生して以来、それこそ誹謗日記?なるものを書かれて来訪者のところを廻られたり、あちこちで「ありす」事件だ。

このハンドル名を使ってる人には申し訳ないけど、極めて不気味なハンドル名にしか感じられないくらい気持ち悪い。
結局、境界例の人なのかもしれないし、これが去年の暮れから怨念のように続いていたのかと思うと信じられない。
画像の盗用、再交付違反、その他諸々「嫌がらせ」なんだろうな・・・

中には愉快犯みたいな人も存在しているのかもしれないし、悪意は連鎖することもあるし、挙句、ボランティア・バナーが規約違反というチクリ・・・
しかも、自分のところだけじゃないのよね・・・

まぁ・・・世の中、そーいう人はどこにでもいるわけであって、当人はバーチャルだからと思ってやっているのかもしれないし、関係ないといえば関係ない話・・・

裏と表か・・・・
まぁ・・・結局、「こーありたい自分」とタダの自分が一致している人なんて稀だから、それはそれで仕方がないのかもしれないな。

などと振り返りつつ、そーいう嫌がらせから逃亡するために作ったサイトだからな・・・ムーンは。
完全なミラーサイト。
それこそテロ発生を予期して、キャンプを移動させていたに過ぎない。
が、しかし、ちょっとサーバ・ダウンしただけで、またか・・と思うようではダメだ。
精神衛生が悪くてしょうがない。
思い切って、削除しちゃうくらいがちょうどいいかもしれない。

結局、サイトじゃないのよね・・・
ミラーサイトだからかもしれないけど、ムーンだろーとエクラだろーと、「あ、りんさんだ」とわかるくらい同じ。
「実は、あのサイトを作っていたのはあたしなんです」などといちいち告げる必要性がないくらい同じサイトで同じ来訪者。
2つのサイトを行ったり来たりしていても、「あ、またか」と思う程度の違いなんだと思う。
或る意味において、事情があって、移動しているわけだから、その辺がわかりやすいのかもしれないし・・・
サーバが変わっても、あたしは変わらない・・・

 

 

★嫉妬とは恋愛における不純物?

at 2001 11/01 21:50

あまりにも、『嫉妬』に関するラリーが長いので、久々に心理学辞典などを調べてみる。ところが独立した項目どころか、索引にでさえ載っていない。つまりは、あまりにもありふれた出来事であり、単独で研究する対象にもなっていないということなのだろうか?

嫉妬妄想というのがある。恋人や配偶者が浮気した(する)のではないか?という妄想だ。
恋愛妄想というのもあるけど、これは相手が自分のことを愛してるという妄想。
単なる思い込みと違うのは、それがやはり狂気に結びついているからだろう。

彼氏の”死んだ恋人”に焼きもちを焼く?
癌患者が、自分の死後の”後妻”に嫉妬する?
夫の架空の浮気に嫉妬する?

時に、架空の人物、架空の出来事に対して、嫉妬してしまうという・・・ヘンだ。ヘンだけど、何故かこういうことが原因で、自殺したくなったり、相手を殺したくなったりする?
スタンダールではないけれど、恋愛というのはどこか妄想と相性がよい気がしてしまう。『結晶作用』とはよく言ったものだと思う。ただの石ころが宝石に見えたり? いくつもの断片を組み合わせ、自分の世界を形成してしまう?

「りんは、焼きもちを焼かないか?」
そんなことないですよね・・・逆に、素直なくらいだと思います。すぐ顔に出ますし・・・行動にも言動にも表れます。でも、すぐに忘れてしまうことが多いと思うのです。
嫉妬でゆらゆらすることも嫌いではありません。ぼ〜ぼ〜になったときには、かなり過激な行動もしてしまうかもしれません。
自分でも、これがすこぶるエネルギーに感じる場合もあるし、それでいて、それが連続するようになると、どこか淡白です。

結局、嫉妬を克服するには、自分の妄想をどこで破壊するか?ということなのかもしれないです。
理性で考えた場合、ほとんどの嫉妬が単なる妄想です。相手を束縛したい気持ちが強いほど、相手に求める気持ちが強いほど、自分で自分の呪縛を解くことができなくなります。
そういう時には、枠組みを変換するしかありません。
ヘンな言い方ですけど、自分で自分になってみる。或る行動に対して、どのように行動するか?を考えてみる。やはりパターンがあると思うのです。或る行動に対しての受け止め方というのもあると思うのです。自分の行動特性というものを、自分で考えてみると、自分を客観的に見ることが出来ます。自分の置かれた状況、気持ちを客観的に観察すると、大抵は、酷くどうでもよいことが多くなってしまいます。つまり、他人事として自分のことを考えると、実際、どうでもよいことが多すぎるわけで、それがわかると、或る意味において、こだわりが無くなったりします。
他者の行動も同様です。相手の行動の一つ一つの意味を勝手に想像している場合がほとんどです。ならば、それを悪い方向へ考えなければ、健常者の場合、大抵の妄想は終わってしまいます。

