February 19, 2006

やっとヨシュア・・・

やっとヨシュアの書。この辺になってくると、ようやく意味が見えてくる。大雑把な言い方をすれば、当時のカナン人のカルト的信仰を考えると、神の国というのがどういう意味なのかおぼろげに。

まずは、酷いよ〜!!
町の城壁を造るのに人柱・・・子どもをいけにえにする。神殿には娼婦や男娼がいて、報酬を得ている。呪術や魔法?によって祈祷や占いに頼る。そういうカルト的宗教というのはカナンに限ったことではなく、古代の宗教にはそういう不気味な感覚がつきまとう。

そこで、何度も繰り返されているように、ヘブライ人たちをエジプトから救い、偶像崇拝(カルト)を破壊し、まことの神の国をつくるというのがイスラエル建国のコンセプトだった。

何度も何度も偶像崇拝を禁じて、厳しい罰が与えられる。
聖戦というのがどういうものなのかわからないけれども、ぎょえっとなるような狂信に対する神の戦いみたいなものなのだろうか。そこで徹底的に偶像(カルト)が破壊されていく。

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神が先頭に立ち、戦いを勝利に導く、という感覚は日本にもずっと昔からある。
それこそ元寇のときがそうだし、あのときの神風というのは台風だったと言われている。近い時代では、日清・日露。こんなアジアの小国が清やロシアを破ったのだから、今でも日本がどこにあるのか知らない人たちですらその戦争のことを知っていたりする。

武士道というか・・・そういうプライドの高さは日本人の特徴でもある。

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ヨシュアの書になると、おぼろげながら新約の中の話を彷彿する部分が現れる。
たとえば、神殿での呪術的な意味での娼婦や男娼を非難する一方で、ヨシュアの送った偵察者の命を助けたのがエリコの娼婦。これにより、彼女や彼女の家族はヘレムを逃れる。

ヘレムというのがハーレムの語源というのだけれど、これまたイメージが難しい。戦いがあると男たちは殺され、女性と子どもだけが捕虜として生活していたというのもヘレムらしいし、それこそ人から家財道具からすべて火をつけて燃やしてしまったというのがヘレムだともいうし、エリコの戦いではユダ族の3人が裏切り、本来ならヘレムにして燃やしてしまわなければならないのにちゃっかり金銀やがいとうをくすねてしまい、神の怒りを買う。

歴史は繰り返すというけれど、ヨシュアとメシア、娼婦とマグダラのマリア、ユダ族の男たちとユダ。そして、ヘブライ人の12部族を象徴するように12使徒。

投稿者 Blue Wind : February 19, 2006 01:06 AM | トラックバック
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