どこまでが”妄想的に作り上げた現実”なのか?
つまり、現実をありのままに受け止めた瞬間、魔力から解放されてしまうことがあまりにも多いのです。
ありのままの姿・・・というのは、つまり、いかなるカップルであろうと、人間は一人ということを認めるということでしょうか。
自分が独立した存在であり、相手もまた別の人格を持ち、自分とは違う存在であることを思い出せば、カップルという事実は残り、互いに自立した自分を思い出せるのかもしれないです。

考えてみれば、この世の中に、自分のために存在しているという人間なんていません。反面、自分が誰かのために存在していると感じた瞬間、幸福な気分になったりします。ちょっと考えると素晴らしいことのような気がしますが、逆に考えると、誰かのために何もすることがなくなったら、幸福も消えてしまうのでしょうか?
つまり、自分も誰かのために存在しているわけではないのかもしれません。互いに独立した人間であったとしても、愛を感じられるか?
そのとき感じる愛が、嫉妬という不純物を含まない愛なのかもしれません。

つまり・・・嫉妬とは、恋愛における不純物なのかもしれませんね・・・でも、ピュアなままより、美味しいかもしれません。

(at 2001 09/07 05:05 『科学的恋愛論?』より)

 

 

★擬似恋愛

at 2001 11/01 21:48

★100回、「アイ・ラブ・ユー」と言われても、好きにならないのはなぜ?

「擬似恋愛」というものがあります。患者さんが、話を聞いてくれる医者やカウンセラーに恋愛感情を抱くことは稀ではないのです。大抵は、性にまつわる悩みをもつ人が多い・・・このため、相手の話を聞き、相手を受容しているうちに、「擬似恋愛」という恋愛関係に近い感情が発生してしまいます。
カウンセラーは自分の中の感情を常にスーパーバイズする訓練を受けています。自分の感情を分析することにより、相手の内面感情を知る手がかりにする。これは、案外、危険なのです。相手の欝の中へ、或いは、妄想の中へ飛び込むと、それこそ移ります。だから、常にチームとなりそこからの脱出作業が必要になります。

これをヴァーチャルで考えてみると、「アイ・ラブ・ユー」という言葉が伝達され、相手の気持ちを知る。そのように言われてしまうと、誰でも相手の言葉に惹かれてしまうと思うのです。でも、そういう言葉が消えた瞬間、きっと気持ちも消失してしまうことが多いのではないでしょうか?
「好き」と言われて、何となく相手のことが自分も好きになったような気になってしまう。案外、恋愛や交際は、こういうことがキッカケで始まることが多いので、あながちすべての恋愛を否定するわけではありませんが、言葉が消えた瞬間、気持ちが消えるということも充分考えられます。
すると、この辺から「駆け引き」が発生するようになります。今まで「好き」と言っていたのに、突然、何も言わなくなる。すると、相手のことがとても気になります。そこで追い討ちをかけるように、今まで自分に「好き」と言っていた相手が他の人に「好き」と言ってるとなると「嫉妬」が発生します。
相手が自分から去るという喪失感から発生した嫉妬なのかもしれませんが、いずれにせよ、一種の駆け引きなのでしょう。

カウンセラーは、ここで立ち止まることが出来ます。つまり、相手から「好き」と言われた瞬間、自分も相手のことを好きになる。だけど、この時に発生した「好き」という感情は、実は自分の心からの「好き」という感情ではなく、相手の気持ちが伝わってきたに過ぎない。ちょっとややこしいのですが、自分が本当に好きで相手を好きになったのではなく、単に、相手の「好き」が伝わってきたに過ぎません。つまり、自分では本当に相手のことが好きではないのに、好きと言われたことにより、相手が好きだという勘違いが、自分の中に発生してしまうわけです。
「嫉妬」に関しても、同様。考えてみよう・・・もしも、自分が本当に相手のことが好きではないのに、それでも焼きもちが焼ける?
焼けるんです・・・
「逃がした魚は大きい」みたいなものかもしれません。相手に逃げられたという感情が嫉妬となっているに過ぎません。だから、相手を追いかけてしまう。だけど、好きだから追いかけているわけではないのです。相手を束縛したいという本能が人間にはあるのかもしれません。欲望というのは、多くの嫉妬や独占欲と連結しています。
人間にはさまざまな種類の愛が存在しますが、恋愛の場合、常に、本能と連結しているために、愛と欲望が混在しています。このため、相手を束縛したいという気持ちは、実は愛ではなく、欲望に端を発しているケースがほとんどです。いわば、生殖に結びついた心の行動なのかもしれませんね。
恋愛で、ゆらゆらとして面白いのは、こういう駆け引きみたいな部分なのかもしれません。行き過ぎなければ楽しいものです。
でも、こういう感情は、得てして長続きしたことはありません。大抵は、倦怠感が訪れ、退屈してしまいます。つまり、神経インパルスが常に一定方向に発信されていることにより、慢性化し、より強い刺激が必要になってきてしまうせいかもしれません。
常に、弛緩と緊張を繰り返さないと、常に過剰さを求めるようになってしまうだけなのかもしれません。こういう状態に陥ったら、すでにその恋愛は末期を迎えているのかもしれません。
欲望では、恋愛は維持できないから・・でしょうね。

純粋な相手を思う愛と、駆け引きめいた欲望が根底に存在しているエロスとは種類が違います。そのことに気が付かないと、人間はいつまでも同じ過ちを繰り返すだけなのかもしれません。

若い頃・・・「なんでわからへんのんや」と言われたことがあります。彼は、私を愛してくれていましたが、その愛は、実は私が求める種類の愛ではない・・・
そのことを説明できず、とても苦労した覚えがあります。でも、もしかすると、私が求める種類の愛が存在していたのかもしれません。でも、あまりにも強い欲望と嫉妬により、そのことが単に見えなくなっていただけなのかもしれません。
互いに傷つけあうだけの、激しい恋愛・・・
振り返れば、楽しい想い出なのかもしれませんが、彼が、私の言う意味に気が付いた時には、すでに私は新しい愛に出会ってしまっていました。
「アイ・ラブ・ユー」と何度も言われるより、相手に自分が必要とされている感覚が、私には大切なのです。必要とされてると思った瞬間、何故か自分の中のエゴイズムは消えてしまいます。
恋愛は、エゴとの闘いなのかもしれないです・・・

*********
☆ とても、わかりにくく書いているので、わかりやすい説明?は、「屁理屈にっき」のおばかなつぶやきを参考にしてください(*^_^*)

(at 2001 07/21 09:44 『科学的恋愛論?』より)

 

 

★言葉の問題 1 (準備中)

at 2001 11/01 21:49

ヴァーチャルという世界を考えると、どうしても避けて通れない問題・・・すなわち、「言葉」。
人間以外の種にはみられない特徴であり、思考の外部表出手段であり、強烈なコミュニケーション・ツールです。人間の行動適応ということを考えると、それこそ心的事象を相手に伝達するためには不可欠とすら言えるわけであり、それでいて、酷く、ややこしい存在です。

人類起源のミッシング・リンク(失われた環)・・・つまり、ヒトと現存のアフリカのエイプとの共通の祖先以来の数百万年間・・・恐らくは、2百万年くらいに間に生じた進化的な違いがどのように説明されるのかは未だに謎です。化石を調べることにより、化石ホミニド(ヒト科)の体や脳の大きさ・形などはわかってきたとはいえ、彼らが言語を有したという決定的な証拠は発見されていないそうです。にもかかわらず、我らは言語を所有しているわけですね・・・少なくとも、言語というのは、一つの種だけに一定の仕方でのみ進化してきたという特殊な事実・・・そして、ネットというのは、それを文字により表現しているわけです。しかも、ヴァーチャル。
これを支えるためには、強烈な記憶力が必要でしょうし、子どもの言語発達に見られるようなパターン化の存在も無視できない。それこそ人工知能ではないけれども、道具としての新しい言語が開発され、脳のニューラル・モデルすら構築されているわけです。
感情伝達としてよりも、言語というのは思考を伝達することに適しているような気がすることがあります。感情は、それこそ顔の表情、しぐさ、音声のトーンなど他の伝達手段が可能であるけれども、人間特有の複雑な思考を伝達・表出するためには、どうしても言語は不可欠な要素であり、だからこそ、ヒトは書き、話してきたのだとさえ考えられてしまう・・・

情報を羅列するためには、ネットは非常に適した手段でしょう。少なくとも、思考や情報などの記述を伝達するには適している。が、現在のようにネットがコミュニケーション手段の一つとして使われていることを考えると、その感情伝達は、話し言葉のような伝達ですら困難を極めてしまうわけです。つまり、「こーいう言葉を話しているのは、こーいう場合だろう・・」という推測の元に、各自が判断をしているにすぎないわけであって、それが単純な文脈で笑う場面で笑いの表現というのはシンプルだけど、それこそネガティブな感情の伝達はそれこそ複雑で、それこそ個人差・文化差、或いは、個人の記憶など受け取り手の解釈に委ねないとダメな部分があまりにも大きいわけです。
こーなると、もー、どーにもならないくらい感情的な食い違いが発生してしまうことになってしまう。
単なる情報伝達でも、それこそヒューマン・エラーにより歪められてしまうのに、それこそ相手の記憶や解釈などの文脈に頼って伝達しなければならないとなると、それこそ食い違わないほうがおかしいとすら感じてしまいます。
本当にネットはコミュニケーション・ツールに適した存在なのでしょうか・・・ますます謎です・・・ね。

**************

ちょっとわかりにくいから、やっぱり書き直します・・・そのうち。

(at 2001 06/27 04:53 『科学的恋愛論?』より)

 

 

★はじめに

at 2001 11/01 21:47

まずは、このページを書き始めるにあたり、いろいろな問題に突き当たりました。書き出しをどのようにするか?というシンプルなことから、それを記述的に書いていくか、それとも、メンタリスティックなサウンドで突っ走ってしまうか・・・
そーいうことから考えていたわけです。

★テキストを『愛の解剖学』に限定してしまってよいのか? 

簡単に説明すると、私はこのテキストが好きでないのかもしれません。恋愛を求愛行動という視点から書いているからです。つまり、異性のどこに魅力を感じ、恋愛・セックス・結婚・不倫といったことに発展するか?という視点に基づき書かれているからです。
元来、愛にはさまざまな種類があると考えているせいでしょうか、それを限定的に狭めていることは否めません。きちんとした研究に基づいたデータを利用するということは、そういった観察できる範囲内で語られても仕方がないわけで、ここでは「愛」について語っているわけではなく、単に、「恋愛」について語っているわけです。

★お悩み相談と一緒にされるのではないか?

恋愛をテーマにしたサイトはめずらしくありません。恋愛に付随する悩みを素直に語り合っているページは他にいくつもあるでしょう・・・
悩みはいつも似たようなものだと・・私は案外突き放して考えてしまっているせいでしょうか・・そういう「相談」的なトーンが嫌いなのです。
もしも、カール・グラマーへのいちゃもんが自分に跳ね返ってきたらどうしよう・・かとも思ったのですが、実際、彼にいちゃもんつけたいのは自分なのかもしれないし、敢えて、そのような誤解を招きやすいコンテンツを置く必要性はないのではないか?という撞着がつねに存在してしまう所以なのかもしれません。

いずれにせよ、テーマもないサイトです。一人の女性である自分が勝手に書いているだけのサイトです。どのコンテンツも中途半端です。一つを完成してから次のステップへ進んでいくほうがナチュラルなのかもしれませんが、管理は大変だと嘆く一方で、一番恐ろしいのは、自分が飽きてしまうことだと感じてしまいます。
全部を完成させるなんてことは不可能なのかもしれません。どれも中途半端だけど、それなりにタスクとして置いておくことに意義があるのかもしれないと、中途半端な自分という人間を振り返り、やはりサイトは箱庭なのかもしれないと、何となく感じてしまいます・・・

何か考えてそうで、実は何も考えてない・・・
時に屁理屈を並べ、時に詩を詠む・・・
時にテーマはヴァーチャルな世界へ浮遊し、非現実的な仮想空間で遊んでいたりします。それでいて、リアルな空間を描き出していたりする・・・そういうアンバランスな部分が、自分のカラーであり、そのすべてが融合する時、違ったサウンド世界が聴こえて来るのかもしれません。

きっと、このコンテンツは、気まぐれなトーンで書き続けられる気がします。律儀に毎日書きたいとも思わないし、それでいて、天邪鬼は気分で連続して書いてしまうかもしれません。
BBSに連動した日記と、それから切り離されたコンテンツ・・・何の反応がなくても、それなりに書いてみるということも、時に必要なのかもしれません。
とりあえず、何かを書き始めていくうちに、どこかへ進んでしまうのかもしれませんね・・・
そういうゆらゆらしたサウンドは、すでに、私の場合、自分のカラーとなってしまっているのかもしれません・・・

能書きはこの辺で。

(at 2001 06/14 04:03 『科学的恋愛論?』より)

 

 

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